当時の高知駅。僕の自転車が小さく写っています。
高知市では高知県市町村職員共済会館に宿泊した。
隣に県庁や市役所があり、後方には高知城もある。
翌日もよく晴れた朝であった。
そこから有名な「はりまや橋」まで遠くないというので、自転車で寄ってみた。しかしまぁ、…これがなんとも道路の隅っこの方にちんまりと存在する小さな橋だったので、驚いた。真っ赤な欄干もさほど目立たない。僕は橋に気がつかず、2回通り過ぎ、3度目に同じ場所戻ってきて、初めてわかったほどだ。
「♪ 土佐の~高知の はりまや橋で~」の「よさこい節」であまりにも有名だから、遠くからでもひと目でわかるような、目立つ橋だと思っていたのになぁ。
「日本三大がっかり」と言われる名所がある。
その第一位が、はりまや橋だと言われたりもする。
ちなみにがっかりの第二位は札幌の時計台と言われているが、これは建物そのものは雅趣に富むが、なにせ周囲がビルだらけなので、日本最古の時計台もビルの谷間に隠れてしまって精彩がない。それで損をしている。
(がっかり第三位は諸説のあるところで、定まっていないそうです)
…とまあ、はりまや橋にがっかりしながら、この日の目的地である足摺岬を目指してペダルを踏み始めた。
偶然にも「坂本龍馬生誕の地」の記念碑の前を通ったので、写真を撮った。
この場所で坂本龍馬が生まれたのか…
龍馬は1835年に生まれ、32歳で凶刃に倒れた。あまりにも短い生涯であった。
(NHK大河の福山クンは40代で老けすぎぜよ。イメージが合わん)
最近、生きているかどうかわからない超高齢者の住民登録のことが大問題になっているが、この龍馬(生きていれば175歳)よりまだ年上の人が「戸籍上」生きていることになっていた、というニュースを聞いてびっくり仰天した。
さてさて、そんなことを言っている場合ではない。
今回の旅行はこの3日目が最もハードで、高知~足摺岬は160キロ以上ある。
僕の脚力では120キロぐらいが限度だ。おまけに道中はとても起伏が多いらしい。
妻の3番目の兄は純吉という人だが、僕が高知~足摺岬を走ると聞き、
「高知から足摺…? おまえなぁ、何キロある思とるんじゃ」
あきれた表情で眉をひそめた。
「それに、須崎から窪川へ行く道は、ワシも何度も車で走ってるがなぁ。すごい坂道で、雲が下の方に見えるんやぞ。道路が雲の上を走っておるのだ」
そんなことを言っては、僕をビビらせるのであった。
この純吉兄は、現在は大阪に住んでいるが、高知の中村で生まれ育ち、中村高校の野球部員だった人だ。
今も中村には妻の親戚がいるし、純吉兄の養母(純吉兄は養子に出された)も、一人で暮らしているという。
「中村に行ったら、おかん(養母)に言うとくから、必ず家に寄るんやで」
純吉兄は、そう言って「がんばりや」と激励してくれた。
よ~し。今日は、とにかく気合を入れていかなければならない。
高知市街を抜けて、国道56号と33号の分岐点が近づいてきた。
国道33号は松山まで116キロとある。
国道56号のほうは中村まで110キロ、足摺までは162キロだ。
中村110キロ。足摺岬162キロ…。
あたかも「足摺岬までこんな遠いんだよ。中村までにしておけば…?」
と、その標識がささやいているようにも見える。
しかし、足摺岬にはぜひ行きたい。
この旅行では、最大の見所だと思っている。
すでに「足摺洞門閣」という旅館に宿泊申し込みをして、予約金1,000円も払い込んでいる。なんとしても今日は足摺岬まで走らなければ…。
午前8時20分。須崎に着く。ここまでは、道路の舗装が悪くて走りにくかったが、起伏はそれほどでもなかった。もっとも、兄が僕をビビらせたのは須崎から窪川までの「雲の上の道」である。勝負はこれからぜよ。
当時の日記をそのまま書き写すと…
須崎から窪川までの間は、純吉兄が言った「雲が下の方に見える」のはいささかオーバーであったけれど、9年ぶりのサイクリングの苦痛がありありと蘇ってくる難路で、いくつトンネルを過ぎても、いくら上り坂をカーブしても峠のてっぺんらしいところは見えてこない。道路の遥か彼方はここよりまだまだ高くなっていて、その高い山の雑木の中を、斜めに一筋の白いガードレールが斜めに延びている。あんなところまでまだ走るのかと思うと、苦しさよりも馬鹿らしさが先立つ。ボタボタと汗がハンドルを濡らす。真夏の陽光は容赦なく照りつけ、喉はネバネバ、犬のように舌をだらりんと出して、よっこらよっこらと走る。一度自転車から降りてしまうと、癖になって、少しのことで降りて押してしまう。すっかりダラケた走行になってしまった。
…と、そんな具合に書いている。
しかし、その苦しみも、やがて頂上らしいところに着いたとたんに、一気に吹き飛んでしまう。
駐車場付きの展望場があり、ふと見ると、若くてきれいなお姉さんがアイスキャンデーを売っていたので、ためらうことなく買い、しゃぶりついた。ついでにお姉さんにもしゃぶりつきたいところであった(何を言うてるねん…?)
ここから窪川に向かって、下り坂であることは違いないのだが、思ったほどスリリングに下る…というふうにはならない。ゆる~い下り坂だ。
窪川のスーパー「みやた」というところで自転車を止め、冷やしソーメンパック、コロッケ、ジュース、オレンジゼリーなどを買い込み、道路脇の日陰の場所を選び、そこへ座り込んで食べる。
こんなことをしているけれど、いま僕の職場ではみんなネクタイを締めて仕事をしているのだ…と思うと、なんだか不思議である。自分だけが、別次元の世界をふわふわ漂っているのである。
まあ、あと1週間もしないうちに、また、毎日を判子で押したような変化のない勤務生活に戻らなければならないのだから、今を楽しんでおこう。…とはいえ、あのクーラーの効いたオフィスに早く戻りたいなぁ、とも思ってしまう軟弱な僕なのである。
さて、窪川からずっと下るものだと思っていたら、以外にも、また上り坂になった。どないなってんねん! と叫びたい気持ちだ。
上り坂がだんだん激しくなったと思ったら、「峰の上峠」というところに到着した。ここが正真正銘のヤマ場だったのだ。やったぁ、ついに登りきったぞ~、バンザーイ…と快哉を叫ぶ。
胸のすくような下り坂をスイスイと下り、12時半にようやく山の中から出て、海岸線に沿った道になった。
浜辺に自転車を放り出して、海水パンツに着替えて海の中へじゃぶじゃぶと入る。しかし下は砂ではなく、岩ばかりだった。一人ではしゃいでいるうちに、足の裏を何ヶ所か切ってしまったので、あとはじっとして、露天風呂に入っているような具合で、30分間ほど海水に浸かっていた。
入野松原というところでジュースを買うと、店のお婆さんが「学校へ行ってるだか? 中学生か? 高校生か?」と聞いてくる。「勤めてますねん」と答えると、お婆さんは「ほ…?」と意味不明の言葉を吐いた。
中村駅には午後2時15分に着いた。
前回も書いたが、現在は四万十市となって、中村市の名称は消えた。
市町村合併で次々と思い出のある地名が消えていくのは寂しい。
中村の中心地の商店街に、純吉兄の「竹馬の友」という男性がスポーツ店を経営しているそうである。
「まず、そこに電話したらええ。おかんの家、教えてもらえるから」
と純吉兄から言われていた。
僕は駅から、その「竹馬の友」というタムラさんに、電話をかけた。
電話に出たタムラさんは、純吉兄から話は聞いていたらしく、
「よう、早かったなぁ。まずうちへおいで」と声を張り上げた。
スポーツ店の場所を教えてもらい、そこへ行って、タムラさんに、純吉兄の養母カズおばさんが住んでいる家まで連れて行ってもらった。
カズおばさんは、ちょうどお昼寝中だったが、タムラさんに起こされた。
「来られましたよ~、お客さんが」
タムラさんの声で目を覚ましたカズおばさんは、ニコッと笑い、
「あ、よく来てくれましたね。とにかく今夜はここへ泊まりなさい」
と、すばやくタオルと石鹸の入った風呂桶を出してきて、向かいの方向を指差し、「あそこにお風呂屋さんがあるからね。さ、早く汗を流しておいで」
そう言って、僕の自転車を自分の家の中に入れるのであった。
「え~、あの~、僕は、あ、あしずり…」
「え、足を…? 足をすりむいたの…?」
「いえ、違います。きょうは、あの~、足摺岬まで…行く予定で…」
「何を言ってるの。あんな遠いところまで、自転車では行けんよ」
カズさんは全然取り合ってくれず、僕はこの瞬間、足摺岬はあきらめた。
その日の夕方、どれだけのご馳走を呼ばれたことだろう。
肉の炒めもの、ヨコワのお造り、目玉焼き、「小僧寿し」で買ってくれたお寿司、ソーメン、その他、テーブルに並びきらないほどの食べ物が出た。しかもカズおばさんは、体が悪いからと、ほとんど何も食べない。
さらに「純吉が来たときしか開けないので」と、冷蔵庫からビールの大瓶を何本も出してきて、次から次へと栓を抜いてくれる。
食事を終えたときには、しばらくその場を動けなかったほどだ。
社会人になって、これほどの量を食べたのは、おそらく初めてだろう。
夜、おばさんに連れられて、僕の妻の親戚夫婦が入所している近くの老人施設を訪れた。おばさんは、その親戚夫婦に「やっちゃんの旦那さんやで」と僕を紹介してくれた。やっちゃんとは、僕の妻のことで、この人たちも妻の小さい頃からよく知っているそうだ。しかし、親戚の夫婦は口をそろえて、「おお、そうかい、シズちゃんの旦那さんか…? それはそれは…」
と言うので、おばさんは、
「シズちゃんと違う。やっちゃんやで、やっちゃんの旦那さんよ」
シズちゃんとは、妻の姉である。
「おお、そうか、シズちゃんと違う…? ユキちゃんの旦那さんか…?」
ユキちゃんというのも、妻の姉である。
「ユキちゃんと違うのよ。やっちゃんや、やっちゃん。この人はやっちゃんの旦那さんよ」
「おお、そうか……やっちゃんか」
施設を出て、帰り道、一条神社というところに寄り、おばさんは、僕が無事に大阪に帰れるように、と祈願してくれた。
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足摺岬まで、あと40キロだったが、旅館はキャンセルした。
翌日は、そのまま中村から宿毛を経由し、宇和島方面へ向かった。
結局、足摺岬は、この自転車旅行では幻に終わった。
それから18年後の1996年。四万十川100キロマラソンに出場したとき、レースを終えた翌日に足摺岬まで行って1泊し、やっと念願を果たせた。
ちなみに四万十川100キロマラソンは、中村がスタート&ゴール地点である。
しかし、そのときはすでに、カズおばさんは亡くなっていた。
行きたい場所へは、またいつか行ける日も来るだろう。
しかし、人との出会いは、そういうわけにはいかない。
カズおばさんに中村で泊めてもらった一夜は、その時でなければ経験できなかったものであった。無理をして足摺まで行かなくて良かったと思う。
僕も、この自転車旅行で中村へ行くまで、妻の兄や姉たちに、中村のことを何度聞かされたか分かりません。しかも、四万十川とセットでした。いっしょですね。
そして、中村市が四万十市になったのですから、アナザービートルさんが今から行かれても、どこが中村なのか…?よけいにややこしいですよね。
その四万十川は日本一の清流だそうですね。
僕たちの近くを流れる大和川は、日本で一、二を争う汚れた川と言われているのと対照的ですな~。とほほ。
九礼の坂…ではなく、久礼の坂でしたね。
お詫びして訂正します。
許して久礼!
足摺岬は断腸の思いであきらざるを得なかったのですが、まあ、あの状況では仕方ありませんでしたよね。
いつも旅行記を読んでくださってありがとうございます。
ふだんの「のん日記」とは勝手が違い、当時の日記を読み返してダイジェストにまとめたり、古い写真をスキャンしたり、何やかやと手間取るのですが、こうして温かい眼で読んでくださる方がいらっしゃるのだと思うと、大きな励みになります。
日本がっかり名所の代表格が、はりまや橋と時計台ですが…
コメントをいただいたのも、高知県出身のakiraさんと、北海道産まれののこたんさん…というのも、何か面白い偶然ですね~
そういえば、そんなふうな地名でしたね。
「自転車なんぞで走れる道と違う」と、妻の兄からさんざん脅かされていましたので、何とか行けたのは心の準備が出来ていたからだと思います。
九礼坂トンネルにまつわるお話…というのは、もしかして怪談話ですか?
僕は怖がりですから、暑さしのぎどころではありませんよ(笑)。
それにしても、はりまや橋は、なぜあんなに有名なのでしょう。
別にはりまや橋に責任があるわけでもないし。
「がっかり名所」などと呼ばれると、橋もさぞかし不本意でしょうね。
「みんなが勝手に名所やと言うてるだけじゃ~!」と叫びたい気持かも。
地元のakiraさんでもただの地名だと思っていたくらいですものね。
しかし「がっかり名所」でまた二重に有名になるんですから、いいのやら、悪いのやら…
私も高知には何度か行きましたが、果たして中村に寄ったのか、寄らなかったのか、定かではありません。なんとも頼りない旅人です。
それにしても昔のカラー写真、歴史を感じますね。思わず釘付けになります。
「すっごーい。足摺岬までいったんダー。」と思って読んでいたら・・・
18年後でしたか(ナイス)
でもでも、のんさんの奥様すご~~い。
しっかり理解して送り出してくれるなんて・・。
のんさんの旅行記を読みながらいつも感心するのは、人と人の出会い・つながりです。
これも、のんさんのお人柄なのでしょうね。
札幌の時計台はガッカリしたでしょうね。
北海道産まれの私もそう思います。
私は今までに一度しか行った事がありません。足摺岬といえば、断崖絶壁で自殺の名所となっていたらしいですが、そこも見てなくて水族館だけ見て帰りました。だから岬自体は行った事がないです。
中村駅って、こんな駅があったのですね。
中村方面と松山方面の分岐点の写真も、ここはどこだろう。。と記憶をたどりますが、私にはわかりません。わかるのは、マッチ箱と言われた旧高知駅の写真だけです。笑
須崎から中村までの峠は、おそらく久礼の峠の事だと推測しますが、あの峠を自転車で越える。尋常じゃありませんよ。笑!
のんさんは、やっぱり鉄人です。
その頃、のんさんとお話できる身分であれば、久礼坂トンネルにまつわるお話でも聞かせてさしあげたのに。。
暑さも、少しはしのげたかもですよ。笑
ちなみに、はりまや橋はいつまでたってもガッカリ名所ですね。今もそうです。あんまりだからと、1千万だったか、はりまや橋の前に”からくり時計”を作ったけど、それを見た地元民は、わざわざがっかり名所を増やしたのか?と言っておりますし。笑
はりまや橋を探すのに苦労したのもよくわかります。
私も学生時代、毎日はりまや橋付近を通っていたにもかかわらず、はりまや橋ってただの地名と思っていましたから。(^^ゞ