先週末、2泊3日で(福岡で前泊したので3泊4日か)、
長崎県対馬に行っておりました。
盛りだくさんの体験でしたのでいまだに頭の中が整理されておりません。
で、ここ数日、ブログをお休みいただきました。
留守にしたので農作業がたまってしまったという事情もあるのですが。
というのは、学生時代の知人が対馬でここ数年、
地域起こしのような仕事をしておりまして、
地元でエコツアーのようなものを検討しているので
そのモニターになってもらえないかという話があったわけです。
モニターといっても、経費は自分持ちです。
こういう機会でもないと
対馬という国境にまで出かけることもないだろうと奮発しました。
名付けて「対馬の自然と歴史・ツシマヤマネコと共生する国境をめぐる旅」。
要するに対馬のすべてを体験しようという欲張りツアー。
実際、島の北端から南端まで、海上から原生林の山中まで、
防人の時代から現代の韓国からの観光客事情まで、
“せんだんご”というサツマイモを発酵させた保存食品から
ヤマネコと暮らす米作りまで
はてさて、なにから紹介してよいのやら。
初日の午前中は上島と下島のあいだに広がる
日本有数のリアス式海岸を持つ浅茅(あそう)湾のクルージング。
湾の中はツアーにチャーターした船以外の波紋はみえません。
この船は本来、浅茅湾内の陸路の不便な海岸のむらをつなぐ定期航路船で、
一日2便の定期運行以外の時間を利用して観光運行されています。
いわば海上のバス。
陸路が不便だった時代の雰囲気をすこしだけ感じられました。
奥の深い入江は真珠の養殖が行われています。
近くの海岸には作業小屋があって、
毎日、別の海岸の村から通うそうです。
竜宮伝説がのこる和多津美神社の5つの鳥居のうち
二つの鳥居は宮島と同じように海中にそびえていました。
この山は663年、白村江の戦いで唐・新羅連合軍に敗れた日本軍が
国防の最前線として築いた城山、金田城跡。
西側に開いた浅茅湾の入り口にちかい半島にあります。
山の中腹には残存する石塁の印が線となってみえます。
藩政時代、水運を重視した対馬藩が
人工的に開削して大船越地区に航路を開設したことにより
それまで一つの島だった対馬が二つの島になったそうです。
その後、近代日本海軍が湾内の竹敷という漁村に司令部を置き、
軍艦が東側にも速やかに移動できるよう
明治33年、久須保地区で人工的に開削してもうひとつの瀬戸を作っています。
しかし、こういうところで体験してみたいのはやはりシーカヤックか。
もし再訪できたなら、次はぜひ。