ベラルーシの部屋ブログ

東欧の国ベラルーシでボランティアを行っているチロ基金の活動や、現地からの情報を日本語で紹介しています

「ビートたけしの独裁国家で何が悪い!?2」取材の経緯 その2

2008-09-21 | ベラルーシ文化
 「ビートたけしの独裁国家で何が悪い!?2」取材の経緯その1 の続きです。
 
 ベラルーシ人へのインタビューが終わった後、私だけインタビューされることになりました。 
 当然のことながら、私がベラルーシへ来た経緯や、すでに何年ベラルーシに住んでいるのか?など、基本的な質問をまず受けました。
 その後いろいろな質問をされました。たとえば後藤氏は
「昨日ベラルーシ入りしたばかりなんですが、ミンスクは町並みがきれいですよね。ごみも少ないし・・・。ベラルーシは独裁国家と言われていますが、悪いところだけではないと思います。」
と話したので、どうしてミンスクの町はきれいなのか、説明しました。
 理由はいろいろありますが、前ミンスク市長の政策の一つが「清潔な街・ミンスク」だったことや、ミンスク市役所で雇われている清掃員の給料が意外と高いので、就職を希望する人がけっこう多いこと、つまり捨てられるゴミの量に対して掃除をする人が多いから、という話をしました。

 このあたりの話は「こんな街どこかでみたことがある。北朝鮮だ。首都を徹底的にきれいにするところが似ている。」とテレビ番組では紹介されたそうですね。
 (「ミンスク市内でも汚いところはありますよ。」と後藤氏には話しています。)
 首都がきれいだと、「北朝鮮みたい。」と思う日本人って、どうなんでしょうか? きれいな街は独裁国家の象徴なんですか?
(私自身は汚いゴミだらけの町には住みたくない・・・) 

 次に
「最初に来たときと今とではベラルーシは、変ったところがありますか?」
ときかれたので、以前と比べると交通(道路の整備、地下鉄の延長)と通信(電話、ネット環境)がずいぶん便利になったこと、商品の種類も増えて、ずいぶん暮らしやすくなったことなど、自分の生活で変ったと思ったことを話しました。

 それから、昔はベラルーシは夜になると、暗い街灯がついているだけで、ショーウインドーや広告に電気が入っていなかったので、とにかく夜は真っ暗なイメージだったけれど、今はすっかり明るくなった、とも話しました。
 というのも、ベラルーシも経済の状態が昔に比べればすいぶんよくなり、商店が看板にイルミネーションを使ったり、ショーウインドーをライトアップするようになって、すっかり明るくなったからです。

 それだけではなく、ミンスクのメインストリートに接する建物は全部ライトアップされるようになったのですが、その照明の当て方や色を、ミンスク市役所の担当者の人が一人で全て決めているので、統一感があって、とてもきれいだと、話しました。
 資本主義の国によくある、商店の個々の照明が勝手に瞬いて、夜きれいな街、ではなく、統一されたデザインとして、街をライトアップしているミンスクは世界的も珍しいんですよ、と教えてあげたら、後藤氏は少し驚いているようでした。

(こういう日本で知られていない面をテレビで紹介してほしいのですが、でも結局、統一されたデザインも「独裁っぽい」と思われるんでしょうねえ・・・。)

 日本の商業地にありがちな、それぞれが自己主張しているけばけばしいネオンより、私はミンスクのすっきりしたライトアップのほうが、個人的には気に入っています。
 電気の無駄使いという意見もありますが、治安の面を考えると、夜真っ暗なのは、怖いですよ。特に冬はベラルーシは午後4時には暗くなってしまうので、光があるほうがいいと思います。

 他にも「ルカシェンコ大統領が長期政権を握り続けていることについて、どう思うか?」
という質問には
「旧ソ連が崩壊して、混乱の中出発したベラルーシには長期にわたる政策が必要で、こういう時期に政権担当者がころころ変るのは、余計に混乱を招くだけだし、結局ベラルーシ国民が長期政権を望んでいるから、こういう結果になっているのだと思う。
 たとえば今、突然ルカシェンコ大統領が辞任したりすると、せっかく今まで築き上げてきた社会が再び混乱してしまうのではないか、とベラルーシ人は恐れている。(日本みたいに「首相なんて誰がなったって、大して変らない。」と思っているのとは違うのです。)
 だから、長期政権になっていて、それがこの国にとっては必要な正しい選択だと思っています。
 反対派ももちろんいるけど、(日本でも全く批判されない首相なんていないでしょ? みんな文句言い放題で、支持率が上がったり下がったりです。)少数で、積極的か消極的かは別としても、大統領を支持しているベラルーシ人はとても多い。要するにこういう政治体制をベラルーシ国民自身が選んでいるんです。」
といったことをお話しました。

 さて、取材が終わった後、隣室にいたロシア人通訳の人が戻ってきて、後藤氏に言うには
「日本の歌をベラルーシ語で歌うCDが製作されたってきいてましたが、それは辰巳さんが発案されたCDだったんですよ。」
 私はロシア人の通訳さんが、CD「月と日」のことを知っている、ということが驚きでした。
 ベラルーシ語の歌なので、ベラルーシ人ではなく、ロシアから来た方が知っているのですから・・・。  
(「月と日」について詳細はこちらです。)

http://belapakoi.s1.xrea.com/chiro/katudou/songs/index.html


 通訳さんは「月と日」を聴きたい、と言ったので、ケースが少しひび割れていたのですが(こんなのしか手元になかった・・・)「ぜひ聴いてください。」とプレゼントしました。
 これが今回の取材で一番うれしいことでした。
 取材自体は悪いことはなかったですよ。
 (放映自体は問題だったけど・・・)

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