ベラルーシの部屋ブログ

東欧の国ベラルーシでボランティアを行っているチロ基金の活動や、現地からの情報を日本語で紹介しています

チロ基金の活動「ビタペクト2&『放射能と栄養』無料配布・SOS子ども村 第89回」

2009-04-20 |   ビタペクト配布活動
 4月20日にビタペクト2と「チェルノブイリ:放射能と栄養」のコピー無料配布運動として、SOS子ども村への第89回目の配布を実施いたしましたので、ご報告いたします。
 今回はビタペクト2を10個、そして「放射能と栄養」のコピーを10部渡しました。
 これで今までに配布したビタペクト2は合計1590個、「チェルノブイリ:放射能と栄養」のコピーは1280部となりました。
  
 今回で通算99目のビタペクト2の配布となりました。
 のべ人数になりますが、現時点で1590人分のビタペクト2、そして1280家族分の「放射能と栄養」のコピーを配布したことになります。

(これまでのビタペクト2配布運動について、詳細はこちらをご覧ください。)

http://belapakoi.s1.xrea.com/chiro/katudou/bitapekt/index.html


(「チェルノブイリ:放射能と栄養」について詳細はこちらをご覧ください。)

http://belapakoi.s1.xrea.com/chiro/katudou/chel/index.html


(SOS子ども村についてはこちらをご覧ください。) 

http://belapakoi.s1.xrea.com/jp/no2/2001/soschild.html


(ビタペクト2を開発、製造、販売しているベルラド研究所のサイトはこちらです。)

http://www.belrad.nsys.by



 今回は2家族がゴメリ市(チェルノブイリ原発から約140キロ)からSOS子ども村に来て保養滞在していました。それぞれのご家族にお話を伺いました。

(家族A)
 今回で2回目の保養滞在となります。
 1回目の2005年のときのようすはHP「ベラルーシの部屋」チロ基金の活動「ビタペクト2&『放射能と栄養』無料配布・SOS子ども村 第30回」(家族C)(当時はゴメリ州ペトリコフ地区コノビッチ村に住んでいました。)をご覧ください。
http://belapakoi.s1.xrea.com/chiro/katudou/bitapekt/2005/no30.html


 この家族には3個のビタペクト2を渡しました。前回は放射能値が低かったり、まだ生まれていなかった(^^;)りで、ビタペクトを飲んでいません。
 2005年と今回の体内放射能値の測定結果のこのとおりです。○印の子どもにビタペクト2を渡しました。

母親(事故発生時5歳)13ベクレル → 15ベクレル
男子12歳(病欠)    → 20ベクレル ○
女子 9歳 13ベクレル → 15ベクレル
女子 6歳 24ベクレル → 24ベクレル ○ 
男子 5歳 32ベクレル → 19ベクレル ○
男子 2歳        → 44ベクレル
甥 13歳        → 12ベクレル

 このうち12歳の男の子は前回病気になって家で留守番をしていたため、今回が初測定です。
 6歳と5歳の子どもは前回測定しましたが、当時は年齢が3歳以下だったため、ビタペクト2を渡していません。
 2歳の男の子は44ベクレルですが、3歳以下なので、今回はビタペクト2を渡しませんでした。

 子どもたちの健康状態ですが、2歳の男の子は、胆嚢の位置がずれて、胆管がねじれている、肝臓肥大が見られる、心臓の壁に小さいが穴が見つかった、食物アレルギーで呼吸困難に陥る・・・と話を聞いているだけで滅入りそうでした。
 生まれてから11回入院したことがあり、幸いSOS子ども村に保養に来ることができた、とお母さんは喜んでいました。
 しかし、私が見ている限りでは、体が小さく、常に鼻水が出ていました。
 喉を温める器械を買って、自宅にいるときは、毎日それを使っているそうです。

 9歳の女の子は生まれたとき、産声を上げなかった、つまり肺呼吸を始めず、集中治療室に連れて行かれ、その後自力で息をするようになったものの、医者から脳が酸欠状態になったので、成長後も「ぼけっとした鈍い子」になります、と言われたそうです。
 ところが現在は優等生。(医者の言うことは絶対じゃないですよね。)
 しかしその子のカルテには、出生直後の健康状態として「脳が酸欠状態になった。」と書いてあるそうで、大学の入試に響く可能性がある、とリリヤ先生に言われました。
 入試のときにカルテから抜粋した健康診断書を提出しなくてはならず、そうすると入試の点数がよくても、「ぼけっとした鈍い子」と思われ、不合格にされることがあるそうです。(@0@)そんなひどい・・・!!!
 これがベラルーシの入試の実態なんでしょうか? 
 リリヤ先生は、この子の知能が高いことを証明し、カルテから「脳が酸欠状態になった。」という一文を削除するよう、医者に訴えるべきだ、とお母さんを説得していました・・・。

 甥はよく気を失って倒れるため、通院中だそうです。お母さん(その子にとっては叔母)は
「SOS子ども村へ保養に行けたのはうれしかったけれど、この子が倒れたらどうしようと、引率者として気が気ではない。」
と話していました。


(家族B)
 ゴメリ市から来た家族。この家族は4回目の保養滞在となりますが、1回目の滞在は1998年で、ビタペクト2の配布活動開始前ですので、体内放射能値の測定などは行っていません。
 2006年の2回目の滞在についてはこちらをご覧ください。
 HP「ベラルーシの部屋」過去ログ2006年3月
チロ基金の活動「ビタペクト2&『放射能と栄養』無料配布・SOS子ども村 第43回」(家族B)

http://belapakoi.s1.xrea.com/logs/2006/index.html


 2008年の3回目の滞在についてはこちらをご覧ください。
チロ基金の活動「ビタペクト2&『放射能と栄養』無料配布・SOS子ども村 第73回」

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/a52dfb308114ba1946781bcc4d0bbe17


 この家族には7個のビタペクト2を渡しました。
 2006年と2008年、そして今回の体内放射能値の測定結果のこのとおりです。○印の子どもにビタペクト2を渡しました。
母親(事故発生時24歳)21ベクレル○ → 14ベクレル → 11ベクレル
女子(18歳) 23ベクレル○ → 12ベクレル → 25ベクレル ○
女子(12歳) 28ベクレル○ → 41ベクレル ○ → 17ベクレル ○
男子 (5歳) 27ベクレル  → 33ベクレル ○ → 35ベクレル ○
甥 (16歳) 27ベクレル○ → 29ベクレル ○ → 16ベクレル 
姪 (13歳) 24ベクレル○ → 19ベクレル ○ → 13ベクレル

 16歳の甥と13歳の姪はゴメリ州ブダ・コシェリョボ市に住んでいます。
 このほか今回が初めての保養滞在となる親戚の子ども4人(うち3人はゴメリ市、1人はブダ・コシェリョボ市に近いデルビチ村に住んでいます。)

女子(12歳)22ベクレル ○
女子(12歳)23ベクレル ○
女子(11歳)18ベクレル ○
女子(12歳)28ベクレル ○ 

 子どもたちの健康状態についてです。
 18歳の女の子は最近心電図に異常が見つかり、精密検査を受けるように言われたそうです。
 12歳の女の子は食べ物のアレルギーで腕にぶつぶつができていますが、できていなかった時期がほとんどなく、原因になる食べ物が何なのかも、まだ分かっていません。
 今は血液検査でアレルゲン(原因になるもの)を調べることができるので、大きい病院に行くべきだ、とリリヤ先生に言われていました。
 5歳の男の子はよく風邪をひき、1か月に1回は幼稚園を休んでいます。

 デルビチ村出身の12歳の女の子は「出生時に不注意があり」よく入院しているとのことでしたが、何が起こったのかは、口を濁して話してくれませんでした。
(チロ基金としては、プライバシーに深く関わることや、聞き取り家族が話したくないことは無理にきかないようにしています。)

 11歳の親戚の女の子は、風邪をよくひき、耳がすぐ痛くなるので、綿で耳を覆って、落ちないようにヘアバンドをしています。いつもこの格好でいるそうです。

 今回はビタペクトを渡しませんでしたが、13歳の姪っ子は心臓の弁が完全に閉まらない病気だそうです。中学1年生なのに、体重が69キロで
「心臓の負担を減らすためにも、痩せなさい。」
と医者から言われ、本人も気にしているそうです。
 今回はビタペクト2を飲まなくてもいい、と言ったら
「前に飲んだとき、体重が2キロ減ったのに・・・。ビタペクト2、飲みたい・・・。」
とがっかりしていました。
 やっぱり、ペクチンが大量に含まれているので、ビタペクト2を飲むと腸内が掃除され、ダイエット効果があるようです。

 お母さんは
「初めてSOS子ども村へ来たときに連れてきていた長女が結婚、長男ももうすぐ結婚するのよ。」
と嬉しそうに話していました。
 時間が経つのはあっと言う間ですね。
 チロ基金のこの活動も、気がつけば、次回で100回目の配布になります。

 今回もいつものように子ども達に日本人の竹細工職人の方に寄贈してもらった竹で作られた知恵の輪、ぬりえや子供向けの絵本をあげました。
 小さい子どもにはぬりえ、年長の子どもには知恵の輪が大人気です。

 最後になりましたが、ビタペクト2の購入費、そして「放射能と栄養」をコピーするために必要な経費を寄付してくださった方々、子どもたちへのプレゼントを寄贈してくださった方、手作りの竹細工を寄贈してくださった方、またSOS子ども村への交通費を捻出してくださった多くの日本人の皆様に、この場を借りて深くお礼申し上げます。
 多くの方々に支えられて、この活動が続いています。
 ベラルーシの子どもたちもお母さんたちもSOS子ども村の職員の方々も皆様に大変感謝しております。本当にありがとうございました。