のらやま生活向上委員会 suginofarm

自然と時間を、都市と生命を、地域と環境を、家族と生きがいを分かち合うために、農業を楽しめる農家になりたいと考えています

ナシづくりは果樹生産で農業でないと固定観念の壊されるワクワク

2006年06月16日 | 農のあれこれ
昨日15日の朝日新聞夕刊の文化欄は「学のいま」というタイトルで民俗学が取り上げられていました。そこでは民俗学者宮本常一の業績から民俗学の未来が見えると紹介されていました。

たまたま今読んでいる新書にも宮本常一氏の名が出てきました。(洋泉社新書y『歴史の中で語られてこなかったこと おんな・子供・老人からの「日本史」』網野善彦+宮田登 2001.12 p35)

彼は「俺は百姓をやる」といっていて、何かといえば「郷里に帰ってみかんでもつくる」ということで、実際にご子息はみかんをつくっていらしゃるとか。網野氏がこの話を紹介し、さらに続けます。「わたしに言わせると、みかん作りは農業ではないですよ。」宮田「何ですか」網野「あれは果樹生産です」

この新書の帯には、女、子供、老人こそが歴史を動かす主人公だった!歴史学と民俗学の泰斗が“男中心”の歴史像をくつがえす目からうろこの新しい歴史社会!とあります。“網野史学”の網野氏と民俗学者の宮田氏の学問の盟友が切磋琢磨する白熱の徹底討論という趣向の本です。1998年に刊行された単行本の新書化で、ご両人ともすでに逝去されています。

映画『もののけ姫』は中世後期を舞台に山人集団と平地民の争いを題材にして、今日的なテーマを問題提起しているとか、神代の時代から機織や養蚕ははおんなの仕事で、実は相当な財力を持っていたとか、興味深い内容が並んでいます。

そんな中に上の一文があって、果樹生産は農業ではないという記述にドキッとしたわけです。網野氏の主張は、養蚕や果樹生産は山間の生業であって、平地の田んぼや畑の農業ではない。何でもかんでも農業に含めて「百姓=農民」という間違ったイメージができてしまって、「農業イデオロギー」でしか歴史を見えなくなっている、ということのようです。江戸時代には果樹生産や養蚕、漁撈は「農間稼」、つまり副業とみなされていて、山村や漁村が実態よりも低く評価されいるといいます。

なるほど、当然ながら今の時代でも、農家の暮らしを農業所得だけで評価して地域おこしなど企てようとするなら頓珍漢なことになりかねません。固定観念に縛られて物事をみてはいけませんと、またまた教えられました。