妻と大変仲が良く、僕も大好きだった妻の姉が、一昨日の7月9日(日)に入院先の病院で亡くなった。
このブログでも「義姉」とはよく海外旅行へ3人一緒に行ったことや、梅田のバイキングに行ったことなど書いてきたけれど、それだけ親しい付き合いをしてきました。
ところが、義姉には、去年くらいからいくつかの症状があった中で、一ヶ月前に容態が悪化して病院へ緊急搬送されたと、東京に住む長女(つまり妻の姪)から妻にメールが入っていた。
姪の美〇ちゃんは僕も小さい時から知っている子で、学校卒業後は一人で東京に出て、今も六本木にある会社で働いているキャリアウーマンです。
義姉には3人の子がいるが、みんな家を出ており、以来ず~っと旦那さんと二人暮らし。
(ちなみに旦那さんは今、かなり心身が弱っており、外出も難しい状態だと聞いています)。
一番上の長男は東京の病院で働く外科医。その下の長女が美〇ちゃん。その下の次男が、このブログで何度も書いていますが、アルゼンチンに住みブエノスアイレスのレストランでシェフをしているヒロユキです。だから義姉はもう何十年も夫婦二人暮らしなのです。
さて、この中で一番多く大阪に帰省して、両親の心の支えになっているのが美〇ちゃんで、今回の入院でも、仕事の合間に大阪に駆けつけ、その都度医師から病状の説明を受け、何かあるごとに主治医は東京の美〇ちゃんに連絡をしていたという。
その9日の日も、昼頃、主治医から東京の美〇ちゃんに電話があったのですが、内容は「お母さんの容態が急変しました、すぐに大阪に戻って来てください」というもので、それで美〇ちゃんは急きょ僕の妻に電話をしたのだった
電話を受けた妻はすぐに支度して家を出て、大阪城の近くにある病院へ駆けつけ、日曜日で遊びに行っていたモミィにもそこへ来るように連絡。一方僕は、洗濯物を入れたり片付けをしてから、病院に向かった。
妻と椛と合流して病院の待ち合いへ行き、やがて新幹線で戻ってきた美〇ちゃんと会って、主治医に集中治療室に案内され、中にいた義姉に面会した。
面会と行っても、すでに義姉は呼吸をしていなかった。
美〇ちゃんをはじめ、妻、そして義姉に可愛がってもらった椛も涙ぐんでいた。
この瞬間に死亡が告げられました。その後、義姉の長男が東京から駆けつけ、日が変わった10日の午前1時か2時頃に葬儀業者が来て、車で葬儀場へ行き、狭い部屋に安置され、僕ら5人がそばに座った。
葬儀場との打合せの結果、明日11日にお通夜、翌12日の午前から告別式ということが決まった。
僕ら3人は10日午前5時半に葬儀場を出て7時前に帰宅。数時間寝て、昼食後、今日から葬儀場で2泊するので衣類などの荷物をまとめ、午後に再び葬儀場に行って、まだ安置室にいた東京の2人に、父親のいる近くの実家へ戻って体を休めるように言った。
で、昨晩は、僕たち3人が安置室で過ごした。
そして今日(11日)、昼に美〇ちゃんがきて、そのあと遺体は安置室から葬儀式場に移され、僕らもその隣にある旅館のような広い部屋に案内された。お通夜のあとの晩餐や寝るのはここだという。
いま、11日の午後4時前。部屋の中でスマホでこのブログを打っています。
お通夜は6時頃から始まるそうです。
ちなみに家族葬なので、人は集まってきません。