ベラルーシの部屋ブログ

東欧の国ベラルーシでボランティアを行っているチロ基金の活動や、現地からの情報を日本語で紹介しています

チロ基金の活動「ビタペクト2&『放射能と栄養』無料配布・SOS子ども村 第121回」

2011-08-01 |   ビタペクト配布活動
 8月1日にビタペクトTと「チェルノブイリ:放射能と栄養」のコピー無料配布運動として、SOS子ども村への第121回目の配布を実施いたしましたので、ご報告いたします。
 今回はビタペクトTを5個、そして「放射能と栄養」のコピーを10部渡しました。
 これで今までに配布したビタペクト2とビタペクトTは合計1847個、「チェルノブイリ:放射能と栄養」のコピーは1600部となりました。
  
 今回で通算131回目のビタペクトT(ビタペクト2)の配布となりました。延べ人数ですが、1847人の子どもにビタペクトT(ビタペクト2)を、1600家族分の「放射能と栄養」のコピーを配布したことになります。

(これまでのビタペクト2配布運動について、詳細はこちらをご覧ください。)

http://belapakoi.s1.xrea.com/chiro/katudou/bitapekt/index.html


http://blog.goo.ne.jp/nbjc/c/e1e67d76a4796f3c95377bb7bdabd215


(ビタペクト2とビタペクトTについてはこちらをご覧ください。)

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/5cab63b65562dd2f64a820a7e4298a0b


(「チェルノブイリ:放射能と栄養」について詳細はこちらをご覧ください。)

http://belapakoi.s1.xrea.com/chiro/katudou/chel/index.html


(SOS子ども村についてはこちらをご覧ください。) 

http://belapakoi.s1.xrea.com/jp/no2/2001/soschild.html


(ビタペクトTを開発、製造、販売しているベルラド放射能安全研究所のサイトはこちらです。)

http://www.belrad-institute.org/


(ベルラド研究所について日本語でご紹介している記事はこちらです。)

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/c382ef7eca8660531e895c8a646e7f2a


(またこの活動報告を読むにあたり、「チロ基金の活動『ビタペクト2無料配布』について追加のご説明」も併せてご覧ください。)

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/67c3b73ea2f30e880c3d4eb8bedded13



 今回は2家族がSOS子ども村に保養滞在していました。それぞれの家族に話を伺いました。

(家族A)

 ミンスク州ボリソフ市(チェルノブイリ原発から約340キロ)から来た家族。この家族には2個のビタペクト2を渡しました。
 この家族は子どもが3人いますが、姪を3人引率していました。
 このうち15歳の姪はジョージノ市(チェルノブイリ原発から約330キロ)で、13歳と11歳の姪(姉妹)はチスチ市(チェルノブイリ原発から約380キロ)で暮らしています。
 それぞれの体重1キロあたりの放射能測定結果はこのとおりです。○印の子どもにビタペクトTを渡しました。
 
母親(事故発生時10歳)0ベクレル
長女(11歳)0ベクレル
次女(7歳)30ベクレル ○
三女(4歳)0ベクレル
姪(15歳)44ベクレル ○
姪(13歳)0ベクレル
姪(11歳)0ベクレル

 三女は生まれつき耳が聞こえません。最初は補聴器をつけていましたが、あまり効果がなかったので、人工内耳をつけることにしました。人工内耳について詳しくはこちらをご覧ください。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%BA%E5%B7%A5%E5%86%85%E8%80%B3


 技術の進歩はすごいですね。そして何よりベラルーシ国内でちゃんとこのような手術が行われているのがすばらしいです。お母さんのお話によるとすでにベラルーシで300人の子どもが人工内耳をつけたそうです。
 手術や1週間かかる入院費用も無料。ただし、この人工内耳そのものを患者本人が購入しなくてはいけません。その値段が2万ユーロ!(218万円!)
 平均的なベラルーシ人ではとても買えません。それでどうしたのかというと、外国の支援団体から購入してもらったそうです。
 今年中に再び支援を受けて、もう片方の耳にも人工内耳をつける予定だそうです。
 片方聞こえていたらいいような気もしますが、やはり聴覚が偏ってしまう(聞こえるほうの耳に負担がかかる)のを防ぐためだそうです。
 まだ言葉らしきものは話せないようですが、お母さんはとても手術に期待しており、普通の学校にも通わせたい、と話していました。

 長女は胆嚢部分の痛みを訴えており、胆石の疑いがあるので、近いうちに検査を受けるそうです。
 3人の中で一番元気な次女だけ30ベクレルだったのですが、お母さんはどうしてこうなるのか分からない、と話していました。
 44ベクレルだった姪は測定の後、落ち込んでしまい自分のお母さんに電話をかけていたそうです。話を聞いてお母さんもショックを受けていたそうです。
 姪3人は持病はなく、健康だそうです。
 お母さんは30ベクレルと44ベクレルの2人にビタペクトTを飲ませた後、再測定に行きたい、と話していました。
 お母さん自身はめまいをよく起こすので、精密な血液検査を受けたいと話していました。


 (家族B)

 ブレスト州コブリン市(チェルノブイリ原発から約410キロ)に住む家族。
 お母さんが自分の6人の子どもと一人の甥を連れて保養滞在に来ていました。この家族には3個のビタペクトTを渡しました。
 それぞれの体重1キロあたりの放射能測定結果はこのとおりです。○印の子どもにビタペクトTを渡しました。

母親(事故発生時9歳) 14ベクレル
長女(16歳)33ベクレル ○
長男(13歳)26ベクレル ○
次女(9歳)0ベクレル
三女(6歳)0ベクレル
四女(3歳)22ベクレル
次男(1歳)27ベクレル
甥(10歳)29ベクレル ○

 この家族にもお話を伺いました。長女は生まれつき脳性まひで、ベビーカーで寝たきり状態です。いすに座ることも難しいそうです。生まれて間もないころミンスクの病院で診察を受けましたが、もっとレベルの高いモスクワの病院にも行きました。すると医者から
「5歳になる前に死ぬだろう。」
と言われたそうです。しかし今、高校生の年齢になっています。ただ体の大きさは小学生にしか見えません。12歳ごろからは背骨がどんどん歪んできて、投薬治療を受けましたが、全く効かず、副作用で肝臓が肥大してきたので、今は全ての投薬治療は断っているそうです。
 このような子どもたちが通うセンターがあるのですが、マッサージを受けているだけだそうです。座れないので車椅子も無理だとお母さんは話していました。

 長男は鼻血をよく出すそうです。この一家はよく教会に通っているそうですが、ドイツの教会の招待により、今年の6月にドイツへ一ヶ月保養滞在したそうです。
 1日4回の食事、ビタミン剤の摂取などの保養プログラムがあったのですが、ペクチン剤などの放射能排出作用があるサプリはもらわなかったそうです。
 そして保養滞在期間の中ごろ、体内放射能を測定したそうです。その結果は体重1キロあたり16ベクレルだったそうです。
 帰国して一ヶ月。今度はベルラド研究所で測定した結果が上記の26ベクレルです。
 私が「増えているじゃないですか。ドイツから帰ってから何を食べさせたんです?」(私もあまり人のことは言えませんが・・・。)
と尋ねてもお母さんは
「店で買ってきたもので、他の子どもも同じものを食べているのに・・・。」
と話していました。それから
「そういえば田舎の実家がくれたキノコを食べた。」
と思い出したのですが、これでは同じものを食べたほかの子どもで0ベクレルの子がいる理由がはっきりしません。
 ただ長男は13歳で食べ盛りなので、他の子どもよりたくさんキノコを食べたのかもしれません。
 ドイツへの行き帰りはバス移動で飛行機ではないので、宇宙放射線は関係ないし、結局はっきりした原因は分からないものです。

 次女は足の長さが違うため、背骨が歪んできました。ブレストにこのような子どもが集まって治療を受けつつ暮らす保養所学校があるそうです。もうすぐその学校で1年ほど暮らす予定だそうです。
 特別な矯正靴をつくってもらって履いたり、マッサージをしてもらったりするそうです。
 水泳の授業もあります。また授業は机やいすはなく、マットの上で横になったまま受けるそうです。
 このような保養所学校に入所している子どもの数は増えてきているそうです。
 そして以前はこのような子どもは7歳以上が多かったのですが、最近は7歳以下でも増えているそうです。しかし保養所学校は7歳以上でないと受け入れられないそうです。(やはり両親と離れて、いわゆる寮生活を送らないといけないので、小さい子どもは無理ですよね。)

 四女にもビタペクトTをあげたかったのですが、やせていて顔色もよくなく、虚弱な感じでした。医師のリリヤ先生の判断でビタペクト2をあげるのはやめておくことにしました。3歳になったばかりで、大量のペクチンを与えると、下痢を起こしそうなのと、そうなると体に必要な栄養素も出てしまって、ますますやせて弱りそうだからです。
 
 三女と次男は健康だ、ということでした。
 甥は2年前まで村で暮らしており、家で飼っていた乳牛の牛乳を飲んでいたそうです。その後乳牛を売ってしまい、町に引越したそうです。甥が29ベクレルなのが、以前飲んでいた牛乳のせいなのかどうなのか、はっきりしません。本人は持病はなく元気だそうです。

 画像は記念撮影のようすです。一人保養滞在と関係のない子どもが写っています。それから家族Bの1歳の次男はお昼寝中で、ここには写っていません。

 またいつものように折り紙や、折り紙の作り方のコピーなどをプレゼントしました。きれいな一筆箋に子どもたちの名前を筆ペンで書いてあげたらとても喜んでいました。私が作った折鶴もあげたら、「千羽鶴」というベラルーシ語の詩があるのよ、でも半分は忘れた、と言いつつ、家族Aのお母さんが朗読してくれました。(この詩のことを調べなくては・・・。)
 そして日本のおやつ昆布をあげるとみんな驚いていて
「木のように固い。」(←よくしゃぶってください。)
「コーヒーの臭いがする。」(←それはないと思います・・・。)
 とそれぞれ感想を言っていましたが、最後にはおいしそうに食べてしまっていました。

 最後になりましたが、ビタペクトTの購入費、そして「放射能と栄養」をコピーするために必要な経費を寄付してくださった方々、折り紙や昆布など子どもたちへのプレゼントを寄贈してくださった方、また日本ユーラシア協会大阪府連主催のバザーなどでSOS子ども村への交通費を捻出してくださった多くの日本人の皆様に、この場を借りて深くお礼申し上げます。
 多くの方々に支えられて、この活動が続いています。
 ベラルーシの子どもたちもお母さんたちもSOS子ども村の職員の方々も皆様に大変感謝しております。本当にありがとうございました。