現在人類が飼育する動物の中でも、犬は飛び抜けて古い歴史を持つ。 犬が飼われるようになったのは約3万年前といわれるが、その次の家畜は山羊と羊で約9000年前、次は豚と牛、更に5000年程前に馬、という順だったそうだ。 猫が飼われるようになったのは、これまでは4000年前とされていたが、最近の発見で一挙に9500年前まで遡った。
犬を飼う部族人種にしても、他の動物と比較して圧涛Iに多い。 本家のユーラシア大陸は勿論のこと、南北のアメリカ大陸(ベーリング海峡を通ってアジアから渡ってきた)、アフリカ大陸、それにオーストラリアなど、地球の全ての大陸で犬が飼われている。 アマゾンの最奥の秘境でさえ、犬がいるのだ。
馬を見たことがない部族や羊を飼ったことのない種族は沢山あるだろうが、犬を見たことのない人間なぞ、想像すらできない。 それほど犬は太古の時代から人間とあったのだ。
不思議なのは、「なんで犬はこれほどまで人間を愛するのだろう?」ということだ。
犬科の動物は群れをなして暮らしているので、リーダーの命令には絶対的に服従する。 人間はそのリーダー(アルファドッグ)ということで、人間には服従する、とものの本には書いてある。
しかし、それだけでは自分の生命を捨ててまで主人を守ろうとする、犬たちのあの強い愛情は説明できないと思う。
犬の意志表示の方法として、成犬がリーダー犬の口をなめるのは、「狩りに行こう」というものであり、子犬が親犬の口をなめるのは、「ごはんちょうだい」というものだという。
犬が飼い主の口をなめたがるのは、この「ごはんちょうだい」の愛情表現なのだろう。 2ヵ月(人間でいえば1歳程度)の小さい頃から、食事を与え、身の回りの世話をやき、危険から守ってくれる飼い主は、犬から見れば親そのものだ。 強い愛情と信頼を持つのも当然だろう。
野生の猛獣でさえ、ごく幼い頃から育てると、飼い主には強い愛情を持つ。 「野生のエルザ」がその代表例だが、他にもトラやヒョウをペットにする人もいるようだ。 但し、犬と違って野生動物は、飼い主には馴れても、他の人は容易には近寄せない、といった違いはある。
又野生動物が馴れるのは、あくまでも幼獣の頃から育てた場合のみで、成獣になってから飼育しても、人間に馴れるのはまず不可能だろう。 このあたり、成犬になってからでも、容易に人になつく犬とは、大分違う。
明治の中頃のことだが、当時まだ絶滅していなかった日本狼と犬のあいのこを育てた人がいたそうだ。 その人の手記によると、その狼犬(ウルフドッグ)は、「疑い深く臆病で人に馴れず攻撃性が高いという、犬と狼の欠点のみを受け継いだような存在」だったという。
最近日本でもアメリカ原産の狼犬を飼う人がかなりいるようだ。 私もTVでこの狼犬を見たが、狼の血が95%というほとんど狼そのものの「犬」のおとなしく人なつっこいこと、呆れるばかりだった。 共演(^^;の女性タレントさんの顔をペロペロとなめ、尻尾をふりまくって愛嬌をふりまいていた。 この狼犬君が他の全ての出演者を完璧に食ったことは勿論である。
この狼犬の振る舞いはどう見ても犬そのものである。 日本の明治の例と比べるとあまりにも違いすぎる。 この違いはどこから来ているのだろうか。
ひとつ考えられることは、前に書いた明治の人は、非常に犬が好き、というわけではなかったのではないか。 狼と犬のあいのこの観察と研究のために、特に愛情を注ぐこともなく、ただ事務的に育てた、というだけだったではないだろうか。 どんな犬(犬に限らず動物は全て同じだが)でも愛情を注ぎ可愛がらなければ、絶対になつかない。 それが前述のような狼犬の性格となって現れたのではないかと、私は考えるのである。
とはいえ、狼犬本来の性格は、やはり「攻撃性が高く中々他人にはなつかない」というものらしい。 WEB上で「狼犬」で検索すると、相当数がヒットするが、大半の飼い主の方々はそのように書いている。
私の犬についての最初の記憶は、母の背におぶさって足下を見ると犬がいた、というものだが、これは恐らく3.4歳位の時だろう。 従ってその後ウン十年犬を飼っていたことになるが、今でも全ての犬の鮮烈な記憶が残っている。
時々自分でも不思議に思うことがある。 「なんでこんなに犬が好きなんだろう」と。 パソコンの壁紙や携帯の待ち受け画面にも、ゴールデンの子犬のCGを使っているし、カレンダーの絵柄も犬のものだ。 もしかしたら、私の遺伝子には犬の遺伝子が相当量紛れ込んでいるのかも知れない。(笑)
まことに残念なことだが、私は今現在は犬を飼っていない。 犬を飼うにはそれなりの覚悟と責任が必要だ。 犬は単なるペットではないし、道具でもない。 可愛い時には猫かわいがり(犬かわいがり?)に可愛がり、飽きればぽいと投げ捨てるというのは、あまりにも無責任で、このような人たちには犬を飼う資格などない。
ひとたび犬を飼ったなら、犬の幸せのために(自分の幸せの為ではない)最大限の努力を払う責任があり、一生その犬と共に生きる覚悟が必要だ。 それが出来ないという人は、犬は飼わないことだ。 それが犬にとっても幸せである。
一人暮らしや体力の衰えの自覚という状況もあり、現在の私にはその責任を全うする自信がない。 よって犬を飼わないのだ。 とはいえ時々誘惑に負けそうになることもあるが・・・
犬を飼う部族人種にしても、他の動物と比較して圧涛Iに多い。 本家のユーラシア大陸は勿論のこと、南北のアメリカ大陸(ベーリング海峡を通ってアジアから渡ってきた)、アフリカ大陸、それにオーストラリアなど、地球の全ての大陸で犬が飼われている。 アマゾンの最奥の秘境でさえ、犬がいるのだ。
馬を見たことがない部族や羊を飼ったことのない種族は沢山あるだろうが、犬を見たことのない人間なぞ、想像すらできない。 それほど犬は太古の時代から人間とあったのだ。
不思議なのは、「なんで犬はこれほどまで人間を愛するのだろう?」ということだ。
犬科の動物は群れをなして暮らしているので、リーダーの命令には絶対的に服従する。 人間はそのリーダー(アルファドッグ)ということで、人間には服従する、とものの本には書いてある。
しかし、それだけでは自分の生命を捨ててまで主人を守ろうとする、犬たちのあの強い愛情は説明できないと思う。
犬の意志表示の方法として、成犬がリーダー犬の口をなめるのは、「狩りに行こう」というものであり、子犬が親犬の口をなめるのは、「ごはんちょうだい」というものだという。
犬が飼い主の口をなめたがるのは、この「ごはんちょうだい」の愛情表現なのだろう。 2ヵ月(人間でいえば1歳程度)の小さい頃から、食事を与え、身の回りの世話をやき、危険から守ってくれる飼い主は、犬から見れば親そのものだ。 強い愛情と信頼を持つのも当然だろう。
野生の猛獣でさえ、ごく幼い頃から育てると、飼い主には強い愛情を持つ。 「野生のエルザ」がその代表例だが、他にもトラやヒョウをペットにする人もいるようだ。 但し、犬と違って野生動物は、飼い主には馴れても、他の人は容易には近寄せない、といった違いはある。
又野生動物が馴れるのは、あくまでも幼獣の頃から育てた場合のみで、成獣になってから飼育しても、人間に馴れるのはまず不可能だろう。 このあたり、成犬になってからでも、容易に人になつく犬とは、大分違う。
明治の中頃のことだが、当時まだ絶滅していなかった日本狼と犬のあいのこを育てた人がいたそうだ。 その人の手記によると、その狼犬(ウルフドッグ)は、「疑い深く臆病で人に馴れず攻撃性が高いという、犬と狼の欠点のみを受け継いだような存在」だったという。
最近日本でもアメリカ原産の狼犬を飼う人がかなりいるようだ。 私もTVでこの狼犬を見たが、狼の血が95%というほとんど狼そのものの「犬」のおとなしく人なつっこいこと、呆れるばかりだった。 共演(^^;の女性タレントさんの顔をペロペロとなめ、尻尾をふりまくって愛嬌をふりまいていた。 この狼犬君が他の全ての出演者を完璧に食ったことは勿論である。
この狼犬の振る舞いはどう見ても犬そのものである。 日本の明治の例と比べるとあまりにも違いすぎる。 この違いはどこから来ているのだろうか。
ひとつ考えられることは、前に書いた明治の人は、非常に犬が好き、というわけではなかったのではないか。 狼と犬のあいのこの観察と研究のために、特に愛情を注ぐこともなく、ただ事務的に育てた、というだけだったではないだろうか。 どんな犬(犬に限らず動物は全て同じだが)でも愛情を注ぎ可愛がらなければ、絶対になつかない。 それが前述のような狼犬の性格となって現れたのではないかと、私は考えるのである。
とはいえ、狼犬本来の性格は、やはり「攻撃性が高く中々他人にはなつかない」というものらしい。 WEB上で「狼犬」で検索すると、相当数がヒットするが、大半の飼い主の方々はそのように書いている。
私の犬についての最初の記憶は、母の背におぶさって足下を見ると犬がいた、というものだが、これは恐らく3.4歳位の時だろう。 従ってその後ウン十年犬を飼っていたことになるが、今でも全ての犬の鮮烈な記憶が残っている。
時々自分でも不思議に思うことがある。 「なんでこんなに犬が好きなんだろう」と。 パソコンの壁紙や携帯の待ち受け画面にも、ゴールデンの子犬のCGを使っているし、カレンダーの絵柄も犬のものだ。 もしかしたら、私の遺伝子には犬の遺伝子が相当量紛れ込んでいるのかも知れない。(笑)
まことに残念なことだが、私は今現在は犬を飼っていない。 犬を飼うにはそれなりの覚悟と責任が必要だ。 犬は単なるペットではないし、道具でもない。 可愛い時には猫かわいがり(犬かわいがり?)に可愛がり、飽きればぽいと投げ捨てるというのは、あまりにも無責任で、このような人たちには犬を飼う資格などない。
ひとたび犬を飼ったなら、犬の幸せのために(自分の幸せの為ではない)最大限の努力を払う責任があり、一生その犬と共に生きる覚悟が必要だ。 それが出来ないという人は、犬は飼わないことだ。 それが犬にとっても幸せである。
一人暮らしや体力の衰えの自覚という状況もあり、現在の私にはその責任を全うする自信がない。 よって犬を飼わないのだ。 とはいえ時々誘惑に負けそうになることもあるが・・・