のらやま生活向上委員会 suginofarm

自然と時間を、都市と生命を、地域と環境を、家族と生きがいを分かち合うために、農業を楽しめる農家になりたいと考えています

われらの街はわれらで守る(のらやま通信259/1606)

2016年06月25日 | わが家の時時
「別れ!」の掛け声により、2ヶ月間の練習とたった10分ほどの本番をやり遂げた。長く厳しい練習の成果をすべて発揮することはできなかったが、柏市で6位入賞という十分な結果を得ることができた。柏市消防団による第54回消防操法大会の記録だ。消防操法とは日本の消防訓練における基本的な器具操作・動作の方式で、第二次世界大戦後から主に消防団の訓練形式として行われているものだ。消防操法の存在意義の是非についてはいろいろあるがここでは述べないでおこう。
 私は本業のほかに地元の消防団に属している。現在、4年目だ。私の地区はまだ若い人がいるため任期2年で退団し、数年後再入団しまた任期2年というサイクルの形をとっている。近くの友人の地区では入団したら20年、30年が当たり前というところもある。まだ私の地区は恵まれている方だ。しかしながら任期2年の交代制も都市部への若年層の流出によりいつまでもつかはわからないところ。昔は消防団が地域に根ざした組織となっていたが、今は個人のプライベートが尊重され、昔ながらの「風習」は通用しなくなっている。
そもそも消防団とはどういうものなのか。通常は本業を別に持つ一般市民で構成されており、地方自治体における非常勤の特別職地方公務員となる。ただ公務員とは名前だけでボランティア団体に近い。消防署員の補助的な役割を担い、消火活動、救助活動、水防活動、防災の啓蒙活動等を行う。基本的には消防隊の後方支援であるが、時には消防本部の消防車より早く火災現場に駆けつけ初期消火や周辺住民の避難誘導を行う。「われらの町は、われらで守る」という強い使命感と郷土愛、助け合いのボランティア精神によって成り立っているものだ。
 2011年の東日本大震災では250人以上が消防団員として亡くなったという。防波堤の水門閉鎖や住民の避難誘導している最中に亡くなっている。記憶に新しい4月の熊本地震では熊本に住む消防団に属している学生時代の友人らが昼夜問わず住民の安否確認や行方不明者の捜索、道路の上の瓦礫撤去作業を交代しながら行っていたという。これらはやはり地元を、自分の暮らすこの町を、住民を守りたいという郷土愛からきているものだろう。私の任期中は今のところ地元の地区での大きな災害はないが、昨年の7月には近隣地区で柏市最大規模の火災、産業廃棄物の中間処理場の火災があり、12時間現場に留まったこともあった。その時の様子はまだ目の奥に焼き付いている。深夜0時を過ぎたころ外からサイレンの音が聞こえる。消防団員には消防署から一斉メールで火災現場の情報が知らせられる。自分の地区はもちろんのことその周辺の地区が火事であった場合でも応援として駆けつけることになっている。雨模様の真っ暗な夜空に染みわたる真っ赤な炎とグレーの煙、車で現場に駆けつけたときガラス越しに見たあの光景は忘れられない。現場ではありったけのホースを出してはつなぎ、署員の放水する最前線へと水を送った。交通整理等を行いながら消火の行方を見守っていたがなかなか消えず、朝にははしご車3台も登場し上方からの消火を試みていた。鎮圧するまで約半日かかりやっとのことで解散となった。その後完全に鎮火するまで2週間ほどかかったという当時新聞にも載ったほどの火災だった。
 「火災現場なんて消防署にまかせておけばいい」「消防団なんていらない、税金の無駄使い」こんな声をたまに聞く。柏市の消防署における統計を見ると、昨年の火災総件数は102件、救急総件数は18104件、救助総件数は284件にもなる。救急だけでみると49.7件/日、2.1件/時、30分に1回柏市内のどこかで救急車が走っていることになる。柏市の消防職員数433人、消防団員数は地域ごとに分けられた42分団に女性分団を合わせた計43分団、人員合計631人という。消防職員より消防団が多いのが実状である。これは全国的にみるとさらに顕著で消防職員約16万人に対して消防団員約86万と5倍近くの差がある。わが家の近くにも分署ができたが、その分署の人員はごくわずかしかいない。その分署の担当する区域内で救急車が出てしまったら、直後に火事があってもすぐに出られないのだ。少し離れた本署から駆けつけてもらうしかない。その点、消防団であれば地元で働いている人が半数以上なのですぐに消防小屋へ行き、消防車を発進させることができる。消防士には休日があるが、消防団活動は年中無休だ。手当は雀の涙ほど。現着後すぐ解散でも、12時間拘束されたとしても一律である。あくまでもボランティアだ。現場においては地域の現場をよく知っているから、水利がどこにあるか、地域住民の把握に素早く動ける。消火のプロフェッショナルの消防士よりも、消防団は地域住民にとっては役に立つこともあるという。
 現在消防団の人員は減っている。良い意味でも悪い意味でも「風習」による団員の体力的、精神的に負担が非常に大きく、自ら団員を遠ざけてしまっている現状もある。時代に応じた柔軟な組織運営が必要だと自治体・消防団が自覚すべきだと考える。                (co-sk)


好日や鈴音と舞の厄払い

2015年06月04日 | わが家の時時
地元のムラに残る講組織の新たな役員となり、
第一回目の代参に栃木県鹿沼市古峰神社までに行って来ました。

ヤマトタケルを祀る古峰神社は山岳信仰の一つと思われ、
東北地方から東京あたりまでの信者を集めているようです。
地元の講がいつの頃からの講組織なのか記録がありませんが、
神社境内に十年前に立てられた複数の石碑に
「開講百周年記念」というような文字があったり、
いろいろな交通事情を考えると、
明治の中頃、鉄道網が整備され遠方への行楽が比較的できるようになった頃、
山伏修験者が講を組織するよう全国を回った時に
地元のムラにも講がてきたのではないかと思います。

わがムラにもかつては
大山講、三峰講、富士講、出羽三山講などの講がありましたが、
今日まで続いているのはこの古峰講だけ。
距離的に最も近く、車で楽に日帰りできるからなのでしょう。

講の運営はいわゆる「頼母子講」あるいは「無尽講」。
講員が低額の掛け金を出し合い、当選者に一定の金額を給付。
代参と称して行楽に行かせる。
全構成員に行き渡ったときに解散して、新たな講を始めるという、
辞書的には「金銭の融通を目的とする民間互助組織」。
無尽と山岳信仰と地域コミュニティの醸成とを絶妙に組み合わせた仕組み。
わが地元はそれだけ遊び人が多かったのかもしれません。

厳かに代参し、お札を授かった後はお楽しみです。
今回は神社から山をひとつ越えた沢沿いにある前日光温泉つつじの湯。
鹿沼市営の日帰り温泉施設で、
晴天のもと露天風呂に入り、麦酒をいただいて、昼寝してと、
こざっぱりしたとても居心地のいいところで半日ゆっくりと過ごしました。
年間十万人を集めるのもさもありなんといったところ。

誰そ、彼は。一瞬輝く流星の如し

2015年04月05日 | わが家の時時
コンビニで思わず買ってきちゃったと
30年来のわが家のパートナーからコミック誌を渡されました
『課長 島耕作』シリーズや人間ドラマを描いた『人間交差点』の作者
弘兼さんの漫画家生活40周年記念の臨時増刊号でした
一冊まるごと、永久保存版弘兼ワールド、と銘打っています

二人ともかつては彼の描く物語に毎週のように癒されたり
最近はラジオパーソナリティとして親しんできた漫画家です
登場する男性や女性も魅力的です
この増刊号には彼の名作を収録している他
ゲスト漫画家10人が寄稿しています

妻であり作家である柴門ふみの寄稿が良かった
妻だから描ける話よね、といいます
ふーんと、ペラペラめくっていくと
「日常は続く。この先、このまま年老いてゆくのだろう」
「けど、臨終の時、まぶたに浮かぶのは、あの最後の恋」
というフレーズで終わっています

……こういう願望があるのか
……微妙です

読み終えたのをみて
30年後、ボケた旦那を描けるのって奥さんだからよね
と声をかけてきました
えっ?そんなストーリーだっけ?
よく話を聞くと次に掲載された漫画を柴門ふみ作と勘違いしたみたい
もうボケが始まっているようです

ゲスト寄稿では国友やすゆきの『最後の願い』が心に残りました

余命一年と宣告された男が
お互いに完璧なパートナー同士であった妻に
人生の最後に浮気をしたいと打ち明けます
その時、完璧な妻がとった行動とは

あとはコミック誌を買ってお確かめください

耕作放棄地解消最終作業

2015年02月04日 | わが家の時時
年末から年始にかけて取り組んでいた耕作放棄地解消作業
重機による作業も終えました
再び明日は雪になるとかで
ならば再び湿気る前にとはじめてトラクターを入れてみました



ほぼ平坦にはなりましたが
表面に篠や藤の根が残っており
何か作付けするまでには何度かトラクターが入っては
根や木屑を持ち出すという作業を繰り返さねば
ならないようです


凍空を光で隈取る東銀座

2015年01月09日 | わが家の時時
毎年恒例の学生時代の友人たちとの新年会
歌舞伎を見てきたわけではありません
地下鉄を利用しただけです

還暦を前に組織の役職を上り詰めるもの
健康を害するもの
孫との交わりを嬉しそうに話すもの
仕事を終えた後のことは考えられない
いまはただ休みたいと呟くもの

35年あまりの時の大きさを感じさせてくれます

あらあらこんなところで

2014年10月21日 | わが家の時時
二つの台風にも耐えてわが家の収穫期もほぼ終わりました
たまたま運が良かっただけですが
大きな被害もなくあと一日状況を見て
最後の「王秋」と「新雪」を収穫するだけです
多目的防災網の撤収もあと一日
梨農家が一年の中で唯一のんびりできる時期です

先日は幕張メッセの農業資材展示会に出かけました
明日からはわが家の母が
農文協読者の集い食品加工講座に参加して
話題提供もするそうです

そんなウキウキした気分があったせいか
こんなダイコンがあったよとみせてくれました

うまし酒うましご飯にうまし鮭

2014年10月10日 | わが家の時時
毎年、この時期になると北海道中標津から新鮭が送られてきます
30年来、お付き合いいただいている元会社の同僚だった方が
わざわざ取り寄せてくれます
お返しにわが家のナシと新米をお送りしています

また、先日は、ナシのお客さまにうちでは飲まないからと
美味しい焼酎をいただきました
普段ならとても手がでない高価そうな焼酎です
お返しに日持ちのする「王秋」をどうぞ

新鮭を送ってくれる方は、20年ぐらい前に
外国からのお客さまに日本の田舎を紹介したいと
わが家周辺の里道を歩きに来ていただきました

焼酎をいただいたお客さまは
ナシ代金を口座に振り込むこともできるのですが
わざわざ住んでいる都内から車で支払いにいらしていただいています
年に一度はこういう田舎に来てみたいのだそうです

外から見るとわが家はいいところに暮らしているようです
(悪いところとは思っていませんが)
見かけ上、ここ4.50年ぐらいほとんど変わっていません
都心から40km圏内でこういうところは希有なんでしょう

そういう魅力的に見える当地ですが
わが家の位置する200戸以上ある地区から
来年春の小学校に入る子がいないそうです
20年ぐらい前までは毎年、10人ぐらいは当たり前にいたのてすが
子供たちがいない地区になってしまいました
当然、その親世代が住んでいないのです

みんな、何とかしないと

僕の前に道はない 僕の後には道ができる

2014年09月18日 | わが家の時時


「いつかはクラウン」「いつかはベンツ」でないところが
スバリストの悲しい性というのは私だけでしょうか

「いつかはレガシィ」という気持ちがどこかにあったのでしょう
たまたま10年前のレガシィが下取りに出るという
現場に出くわしたのが運のつき
スバルの新顔がわが家に加わりました

初代ツーリングワゴン以来のレガシィです
遠き青春を惜しむかのように衝動購入してしまいました



サンバ踊るサンバー三羽一羽往く

2014年08月30日 | わが家の時時
わが家で10年以上活躍してくれた軽バンがわが家を巣立っていきました
前半は買い物に配達に子供たちの送迎にとわが家のメインカーとして
後半は祖父の手足として病院へ畑へと大活躍
その間に左前の角をぶつけてドアがゆがんでしまって雨漏りが…
それでも野良車としては人も運べる荷物も運べると十分使えましたが
所有車の見直しでリストラ対象に

ただの道具に過ぎないのですが
後輪二駆でありながらリアエンジンの特性をいかんなく発揮して
野良道も砂利道も上り坂もなんのその
頼りになる相棒でした
室内の広さも自慢でした

日常の買い物配達車は最終モデルのサンバーディアス(写真中央)
軽トラックは最終モデルのサンバーダンプ(写真左)と
合わせて三台のサンバーを所有していたのですが
こうして並んだ写真は最後になりました
といっても顔はほとんど変わらないので
自己満足な写真ではありますが


向夏お見舞い申し上げます

2014年06月03日 | わが家の時時
長崎の友人から枇杷が早々と届けられました
箱を開けるとふわっと初夏の香りが漂ってきました
こうして毎年
季節を感じさせてくれるものを贈っていただけるのは
たいへんありがたいものです

連日、真夏になったかのような日が続いています
まさかこのまま夏にはならないでしょうけど

はじめてのお手伝いはトラクター乗り

2014年04月27日 | わが家の時時
わが家の後継者君のパートナー君が野良仕事デビュー

ナシ畑の多目的防災網の掛け換え作業は人手が必要で
まずは楽な仕事ということでトラクターの運転をお願いすることに
ところが都会出身のパートナー君、車の運転免許も取り立て
前日、免許センターで合格したばかりで
はじめての自主的な運転がトラクターとなり
「義父さんはスパルタだ」ってさ
いえいえ、それだけ期待しているってこと

新しい網を棚の上に開いていくために
まず棚の上に二本のロープを引いて
それに網を結び付けて棚の端から引きずり上げます
棚の反対側から滑車を使ってロープをトラクターが引くという方法です