千葉県銚子市が市民病院を閉鎖すると決定したら、それが日本全国に報道された。
マスコミはこぞって「なぜ市民病院を閉鎖するのか!」と銚子市を責め立てた。
医師不足と、18億円にのぼる累積赤字が閉鎖の理由である。
しかし、その理由については、マスコミは詳しく説明はしない。
とにかく、「なぜだ、なぜ閉鎖するのだ!」の大合唱である。
それに関する「朝ズバ」の報道を見たが、この番組でも、一貫して「入院患者が気の毒だ」とか「まことに非人道的なやり方」という論調を表面に出し、患者の家族らの悲しむ様子などが映し出されていた。このように、公立病院の閉鎖に関するニュースは、ほとんどが批判的な立場からなされているのが実情である。病院側を擁護するつもりはないが、どうも報道が一方的に過ぎるような気がしてならない。
その地域に大きな病院がなかったとしたら、公立病院をなくすわけにはいかないだろう。しかし都市部では救急医療などを行っている民間病院はかなりあるので、昔ほど公立病院が絶対的な役割を果たしている、とは一概に言えなくなってきた。
公立病院は、臨床医制度の実施などにより医師の確保がむずかしくなり、患者は減る一方である。でもかかる経費は同じなので、赤字もどんどん増えてくる。1日数百万円の赤字を出し続け、累積赤字が10億、20億となっていくと、民間会社ならとっくに倒産である。じゃぁ、なぜ倒産しないのか…といえば、それは、借金とその自治体の一般会計からの繰り入れ金があるからである。だから何とか崖っぷちに踏みとどまっていられるのだ。
経営が悪化している病院は、すでに瀕死の状態にある。このまま病院経営を続けていくと、病院の赤字を補填するために住民の税金がますます大量にそちらへ投入され、本来の行政運営……福祉や教育や生活環境や道路・下水道の整備などへ向けなければならない資金がどんどん流出していく。その結果、自治体そのものが財政破綻を来たし、夕張市のような赤字債権団体に陥る。そして行政サービスは悪化し、公共料金の値上げなども招き、住民全体に大きな不利益を与えてしまう。それを防ぐために、やむなく病院を閉鎖する…という苦渋の選択を強いられた、というのが実情であろう。
病院にも大きな責任があることは言うまでもない。ここに至るまでの病院経営の甘さが指摘されよう。しかし、民間病院のように、利潤を上げるために不採算部門を切り捨てたり、入院患者を半ば強制的に短期で退院させたりすることは出来ないという公立病院特有のハンディは避けられない。赤字を出しても、診療科目を縮小したり、救急部門を廃止したりすることはむずかしい。治療費を支払わない患者、退院を促されても病院に居座る患者、そしていわゆるモンスターページェントと呼ばれるような患者は、民間よりも、公立病院に圧倒的に多い。おまけに、公立病院は給料が民間病院より安いので、医師は来たがらない。そんな、ありとあらゆる不利な条件を引きずりながらも、とにかく経営を続けなければ、公立病院としての使命は果たしていけない、というジレンマの中で、常にもがいているのである。
病院経営がとことん悪化すると、立て直すのはほぼ不可能と言っていい。
最近、知人の方から「医療は再生できるか」(杉町圭蔵・著)という本を送っていただき、それを読んで、公的病院を改革するのは本当に難しいことだとつくづく思った。著者は九州中央病院の院長なのだけれど、赤字続きだった同病院を画期的な手法で一大改革をした経験をもとに、この本を書かれた。公務員的感覚でやる気のない仕事ぶりが蔓延していた病院内で、思い切った手法を断行し、活気のなかった病院を見事に再生させた人である。しかし、大学の医学部と密接な関係を保っていた分、医師の確保には苦労しなかったことは、恵まれていたといえる。ここのところが、最も大きなポイントになる。
僕は今年の5月、ウチの市の病院再建問題で、市議会議員団が長崎市民病院へ視察に行ったときに同行して、長崎市の病院建て直し対策の一部始終を聞いた。ここも、大変苦しい経営状態ではあったが、長崎大学の医学部と太いパイプを持っていたので、医師の確保だけは困らなかった。だから再建もうまく行ったのだろう。
医師が市民病院に来てくれない…というのが、公立病院の致命傷となっている。
銚子の市民病院の閉鎖は、過去の経営努力不足はむろん猛省しなければならないが、やはり、臨床医制度などをきっかけに医師が来なくなり、大きなダメージを受けたようである。事がここに至ってしまったからには、閉鎖は、止むを得ない選択であったと思う。市長は、まさに断腸の思いであったろう。
病院をこれ以上続けると、銚子市自体がもはや取り返しのつかない財政危機に直面しなければならない。その影響をまともにかぶるのは、銚子市民だ。病院を存続すると、そこが日々生み出していく赤字によって、他の政策が実現できないということを、マスコミもある程度理解してやらねばならないと思う。そこへ、銚子市長が、病院閉鎖の議決がされる直前に、ある議員に肉を贈ったとかなんとかというニュースでまたマスコミが騒ぎ立て、話の本質がそんな瑣末なことでボヤかされているのは、悲しいことである。
とにかく世間は、病院を閉鎖するということは「悪いこと」という観念が強い。
閉鎖は好ましくないが、市が生き残るためにはやむを得ない側面が大きいのだ。
(病院を持たない市町村には、そんな悩みはない。気楽なものだ)。
先週の日曜日に最終回を迎えたTVドラマ「Tomorrow」も、テーマは市民病院の閉鎖をめぐる話だった。しかし、実際のドラマでは、植物状態になった人間に、人工呼吸器をはずすかどうかという、尊厳死みたいなものが大きなテーマの一つとなっており、なぜ市民病院を閉鎖するのかという問題のほうは、今ひとつわけがわからなかった。病院をつぶして、そこを一大リゾート地域にしようという代議士の野望の下で画策されたことのように描かれていた。そんな理由で市民病院を閉鎖するような市長や代議士は、おそらくこの世には存在しないだろう(それと、代議士には市民病院を閉鎖する権限はない)。
ドラマのラストでは、ある事故をきっかけに医師や看護師、住民たちが結束して、閉鎖が決まった市民病院を再び復活するというあまりにご都合主義なハッピーエンド。その「いい人たち」に対して、「悪人」は、その代議士と、病院閉鎖を議決した市議会、ということになっていた。肝心の市長というのがほとんど出てこなかったし、副市長の陣内孝則は「善人」だったのがちょっと不思議であったが…。
まあ、銚子市民病院の一件や、こういうドラマを見ていると、病院を閉鎖することはとんでもない悪事で、中でもそれを決める市長や市議会は悪人中の悪人…みたいな印象を与えるけれども、そんな皮相的な見方だけで終わらせることのできる問題ではない…ということを、銚子市を超える累積赤字を抱えている病院を持つ市で働く者の一人として、僕は痛切に感じているのである。
病院問題は、ほんと、難しいテーマですね。
自分の中でもロクに考えがまとまっていないのに、背伸びして書いてしまいました。
市民病院に関する自分の仕事上の経験と、募る思いを述べたつもりでしたが、なんだかくそまじめになってしまい、慙愧に耐えません。
一から修行を積みなおし、出直してまいりまする。
僕の住んでいる藤井寺市にも、老朽化した赤字病院があります。
去年の市長選挙では、この病院を建て替えると公約した現職市長と、病院を新築したら夕張同然の赤字債権団体に転落するから建て替えるべきではないと訴えた対立候補の一騎打ちでしたが、結局病院を新築すると言った現職市長が敗れました。
市民病院に対する住民の認識も、このように、大きく変わりつつあるみたいですね。
日常生活の中で、自分の気持ちの中で、問題意識として中々捕らえにくいテーマです。
裏を返せば、自分の置かれている、自分なりの環境、自分の素養みたいなものが見えて来ます。
もっと問題意識を持たないといけないと、我ながら、少し反省です。まるで、対岸の火事のごとく、こんなテーマが見えてくるのはいけませんね。
tomorrowは見たことはありませんが、内容はともあれ、姿勢だけは評価できる気はします。
大量投薬や社会的入院や介護体制など、病院や研修医の育成に対する意識や常識を自治体だけでなく住民も改めなければならないと思っています。地域医療といっても都市部と過疎地ではその意味合いや医療機関の対応はもちろん異なるでしょうけれども、政策的に考えても病床数重視よりも予防・地域包括ケアをもっと重点に置かない限り医師不足や医療費の抑制など到底立ち行かなくなってしまう気がします。
などと医療問題に関して私は偉そうにコメントできる立場ではないのですが……。