のらやま生活向上委員会 suginofarm

自然と時間を、都市と生命を、地域と環境を、家族と生きがいを分かち合うために、農業を楽しめる農家になりたいと考えています

社会共通資産としての農地を引き継ぐために (1/3)(のらやま通信256/1603)

2016年04月28日 | 農のあれこれ

TPP、農家のあなたはどう思うの?と問われることがあります。「農業者もある程度は国際的な自由経済の中で生き残りを図らねばならないとは思うけど、TPPのような外圧を待つまでもなく、日本の農業はすでに内部崩壊しつつあって、消費者の皆さんがこれから何を食べていくのかを考えた方がいいですよ」というような話をします。
 今、食料品売り場にいくと地場産のものだけでなく輸入されたものから植物工場でつくられたものまでいろいろ並べられていて、一見、豊かな食べ物があるように見えます。でも、どの店にいっても同じようなものが並んでいることに気がつきませんか。違う名前のスーパーマーケットであっても同じプライベートブランド商品であったり、いつも同じような野菜が並んでいたり…。実は農産物流通はすでに市場機能が失われ、少数の大手業者によって支配されています。均一な品質で大量に流通できるものしか店頭に出回りません。当然、生産側も大規模化して、売れるもの、効率的に作れるものだけを生産することになります。いつでもどこでも同じ農産物しか流通しない。言い方を換えれば、もしかすると食べたいものが食べられないのかもしれない。それって、空腹にはならないけれど家畜の給餌のように“食べさせられている”ことになりませんか。食べたいものを食べるには、自分で作るか、誰かに頼んで作ってもらうしかない。前者なら市民農園とか体験農園とか。後者なら提携とか、契約栽培とか…。
 農産物の流通がこういう状態ですから農家も変わらざるを得ません。市場が崩壊し米価も下落している。これまでなら兼業農家という選択もあったけど、これからは農業事業者として自立するか、離農するかのどちらかを選択することになる。農地も大規模経営に適した効率のよい農地しか守れない。最近の農政の大転換はこれらをさらに推進する方向です。30年前、私が就農する際、環境問題へのひとつの取り組みとして生活と経営が両立できる家族農業が理想という思いがありました。しかし、担い手不足や耕作放棄地など当時も課題とされた状況が、さらに深刻化しているように思います。

20年近く前、知人を介して我孫子の農家Hさんを紹介されました。}Hさんの家には中世の城跡でもある裏山と手賀沼に面した田畑があります。後継者もなく、自分も高齢化して維持するのが大変になってきた。JRの駅から歩ける範囲にあって開発圧力も高まっているが、なんとかこの環境を残したいということでした。Hさんの家のまわりは農村景観が残っているけど、その裏には住宅地が広がっています。朝夕や休日には多くの人が散歩しています。手賀沼と農地とそれに続く樹林地は周辺に暮らす街の人たちにとっても財産のはずです。だったら、街の人たちにもこの環境を維持管理してもらえるような仕組みをつくりましょうということになりました。1999年2月に「手賀沼トラスト」という任意団体が発足しました。実態はともかく大きな志を反映した名前にしました。
「手賀沼トラスト」の会員のうち農家会員は地主のHさんと私の二名。ほかはみな街の人たち。樹林地の下草を刈ろうにも刈払機を使ったことはありません。子供時代に田舎で農作業を手伝わされた経験があって、リタイアして時間にゆとりができたので土いじりでもしてみたいという方ばかりです。農作物栽培の基礎知識も持ち合わせていません。環境保全とは掛け声ばかりで担い手となる人材を育成するところから始めなければなりません。たまたま会員の中に大学農学部で先生をされていた方がいましたので、『農教室』を設け、その方に講師になってもらいました。







(農業を営む傍らここ20年ぐらいの間に取り組んできたことをまとめる機会があり、それを3回に分けて紹介します。     by mi)
(2016年3月)

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