グアムで起きた日本人旅行者殺傷事件は、背筋が凍るほど慄然とする。
…と同時に、まさかあの安全なグアムで、あり得ないことが起こった…という思いも交錯する。
グアムには2回行ったことがあるけれど、のどかな田舎町で、いかにもゆったりとした平穏な島…というイメージが強く残っている。
観光客の7割から8割が日本人だということだが、僕の実感では、日本人以外の観光客を見つけるのがむずかしいぐらいで、9割以上が日本人ではないかと思われるほどだ。
街の中は英語より日本語の表示のほうが圧倒的に多いし、むろんどこへ行っても日本語が通用する。まあ、カタコト以上の日本語はわからない店員さんなども大勢いるが、それでも、こちらが身ぶりを入れてゆっくり日本語で話すと、それで十分に相手に通じるから心配はない。
日本から3時間半で行けるし、時差もわずか1時間。ホテルの宿泊客もほとんど日本人だし、部屋でテレビの4チャンネルをつけると日本のNHK総合テレビが映る。とにかく海外という違和感が全くないのがグアムというところだ。
で、先に「のどかな田舎町」と書いたのは、ホテル従業員の人が「グアムというのは辺鄙(へんぴ)な田舎なのです」と言ったことが頭にあったからだ。
僕がホテルから日本へ電話をしようと思ったら、直通は駄目でオペレーターを通してしかできないと言われた。それまでロンドン、マドリッド、ウィーンなどで、公衆電話から直接日本へ電話できたのに、グアムはそれができない地域だった。ホテル従業員は「ここは田舎ですからねぇ」と苦笑いしていた。(海外通話ができる携帯電話が、まだ普及していなかった頃の話です)
また、観光客の多くは、グアムで随一(…というか唯一)の繁華街であるタモン地区にあるホテルに宿泊し、その周辺に免税店やレストラン、遊技場、水族館、土産店、コンビ二などが集中している。
だからメインストリートの歩道も、日本人で混雑する。
そんな中心地の交差点の信号が、「押しボタン式」なのだ。
交差点で何十人もの日本人が信号が青になるのを待つが、なかなか青に変わらない。人が歩道に溢れてくる。その観光客の群を目当てに、日の丸の鉢巻きを巻いた男や若い男らが「射撃」とか「足裏ツボマッサージ」のビラを配って客引きをする。これらの男たちが時間を見計らってサッと信号のボタンを押したりしているので、大半の日本人は「押しボタン式」ということに気がつかない。僕も最初はわからなかった。
僕はその翌日、早朝ジョギングで人通りのない時にこの交差点へ走ってきた。しかし信号はいくら待っても赤のまま。不審に思ってその辺を調べると柱にボタンがあったので、それを押すと青に変わった。それで初めてここの信号が「押しボタン式」だということがわかったのだ。グアムの中でも最も人々で混雑する交差点でさえ、これである。ハワイのホノルルなどと比較しても街の規模が全然違う。言い換えれば、グアムはそれだけ素朴な土地柄だとも言える。
そして、グアムは治安がいい、というより、元々「悪い人」などいない、のんびりとした平和な島…という空気に満ちており、ここに41年間住んでいるという日本人男性も、テレビのインタビューで「これまで“事件”というものは起きたことがなかった」と語っていた場所である。
まさに家族連れで気軽に安心して行ける最もふさわしい海外がグアム、ということになっていたはずだ。
今回の事件はそうしたイメージからも、本当に信じられない出来事だった。
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うちの次男夫婦が結婚式を挙げたのもグアムだった。モミィを生後7ヶ月のときに連れて行ったのもグアムである。モミィが宿泊ホテルのプールで、浮き輪に乗って浮かんでいる写真を、過去のこのブログでも紹介したことがある。そのホテルというのが、今回の事件が起きたABCストアのすぐ隣にあるグアム・リーフホテルだった。
そういうことなので、このABCストアには、僕も何度か行っている。
ある時、このABCストアでミネラルウオーターを買った。値段は約80セントで、他の店より安かった。レジに持って行くと、店員さんは「99セントでもっと大きなボトルがありますよ。おトクです」という意味のことを言い、レジを離れて売り場まで行き、すごく大きいボトルを持って戻ってきたのである。
そんなほほえましい体験を味わったお店が、まさかこんな凶悪犯罪の舞台になってしまおうとは、およそ想像もできなかったことだった。
毎日少しずつ、事件の詳しい状況が明らかにされつつあるが、今朝の情報では、犯人は元恋人に恨みを持っており、彼女を襲撃するのが目的だった、とも伝えられている。しかしそのあと、なぜABCストアに乱入して、刃物で無関係な人々を次々と刺したのかは…まだ不明である。
グアムの観光地でもこんな凶悪な犯罪が起こるのだから、治安的、風土的にいくら安全と言われる場所でも、たった一人の仕業によって安全神話はあっけなく崩れるということだ。どこにどんな人間が潜んでいるかわからない。
…それにしても、亡くなられた方々は、あまりにもお気の毒で、そのことは、今、ここに書くに忍びない。
ご冥福をお祈りするばかりです。
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