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ベラルーシの部屋ブログ

東欧の国ベラルーシでボランティアを行っているチロ基金の活動や、現地からの情報を日本語で紹介しています

山火事に注意してください

2012-03-12 | 放射能関連情報
 日本では春先が一番山火事の多い時期です。空気が乾燥していて、枯れ枝も多い3月は山火事の多い月です。
 山や森がある場所で、汚染地域になっている場所では、火事の発生に気をつけてください。
 山間部は除染が難しく、進んでいないところが多いので、放射性物質は山の地面の部分(地表)にたくさん残っていると思われます。
 もし山火事が起きると、煙(上昇気流)にのって、地表部分の放射能が上空へ舞い上がります。そして遠くへ飛ばされていきます。
 空間線量が落ち着いてきた場所でも再び線量が上昇してしまいます。
 どうか放射能汚染地域の山間部で火事が発生しないように、また発生してもすぐに消火するようにしてください。
 
 同じ理由で震災がれきを焼却処分するのはとても危険です。
 もちろん処分の前にどれぐらいの放射能を含んでいるのか測定する必要があります。
 それで問題なければ、焼却処分してください。しかし高い放射能が検出された場合は、焼却処分するのはやめてください。
 煙といっしょに放射能が空中に拡散されてしまいます。
 また焼却後の灰には放射能が濃縮されますので、体積は小さくなりますが、どこにどのようにして埋めるのか? 処分するのか? といった新たな問題が出てきてしまいます。
 
 チェルノブイリ原発事故のときは自身や津波といった自然災害は起きませんでした。そのためがれきをどうするのかという問題も発生していません。
 しかしもしベラルーシで震災がれきの問題があったとしても焼却処分はしなかったでしょう。
 もともとベラルーシではゴミを焼却処分しません。そのような施設がないのです。
 じゃあ家庭から出るゴミはどうしているのか、と言えば、巨大な穴を掘って、その中に直接投げ込んでいるだけです。穴が満杯になったら、土をかぶせて蓋をします。そしてまた新しい穴を掘ります。
 (この方法も自然環境に対して優しい方法なのかどうか疑問ですが。)

 もともとゴミを焼却処分する、という発想がないのです。ゴミを焼こうと思えば相当の火力が必要で燃料もいります。しかしベラルーシは石油やガスなどの可燃性の天然資源が非常に少ないので、ほとんどをロシアからの輸入に頼っています。
 もしロシアが輸入を止めると、大量の死者が出て、国が大混乱します。
 そしてロシアから燃料エネルギーを購入するために常に国家予算が逼迫している状態が続いており、これがベラルーシ経済がよくならない最大の原因の一つなのです。
 燃料を買うために四苦八苦している状態なので、ゴミを燃やすのに貴重な燃料を使うなんて、とんでもなくもったいないことなのです。

 ベラルーシ人に
「日本では震災のために出たがれきを焼却処分する。」
と話しても
「はあ? なんでわざわざ燃やすの?」
と全くピンと来ないのです。
 
 でもそんなベラルーシ人でも
「放射能を含んだものはがれきでも何でも、絶対焼いちゃダメ! 灰が危ない。その灰のほうはどうするの?」
と強く言います。

 今がれきの処分について自治体が受け入れるか受け入れないかで、地元住民が反対したり、逆に日本人なら等しく分かち合おう、と賛成したり、さまざまな意見が紛糾しています。
 私は処分する場所のことも気になりますが、それより処分方法を焼却にするのが、とても心配です。
 他の処分方法はないのでしょうか?

 ベラルーシがゴミをどんどん穴に捨てることができるのは、人口密度が低いからで、空き地がたくさんあるからです。
 日本はあいている土地があまりないので、焼却して体積を小さくしたい、という気持ちは分かるのですが・・・。
 他に方法はないものでしょうか。

 私個人としてはがれき、という言葉は好きではないです。がれきをゴミ扱いしているかのようなことを書きましたが、本心ではありません。
 本来は誰かの家であったり、持ち物であったりしたものですよね。それをがれきと言うのは気が引けます・・・。

1年

2012-03-11 | 放射能関連情報
 東日本大震災が起きて1年経ちました。
 私にとってはとても長い1年でした。
 この日をもってさまざまな区切りをつける被災者の方々がテレビなどで紹介されていました。
 確かに一つの区切りですよね。
 長い道のりの一里塚のようです。まだまだこれからも続く道のりです。

 日本文化情報センターの追悼展に来てくれた人たちと、いろいろ話をしました。ベラルーシ人からも追悼の言葉をいただきました。
 ベラルーシ人は放射能の影響をとにかく心配しています。
 これからも長い道のりが続くと・・・ベラルーシ人はそう思っているようです。私も同感です。

 しかし、絶望して被ばくと戦うことをあきらめてはいけない! と話す人もいました。
 方法はある。対策もある。しかもいろいろな方法があるので、日本人はすぐに降参してはいけない。日本人ならできるはず、とも言われました。
 戦う、とか長い道のりが先に続いている、と思うと気が遠くなりますが、そうは思わず、放射能と隣り合わせの生活になったことを自覚し、自衛するようにしよう! と考えないと・・・とベラルーシの人たちからの話を聞いていて感じました。
 
 日本人ならできる、とか日本は技術力が高いから乗り越えられる、とかベラルーシ人に言われると、もちろんうれしいのですが、広範囲・長期間に及ぶ放射能の流出・被ばくは日本人は初めての経験なので、現実にはとまどっている日本人も多い・・・。
 といったことを話すと、
「落ち着いて賢く対処するようにするのが一番。」
「ストレスをためるのが健康にとても悪い。免疫力が下がる。ストレスを感じないようにして!」
と励まされました。
 ベラルーシからの励ましの言葉をこのブログを通じて日本の皆さんにお伝えしますね。
 

 
 
 
 

バンダジェフスキー博士のペクチンへの見解について(追加記事あります。)

2012-03-08 | 放射能関連情報
 もうすぐ来日講演される元ゴメリ医科大学学長のユーリー・バンダジェフスキー博士が『「ベルラド」 ステイトメント』をジャーナリストの木下黄太さんに送り、その日本語訳が木下さんのブログ「放射能防御プロジェクト 福島第一原発を考えます」で公開されています。詳しくはこちらです。
「バンダジェフスキー博士の「ベルラド」への見解。また、放射性物質に関するペクチンの限界について。」

http://blog.goo.ne.jp/nagaikenji20070927/e/a53b086fbec77b1e20f403651d1c8b0c


 この文章だけ読むと、バンダジェフスキー博士がベルラド研究所に対して冷たいような態度を取っているように思える人もいるかもしれません。
 またペクチンについても
「私は、ペクチンが人体から放射性核種を取り除くと言う問題を解決することができると
は、思いません。これらの補助剤は短期間しか使用できません。」
 とバンダジェフスキーさんの言葉を聞くと、
「ペクチンは効果がないのか。今まで飲んでいたのに。」
と憤慨する人もいるでしょう。

 実際私のほうにも「これについてどう思いますか?」という複数の日本人の方からのメールがきました。
 私もバンダジェフスキーさんのこの文章を読みましたが、とても納得できるものでした。どうしてか・・・はこの記事で書いてみます。

・・・・・

 この文章の最後のほうに
「私は、現在「ベルラド」とは一切関係ありません。」
とバンダジェフスキーさんが書いていますが、これだけ読むとベルラド研究所を冷えた関係にあるような印象です。しかし文章の最初のほう、
「当時、私は、ゴメリ国立大学学長であったと同時に、病理学部学部長でもあり、この研究を監督していました。つまり、これらの研究における放射能測定の研究は、ゴメリ国立医科大学で行なわれた、と言う事実をここに明記しておきます。」
という部分をあわせて読むと、どうやら多くの人がバンダジェフスキー博士の研究とベルラドの研究を一緒くたにして誤解しているのではないか? と私は感じました。
 つまり、バンダジェフスキー博士は医師の立場でゴメリ国立大学としての研究を行っていたのに、それをベルラド研究所の研究だと勘違いしている人(最近は特に日本人)が多くなってきて、博士は不愉快に感じているのではないか? と思いました。

 それはそうですよね。心血注いで研究をしてきたのに、他の研究所が行った研究と勘違いされてたら、
「いや、それは違う。ゴメリ国立医科大学で行なわれた、と言う事実をここに明記しておきたい。私は、現在「ベルラド」とは一切関係ありません。」
と言いたくなるでしょう。

 それで
「1990年代に、「ベルラド」は、食品や物質に含まれる放射性核種の測定機器を製造していました。ゴメリ国立医科大学は、これらの機器を「ベルラド」から購入しました。」
 ・・・・だったので、ゴメリ国立医科大学で研究をしていた昔はベルラドと関係があったけど、今はウクライナの病院で働いているのだから、「現在「ベルラド」とは一切関係ありません。」と発言するのは、そのとおりだし、事実を語っている、と思います。

 バンダジェフスキー博士が投獄されていたとき、ベルラド研究所の前所長ワシーリイ・ネステレンコ博士は釈放を要求する運動をしたり、(おそらく生活が困窮したと思われる)奥さんのガリーナさんをベルラド研究所で働けるよう雇ったりしました。
 (でも現在ガリーナさんはベルラド研究所を退職しています。確かに現在はベルラド研究所とは関係のない人になっています。)
 ガリーナさんがベルラド研究所で働いていたとき、ベルラド研究所はバンダジェフスキー博士の論文を奥さんの協力の元、出版しています。

 また文章中の
「「ベルラド」は、かつて、そして現在も、組織として科学的な地位を持たない民間企業です。」
というのも本当のことです。
 ゴメリ国立医科大学は国立ですから、国立大学と民間企業の研究の規模などが違う、というのは当然で、そのことを博士は強調したいのではないか、と思いました。

 さらに「「ベルラド」は、1990年から1999年の間にゴメリ国立医科大学で行われた子供と大人の放射能測定に参加した事はありません。」「また、ベルラドは、ゴメリ国立医科大学で行われた子供と大人の死亡後の放射能測定調査を行ったり、実験研究に参加した事はありません。」
 これらも本当です。ベルラドは測定機材を大学に売っただけですから、実際の測定作業をするのは大学側で、販売した企業側ではないです。
 それにベルラド研究所は医学的なテーマを研究する機関ではありません。
 この研究所で働いている人のほとんどは物理学などが専門の人で、医者や医学者は働いていません。法律的にもまた人材や機材の環境を見ても、専門的な医学のテーマを研究できるような条件は全くそろっていません。
 WBCで測定して、体内放射能値がどれぐらい、とか増減の推移を研究していますが、これは医学的なテーマではないでしょう。

 「自分と子どもを守るには」の本の中に出てくる医学的な内容は全て他の(ゴメリ医大を含む)専門機関の研究結果に基づいています。
 ベルラド研究所で大勢の患者を相手に研究した結果ではなく、公式な統計などを元にしているのです。医学的な内容については引用であることもちゃんと明記してあります。

 副所長のバベンコさんに日本人の方から病気について(特に自分の身の上に起こった症状について)問い合わせる人もいるのですが、バベンコさんは
「私は医学は専門ではないから。」
と回答されていません。
 ご自分の専門の範囲、つまり責任の範囲をわきまえているから、安易な答えはできない、という態度です。研究者としては当然でしょう。

 それからバンダジェフスキーさんの文章中の
「ベルラド独自の研究が始まったのは、もっと後になってからです。」
 これも本当で、測定作業は設立当初から始まっていましたが、ペクチンに関するベルラド研究所の研究が本格的に始まったのはビタペクトを開発してからなので、2000年以降になります。

「私は、1992年から1998年の間、ゴメリ国立医科大学において、ペクチンを含む多数の吸着剤についての膨大な数の研究を行い、1996年から1999年の間、解剖の対象の測定結果を発表し始めました。「ベルラド」は、これらの研究に参加していません。
これらの研究の結果は、いくつかの書籍で発表され、その時に初めて、ベルラドはこれらの研究に興味を示し始め、私の投獄中に、「ベルラド」は私の書籍をいくつか出版しました。」
 これも本当です。
 ベルラド研究所のほかベラルーシの専門家たちが最初にペクチンに興味を示したのはウクライナのペクチンサプリ「ヤブロペクト」が開発・販売されてからです。
 そこでベルラド研究所も独自のペクチンサプリであるビタペクトを開発して、それを使って自分たちで研究・データ集めを行っています。(現在もそうです。)
 ベルラド研究所のビタペクトを使った研究は、それはそれで独立したものです。
 ゴメリ医科大の研究もそれはそれで独立したもので、両者をごちゃまぜにしてはいけない・・・とバンダジェフスキーさんは言いたいのでは? ・・・と私は思いますし、私自身もごちゃ混ぜはよくない、と思います。

 バンダジェフスキーさんはご自分の名誉、ゴメリ医科大の名誉、研究をいっしょにしてきた仲間たちの名誉を守りたいのだろうなあ、と感じました。あれだけの研究をされてきたのですから、そう思うのは当然だと思います。
 同じベラルーシ人だから、と言って国立と民間、大学と研究所を一緒くたにされては困るでしょう。
 来日を前にしてこの点について、あらかじめ日本人の方々に言っておきたかったのではないでしょうか。

 それから
「これらの補助剤(ペクチン)は短期間しか使用できません。」
 についてですが、これも正しいことを言っていると思います。

 ペクチンサプリが短期間しか使用できないのは本当です。長期間使用すると、体に必要なビタミン・ミネラル類も排出されるので、摂取の仕方には決まりがあります。
 ビタペクトで言うと、ベルラド研究所も
「1年に4回(クール)の摂取が望ましい。」
としています。つまり1年のうち1ヶ月飲んで、2ヶ月休み・・・を繰り返しなさい、ということです。
 しかもこれは放射能汚染地域に住み続けている人を対象した飲み方です。
 また摂取する量についても一度に飲みすぎると、下痢や腹痛を起こすのでいけません。
 SOS子ども村では少量ずつ2ヶ月かけて飲む、ということになっています。
 これもちゃんと体内の放射能を測定して、その数値を見て決めていることです。
 (今まで経験はありませんが)もし測定結果が体重1キロあたり数百ベクレル、というような子どもがSOS子ども村に保養滞在している場合は倍の量を1ヶ月かけて飲む、というように指導します。
 「短期間」がどれぐらいの時間のことを表しているのか、人によって受け取り方はさまざまですが、私も2ヶ月が一定の連続摂取限度、とすれば短期間しか使用できない、という表現は正しいと思います。

 バンダジェフスキーさんが
「ペクチンが人体から放射性核種を取り除くと言う問題を解決することができるとは、思いません。」
と発言しているのは少々疑問です。
 ご本人が自身の論文「放射性セシウムが人体に与える 医学的生物学的影響」で
「体内に取り込まれたセシウムを体外に除去するための治療として、粘土質を加えたペクチン製剤のペクトパルはもっとも有望な製剤のひとつである。」
と述べているからです。

 また
「ベラルーシで比較的普及しているビタペクト(アップルペクチン)の有効性について、妻のガリーナ・バンダジェフスキーは、研究論文をバンダジェフスキーとベルラド放射能安全研究所の所長ワシリー・ネステレンコとの共著で発表し、経口摂取されたペクチンは消化管内でセシウムと結合して体外への排出を促進する効果があると考察している。」
ということもしています。
 詳しくはこちらをご覧ください。ウィキペデイアのバンダジェフスキー博士のページです。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A6%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%83%BB%E3%83%90%E3%83%B3%E3%83%80%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%83%95%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%BC


 ついでにネステレンコ博士のページもありますのでどうぞ。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AF%E3%82%B7%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%8D%E3%82%B9%E3%83%86%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%82%B3


 ペクチンについての作用についての見解について詳しくは講演会でどなたか直接バンダジェフスキー博士に質問してください。
 ただ私がこの発言について感じたのは、確かに、ペクチンが排出に有効な放射性核種はセシウムだけだし、ペクチンが最高で完璧な排出方法である、とは言えないな・・・ということです。
 そういう意味ではバンダジェフスキーさんの、ペクチンは問題解決につながらない、というのは正しいと思います。
 ペクチンは食物繊維で、放射能の万能薬ではないです。

 チロ基金でチェルノブイリの子どもたちにビタペクトを渡し続けている私としては、バンダジェフスキー博士がこのような発言をしたからと言って、
「じゃあ、支援活動をするのはいっさいやーめた。」
とは思いません。
 ペクチン以外にもっと有効で(できたら安価な)放射能排出の方法があれば、チロ基金はそちらに切り替えるつもりです。
 ・・・と思いながら10年経過しましたが、いまだにベラルーシ国内ではビタペクト以上によい方法が見つかっていません。
 それでずっと支援活動の内容を変えることなく続けています。

 またバンダジェフスキーさんは「ペクチンが人体から放射性核種を取り除くと言う問題を解決することができるとは、思いません。」と言っているのであって
「ペクチンは全く効果なし。飲むだけ無駄。無意味。」
と言っているのではありません。
 裏を返せば、それだけ人体から放射性核種を取り除くと言う問題は厳しく、簡単に解決できるものではない、と言いたいのかもしれません。
 私も
「ペクチンは効く。だからこれさえあれば放射能なんて怖くない。家の前に原発が経っても平気。ペクチン以外の被ばく対策なんてしない。放射能がたくさん含まれている食品だってどんどん食べられる。基準値なんてわざわざ作らなくてもいい。」
とは思いませんし、このような考えを日本人に言うつもりも全くありません。
 排出する前にできるだけ被ばくしないように努力するのが当然です。

 それから私はこのブログでビタペクトやペクチンについて何度も紹介していますが、ベルラド研究所からお金をもらって、日本人向けに日本語の宣伝をすることを依頼されているものではありません。
 (そういう意味では私も「ベルラドとは関係ない」人間かもです。)(^^;)

 あくまで私はベラルーシ国内でベラルーシの子どもたちの支援活動をしているボランティアの人間です。
 しかし日本でこのような原発事故が起きた以上、
「私はベラルーシの子どもさえ健康になればそれでいいの。それだけが私の役目。日本人の健康なんて知ったことではない。」
などと日本人として言えるわけがありませんし、全くそんなことは思いません。

 10年になるベラルーシでの支援活動から得た情報を、日本人の方々にこのブログを通じてお知らせしたい、伝えたい、というそれだけの気持ちです。
 ベラルーシ発の情報がもしかしたら日本人の誰かのために役立つかもしれないからです。

 また「ペクチンは効果があるのだ。飲め飲め。」と強要するつもりも全くありません。
 飲むかどうかは個人の自由です。
 ペクチン以外にもずっと有効な方法が日本にはあるかもしれませんし、これから研究も進むと思います。

 ただ言いたいのは
「バンダジェフスキーというベラルーシの医者がペクチンでは問題解決につながらないと言っている。今までペクチンサプリ飲んできたのに損した。」
と思わないでほしい、ということです。
 なぜならベラルーシで支援活動をしてきた私はペクチンの効果を実感しているからです。また保養所であるSOS子ども村でもペクチンを支持しています。
  
 バンダジェフスキー博士の意見も一つの意見、私やSOS子ども村の意見も一つの意見として聞いたうえで、どのような被ばく対策をされるのか、皆さんご自身が判断してください。


・・・・・・・・・・・・・

 ここから先は3月19日の書き込みです。
 18日に医学関係者向けに行われたセミナーでペクチンに関する質問にバンダジェフスキー博士が答えました。
 それによると・・・

「(冤罪で)投獄されている間にペクチンの研究が進んだが、公式機関はペクチンの効果を認めていない。ペクチンが万能薬だというのは大きな間違い。」

 ・・・だそうです。ペクチンが万能薬ではない、というのは本当にそのとおりです。放射性核種で言うとセシウム137しか研究結果もありません。
 ストロンチウム90などはペクチンでは排出されません。
 ベラルーシの医者の中にもペクチンは効き目がない、としている人もいます。
 しかしベラルーシのある企業がベラルーシ国内のスーパーマーケットでペクチン入りセルロースを売っていて、その説明書きに「放射能を排出します。」と堂々と書いています。
 これがベラルーシの公式機関も認めていない真っ赤な嘘だというなら、この企業は法律に触れていることになりますが、今でもこの商品は普通に売られています。

 さらにバンダジェフスキー博士は
「私はベラルド研究所とは関係ない。また、健康を守るのは医療関係者が行うべきであって、ビジネスにすべきでない。」・・・とベラルドを批判したそうです。

 私はバンダジェフスキー博士にがっかりしました。
 ベルラド研究所はあくまで研究所であって、ペクチンサプリを販売して儲けている企業ではありません。
 ベルラドを民間の健康食品会社だと勘違いされている日本人がいますが、ベルラドがしているのは研究や調査です。

 研究所は汚染地域の住民に対しては、無料でWBC測定を行っており、無料でビタペクトを渡しています。さらに無料で再測定もしています。
 非汚染地域の住民には有料で測定をしていますが、1回の料金は日本円にしてわずか160円です。
 ビタペクトTも販売していますが、これも1瓶160円です。

 またビタペクトの大量生産も全く行っていません。基本的には汚染地で無料配布できるだけの量が作れればそれでいい、というスタンスです。
 (それどころかこの半年、諸事情からビタペクトの生産が止まっています。1個も作られませんでした。仕方なく子どもたちへの支援のためにペクチン入りセルロースを代用していることはチロ基金の活動報告をご覧ください。
 しかし来月から製造再開されるそうです。ベラルーシの子どもたちが待っています。一日も早い製造再開をチロ基金の人間としては祈るばかりです。
 ちなみにビタペクトは100%ピュアなペクチンサプリではありません。このブログをずっと前から読んでくださっている方にとっては周知のことですが。 

 またベルラド研究所はビタペクトの宣伝をテレビのCMなどで流したことも全くありません。
 ベルラド研究所は利益を追求しなくてはいけない企業ではないので、宣伝などしなくていいのです。
 もちろんビタペクトを放射能の特効薬のように言っていることは全くありません。
 逆に長期連続摂取はしないように説明しており、1年間に4クールの摂取をするよう勧めています。しかもこれはWBCの測定結果がよくなく、さらに汚染地域に住み続けている人対象の回数です。

 とてもベルラド研究所がビジネスライクなことをしているとは思えません。
 じゃあ、研究資金はどうしているのかというと、西側ヨーロッパ諸国の慈善団体などから寄付を受けて行っているのです。

 それにWBCによる測定は医療行為ではありません。でも健康を守ることにつながります。それを医療関係者以外の人間は絶対してはいけないのでしょうか?
 日本でも民間が測定作業を始めていますが、それも医療関係者以外の人間だから絶対するな、と言いたいのでしょうか?
 もちろん法外な測定料金を取るのは「ビジネス」に走っていることになるでしょうが、そうでない検査機関もあります。
 
 チロ基金がビタペクトTを購入することでわずかながら、ベルラド研究所を応援していること、SOS子ども村の子どもたちに渡していることも健康につながることだからしているのですが、それも医療関係者だからしなくていい、ということでしょうか?

 それから感情論だよ、と批判されるの覚悟で書きますが、バンダジェフスキー博士が投獄されていたとき、釈放のための運動をしていたのはベルラド研究所初代所長のワシーリイ・ネステレンコさんですよ。お二人は親友だった、ということになっていますが・・・。
 事件のせいでゴメリ医大をやめさせられてからは、ネステレンコさんはバンダジェフスキー夫妻にときどきお金を差し入れていました。
 お金も大事な生活の要素の一つですよ。お金が全くないと、生活ができない。研究もできない。ボランティア活動もできない。(予算0円でできるボランティア活動もあると言う人もいるでしょうが、電話1本かけるのにもお金はかかりますよ。) 
 これでも
「ベルラド研究所はビジネス第一の組織だ。」
と批判するのですか? 
 
 そんなに民間がやっていることはいけないことなのでしょうか?
 国立や国営、あるいは政府がしていることだけがビジネス第一ではなく、信用できるのですか?
 日本の民間測定所もやってはいけないことなんですか? 無意味なことをしているのでしょうか?
 確かに明らかに法外に高い測定料金を請求するのは、よくありませんが、ベルラド研究所が儲け主義なことをしているとは、私にはとても思えません。
 平均の月給が3万円ほどのベラルーシ人ですら、ベルラドのWBC測定料金は安い、と話しています。
 
 また「犯罪者で服役中の夫を持った」奥さんをベルラド研究所が雇っています。その後、協力し合ってバンダジェフスキー博士の論文を出版しています。ベルラド研究所がこうしていなかったら、服役中の人間の論文を出版するような会社はベラルーシにはなかったでしょう。
 それともこの親切がかえって気に入らなかった(何かのトラブルの元になった?)のでしょうか?
 私のような外側にいる立場の人間には分からないような事情があるのかもしれません。

 しかし私からすれば、健康を守るのはビジネスにすべきでないという理由で、自分が困ったときは助けてくれたベラルド研究所を批判するバンダジェフスキー博士の態度は、医学の専門家と言う前にまず人としてどうなの? と思いました。

 さらに被ばく対策としては
「汚染されていないきれいな食品を食べることが必要。ペクチンは意味がない。できるだけ食事からの蓄積を防ぐ。一番難しいけど一番大事。」
と何度も強調していたそうです。
 本当に一番難しいですね。今の日本の体制では・・・。
 それができれば完璧なのですが、この1年の間に被ばくしてしまった人はどうしたらいいの? と思いました。
 
 そしたら同じことを考えている人がちゃんといて、3月19日に国会議員会館にて行われた記者会見&特別勉強会で議員さんが
「Cs137をいったん取り込んだ場合の治療法は?」
と質問していました。それに対しバンダジェフスキー博士は
「いったんCsを取り込んだ場合、1ヶ月半で排出される。一部は体内で崩壊して蓄積され、それが生命維持に必要な臓器に影響を与える。安定バリウムという非常に有害な物質になる。」
と答え、つまりセシウムを取り込んだら、ほとんどは時間が来れば排出されるが、どうしても一部は有害物質となって体内に残ってしまい、それをなくすことはできない、ということです。
 要するに質問に対し、絶望的な答えが返ってきただけです。

 さらには
「ベラルーシの人々はチェルノブイリ事故が起こる前、'60年代から放射能汚染の影響を受けていた。」
ということも講演会で話したそうですが、日本でもそうでしょ?
 核実験による影響で、60年代は日本でも放射能の線量が高かった。でも、その影響なんか出ていない。だから放射能を怖がるのはやめましょう、と言っている学者も日本にいます。
 横浜のマンションの屋上でストロンチウム90が見つかると
「それは福島第一原発由来のものではない。60年代の核実験によるものだ。」
と説明していましたね。
 要するに日本もベラルーシも60年代は放射能がすぐ目の前にある状態で、さらに原発事故が起こって大量の放射能が拡散したという共通の経験を持っている、ということです。

 そして博士が語る健康被害のデータは恐怖そのものです。ベラルーシと日本の取り巻く状況がこれだけ似ている、ということは、日本も将来こういう健康被害が出る、と言っているのと同じです。
 しかし、それに対してペクチンは意味がない。セシウムは完全に排出されない、と言っており、解決方法はただ一つ・・・
「汚染していないものを食べましょう。」
・・・なのですから、聞いているこちらは大変です。
 今の日本でこれはまだ完璧にはできない、しかももう被ばくしてしまった人は、解決方法なし、と言われているようなものです。

 解決方法なんかない・・・そのような感想を持った参加者も多かったのではないでしょうか?
 悲しい講演会でしたね。私は絶望、とまではいきませんが、希望の光が小さくなったような気持ちがしました。
 でもベラルーシに住んでいる私は、とにかく自分の信じる方法で、できる限りベラルーシの子どもたちにビタペクトを配っていこう、と思いました。
 
 バンダジェフスキーさんの話は話で尊重するけれど、全てを真に受けていたら、暗闇の世界に落ちていくだけのように感じます。なので、私は気にせずこれからも前に進みます。
 
 

下野新聞に特集記事が掲載されます

2012-03-06 | 放射能関連情報
 3月11日付の下野新聞に両面見開きの特集記事が組まれます。
 私も「栃木県民を励ますメッセージ」を依頼されまして、片隅に掲載される予定です。
 下野新聞は食品の測定なども独自に調査し、その結果を発表するそうなので、読むのがとても待ち遠しいです。
 下野新聞をご購読の皆様、ぜひ11日の記事を読んで、食品からの被ばく対策について考えてみてください。

再び疎開に行かれた方からのメール

2012-03-01 | 放射能関連情報
 2月11日付の投稿「ある方からのメールです」で情報をくださった関東在住の女性の方からメールが届きました。
 その後の経過について教えていただき、また弊ブログへの掲載をご了承してくださいましたので、ここで皆様にもご紹介します。

・・・・・・・・・・・・・・

 昨年末、九州へ一週間の疎開し、手の皮膚疾患は、ほぼ完治といってよいほど症状が軽減しました。
 ただ、治り方がゆっくりで
「なんとなく良くなってきている気がするなあ。」
というのが毎日続き、九州から帰ってふと手を見るといつの間にやら治っていた、という感じだったそうです。

 しかし、帰宅後の正月明けから右手人差し指と中指の皮膚疾患(水泡、痒みと痛み、かさぶた、ひび割れ)が再発。
 何週もの間、何をしても良くなりませんでした。

 今年に入ってから別の場所へ疎開しました。出発の24時間後くらいでぽろぽろ剥がれ出した皮膚の下に、もう既に奇麗な皮膚が出来ていました。
 水泡があったところがカサカサに乾いて剥けてきて、下からもう奇麗な皮膚が出てきてる…という状態となりました。
 その後3日ほどで治癒してしまいました。かさぶたの痕だけはもう少し長く残りましたが、急激な変化があったそうです。

 2回目の疎開に来ている場所が、風向き的に原発の影響を受けず、また、もとより公害もないような大変な田舎であることが奏功しているのかもしれません。・・・とご本人は判断しています。

 「非常に不快な症状でしたので治って嬉しいです(^^)。」
というメールが届き、私も嬉しいです。
 この方にもメールでお伝えしていたのですが、やはり疎開できる機会があったら、少しでも大事にしたほうがいいと思います。

 疎開、というと何だか戦争中の学童疎開を思い出してしまいますが、保養地に行くと思えばいいですよね。
 これから日本も保養に力を入れてほしいです。
 前にも書きましたが、旅行代理店で保養ツアーを組めばいいのに、と思います。
 またSOS子ども村のような保養施設を一から作るのは大変ですが、すでにある施設をうまく活用してほしいです。
 例えば温泉地。林間学校やキャンプ場で保養プログラムを取り入れる。社員旅行を保養目的も兼ねるようにすれば、休みが摂りにくい日本人も同僚たちと堂々と保養ができるのに・・・と思いました。

 とにかく保養に行ける機会があればそれを逃さず、思い切って行ってほしいです。


SOS子ども村での保養滞在プログラム (2) サプリメント

2012-02-22 | 放射能関連情報
 SOS子ども村では保養滞在している子どもたち(年齢は2歳以上)にビタミンとミネラルのサプリを支給しています。
 これは飲むタイプのサプリです。
 タブレット状になっていて、水に入れると泡が出て溶ける発泡タイプのサプリです。
 レモン味やオレンジ味がついていて、小さい子どもでもジュース感覚で飲めます。気の抜けかかったサイダーのような味です。ただ長期間(3週間以上)の連続服用は望ましくない、とされています。
 ベラルーシ製ですが、その企業「Vitus」のサイトはこちらです。(ぷくぷく泡が出ていますね。)

http://vitus.by/ru/glav/catalog.html
 
 
 いろんな種類のサプリを作っていますが、その中でも3種類をSOS子ども村では選んで、年齢別に与えています。
 2歳から4歳までは「クローハM」というサプリを保養滞在中飲みます。この商品についてはこちらです。(ただしロシア語です。)

http://vitus.by/ru/Vitamin_mineral/kroham.html


 内容はこうなっています。
 ビタミン類は多い順に A、E、B1、B2、B6、B12、ナイアシン、パントテン酸、葉酸、C、K1、ビオチン、D3
 ミネラル類は多い順に カルシウム、亜鉛、リン

 5歳から12歳までは「クレプィシM」を飲んでいます。この商品についてはこちらです。(ただしロシア語です。)

http://vitus.by/ru/Vitamin_mineral/krepyshm.html


 内容については1タブレット(1回分)がこのようになっています。
ビタミンА  1440 МЕ
鉄 4ミリグラム
ビタミンE 12ミリグラム
カルシウム  20ミリグラム
ビタミンВ1  1ミリグラム
マグネシウム  3.2ミリグラム
ビタミンВ2  1.2ミリグラム
銅  0.4ミリグラム
ビタミンВ6  1.3ミリグラム
亜鉛 1.2 ミリグラム
ビタミンВ12  2
セレン  10マイクログラム
ナイアシン  12ミリグラム
マンガン  1ミリグラム
パントテン酸  4.8ミリグラム
葉酸  100マイクログラム
ヨウ素 100マイクログラム
ビタミンС  60
リン  15.5ミリグラム
ビタミンК1  30 マイクログラム
ビオチン  30マイクログラム
ビタミンD3  190 МЕ


 13歳から16歳までは「ヴィートゥスM」を飲んでいます。この商品についてはこちらです。(ただしロシア語です。)

http://vitus.by/ru/Vitamin_mineral/vitusm.html


 内容については1タブレット(1回分)がこのようになっています。

ビタミンА 3000 МЕ
鉄 2ミリグラム
ビタミンЕ 10ミリグラム
カルシウム 10ミリグラム
ビタミンВ1 2ミリグラム
マグネシウム 8ミリグラム
ビタミンВ2 2ミリグラム
銅 0.4ミリグラム
ビタミンВ6 2ミリグラム
亜鉛 2.4ミリグラム
ビタミンВ12 5マイクログラム
マンガン 1.2ミリグラム
ナイアシン 20ミリグラム
モリブデン 14マイクログラム
パントテン酸 10ミリグラム
ヨウ素 100マイクログラム
葉酸 200マイクログラム
ビタミンС 75ミリグラム
セレン 20マイクログラム

 
 以上のサプリメントにはビタミン、ミネラル類のほか、香料、固化剤なども含まれています。
 詳しく内容をお知らせしましたが、保養滞在する日本人が必ずしもこのとおりにビタミンやミネラルを摂らないといけない、ということではありません。
 SOS子ども村で滞在しているベラルーシ人の子どもはこのようなサプリを摂っているということです。
 あくまでご参考までに。

 これらのサプリと平行して、体内のセシウムが多い(体重1キロ当たり20ベクレル以上)子どもはビタペクトTを飲んでいます。
 そうでない子どもはこのサプリだけです。

 SOS子ども村での保養については以上ですが、これを上手に日本人向けにアレンジして保養プログラムを作るほうがいいと思います。
 1週間に1回と言わず、もっと魚料理を食べる回数を増やしてもいいと思います。
 ベラルーシ人より日本人のほうが泳ぎが上手ですし、プール施設も多いので、水泳を取り入れるのもいいと思います。

 またインタビューでは当たり前すぎて話にも出なかったのですが、規則正しい生活、十分な睡眠、体に悪い物を食べたり、しない(喫煙など)ことも保養中は大切です。
 ちなみにSOS子ども村では7才以下の子どもは昼寝をしています。

 また保養先で放射能汚染されたものを食べていては保養の意味がありませんから、安心して食べられる物、放射能を除く下ごしらえを取り入れた調理法で作った料理を食べるようにしてください。
 
 時間がなくて保養なんて行けない、という方も多いと思いますが、土日や連休を利用したり、また日々の生活の中にこのようなプログラムを上手に取り入れてみてはいかがでしょうか。
 

SOS子ども村での保養滞在プログラム (1) 期間と食事

2012-02-21 | 放射能関連情報
 体内の被ばくを減らす、という意味で食生活(食材の下ごしらえ、バランスの取れた食生活)やペクチン、カリウム、カルシウムなどの摂取が大切だということは何度も述べました。
 これと平行して保養滞在することもとても大切です。
 チロ基金がビタペクトTを配布しているSOS子ども村にある保養滞在のプログラムについて、職員の方々にインタビューしましたので、このブログでご紹介します。
 日本人の方も被ばくしたと分かっている方、はっきり分からないけれど、震災以降さまざまな症状に悩んでいて「被ばくしているのでは?」と悩んでいる方、もし機会がありましたら、保養に行ってみてください。
 仕事などの関係で
「保養なんか時間がなくてとても行けないよ・・・。」
という方でも、日常生活の中に保養滞在のヒントを取り込んでみてください。

 まず保養滞在プログラムの期間についてです。SOS子ども村では19日間の期間となっています。
 期間長ければ長いほど保養の効果が得られます。
 ベラルーシでは、保養と言うと最低でも14日間の滞在になります。
 ただ、人によっては2日ほどの保養滞在でも不快な症状が軽減した、というケースがあります。
 日本人は忙しい人が多く、休みも取れない、という場合が多いのですが、土日や連休を上手に使って保養滞在してみてください。

 SOS子ども村では滞在開始後、すぐにベルラド研究所に行き、体内被ばくを測定します。測定するのはセシウム137とカリウム40です。
 カリウム40は放射性物質で体に悪い物ですが、この量を知ることによって体によい他のカリウム群の合計を算出できます。
 つまり体の中にカリウムがどれだけあるのか、測定できるのでカリウム不足かどうか判断することができます。
 カリウムが体内から全くなくなると心臓が止まります。またカリウム不足になるとセシウムが体内にたまりやすくなります。
 そのため、測定の結果、カリウム不足であることが分かった人には保養滞在中、高カリウム食を摂るよう指導します。

 またセシウムが多かった場合(子どもは体重1キロあたり20ベクレル以上)はセシウム排出のため、チロ基金からビタペクトTをもらい、滞在中から飲み始めることになります。

 普通のベラルーシの保養所では食事が出ますので、それを食堂で一斉にみんなで食べることが多いです。
 しかしSOS子ども村は糖尿病やアレルギーなど食事に気をつけないといけない子どもも多く滞在していますので、食事は引率してきた母親が手作りしています。
 保養所にキッチンがあり、2家族でそれぞれの子どもに合わせた食事を作っています。
 食費はSOS子ども村から出ており、やりくりしながら献立を考えます。

 そこで保養滞在が始まるときに栄養学の話を聞き、必要な場合高カリウム食についても指導を受けます。
 この他、ジュースを1日1人200ミリリットルずつ支給されます。
 果肉入りの100%の果物のジュース、あるいは野菜ジュースをSOS子ども村が購入しており、家族の人数に合わせて分配しています。
 ジュースの種類はいろいろですが、りんごジュースが多くなるようにしているそうです。

 さらにビタミンとミネラルのサプリを支給しています。1人20回分で滞在期間中飲み終わるように指導しています。
 これは飲むタイプのサプリです。
 このサプリについては別に詳細を記事にします。

 次に食事です。
 SOS子ども村では1日5回食事をしています。
 朝食、午前のおやつ、昼食、午後のおやつ、夕食・・・です。

 内容について具体的に説明します。
 測定の結果、セシウムが多かった子どもは、朝起きてすぐにビタペクトTを1タブレット(約2グラム)をコップ半分の水といっしょに飲みます。
 そうでなかった子どもはビタペクトTは飲みません。
 場合によっては水ではなくジュースや紅茶といっしょに飲むこともあります。しかし必ず水分といっしょにビタペクトTを飲みます。
 
 朝食のおかずは肉類や魚類のないものです。例えばおかゆ、クレープ、カッテージチーズ、サラダなどです。

 昼食と夕食には必ず肉類か魚類のおかずにします。種類は特に問いません。
 しかしお肉が大好きなベラルーシ人はつい魚を食べず、おかずは肉ばかり・・・ということが多いです。SOS子ども村では必ず1週間に1回以上は魚のおかずを出すように指導しています。
 しかしそれでも忘れがちなので
「木曜日は魚の日」
と決めており、木曜日までに魚のおかずを作らなかった場合、木曜日には魚料理を作るようアドバイスしています。

 昼食と夕食には野菜類(サラダなど)を必ず添えます。種類は問いません。
 このほか海草をたくさん摂ることを勧めています。
 また昼食の量が多くなるようにし、スープや黒パン、ベラルーシ人の主食であるジャガイモを食べるようにしています。

 飲み物ですが、支給されたジュース、ビタミンとミネラルのサプリのほか、紅茶、コンポート(日本人が想像するコンポートは飲み物ではないのですが、ベラルーシでは飲み物です)、牛乳などの中から選びます。

 午前と午後のおやつですが、クッキー、あるいはビスケットが多いです。このほかお菓子を与える場合はゼフィール、マルメラード、パスチラの中から選びます。
 このお菓子について詳しくはこちらです。 

http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/66d8a830f9f715a8534cd17c746c9350


 これに果物を1種類食べます。果物を食べるのは1日に1回だけです。午前のおやつのとき食べたら、午後のおやつのときには果物は食べない、ということです。
 測定の結果、カリウムが不足していることが分かった人には、食べる果物はドライフルーツ(干しブドウなど)が多くなるように指導します。
 カリウム不足に関係なく、食べる果物はりんごを一番に勧めています。

 おやつのときの飲み物は、ジュース、牛乳、コンポート、キセーリ、飲むヨーグルトなどの中から選びます。ただカリウムが不足していることが分かった人には1日に1回は必ず1杯のココアを飲むように指導しています。

 食生活については以上ですが、これを読んで
「こんなにたくさん食べられるのかしら?」
と思われるでしょう。
 しかし1回の食事の量は少なくして、胃腸にかける負担を減らそうという考えから、1日5回、少しずつ食べることになっています。

 このほか栄養学や衛生学のレクチャーを母親や年長の子どもは聞きます。
 衛生学、と言うと何だか難しそうに思えますが、実際には
「病気にならないように清潔を保つ。手洗い、うがいの励行」
「どうして人間は病気になるのか? ばい菌と免疫力のお話」
と言った分かりやすい話です。
 またベルラド研究所製作のビデオ「自分を放射能の影響から守ろう」を見ます。
 チロ基金が渡している「チェルノブイリ・放射能と栄養」もレクチャーの資料として活用しています。

 このほか、
「楽しい気分になるのも保養プログラムの主要な部分」
と考えていますので、さまざまなお楽しみプログラムもあります。
 例えば、動物園、サーカス、観劇、観光に行きます。家庭の宗教によっては教会のミサにも行きます。
 またSOS子ども村内でゲームをして遊んだり、さまざまなコンクールをしています。他にも手工芸をして楽しい時間を過ごすようにしています。
 
 SOS子ども村ではスポーツには力を入れていません。
 小学生以上の子どもたちは近くの学校に短期間受け入れられているので、平日は学校に通っています。
 運動は学校の体育の授業が主になります。
 しかし放課後、SOS子ども村内でサッカーやバレーボールをしたり、子どもたち同士で試合をしています。自転車もあるので、それに乗って遊んだり、冬場はそり遊びをしています。 
 
 SOS子ども村では設備がないので行っていませんが、水泳など全身運動になるスポーツをするのがお勧めだそうです。 
 
 

セシウムと心臓疾患の相関関係

2012-02-16 | 放射能関連情報
「セシウムと心臓疾患の相関関係」について元ゴメリ医科大学学長のユーリー・バンダジェフスキー博士とその奥さんガリーナさんへのインタビューが、日本語に翻訳されています。


http://vogelgarten.blogspot.com/2012_01_01_archive.html



 ぜひぜひご覧ください!
 ご夫婦の葛藤、特に奥様の気持ちを考えるとベラルーシに住んでいる私としては、涙が出る思いです。
 お二人の生の声が聞こえてくる貴重なものです。日本語に翻訳してくださった方、本当にありがとうございました。
 
・・・・・・・・・

 ユーリー・バンダジェフスキー博士が来日公演することになりました!
 詳しくは「放射能防御プロジェクト」木下黄太のブログ をご覧ください。

http://blog.goo.ne.jp/nagaikenji20070927/e/69fb130ad04bc2e2d3c36fcbe4d90bf8


 あるいはバンダジェフスキー博士の日本語公式サイトをご覧ください。

http://yury.bandazhevsky.org/


 それにしても、バンダジェフスキー博士が今ベラルーシに住んでいない、というのがベラルーシ人にとっては不幸ですよ。
 ベラルーシ語の詩「私たちの星」の一節を思い出してしまいました。
「私たちの星は 夜空にあって 私たちとともにはいない」

 もっともバンダジェフスキー博士にはウクライナで研究を続けてほしいです。どこにいようとそれが多くの人のためになると思います。

「みんなのカルテ」と飛蚊症について

2012-02-15 | 放射能関連情報
 震災後、体調が悪く
「もしかして被ばくしてしまった?」
と悩んでいる方へ。
 「みんなのカルテ」というサイトをご存知ですか?

 このサイトの「初めての方へ」のページから転載します。

・・・・・・・・・・・・・・・

 「みんなのカルテ」は原発事故後の体調の変化や不定愁訴の情報を共有できるよう症状を記録するためのカルテです。
 原発事故後の「あきらかに何かがおかしい」と感じる方の声を集め、ある時期を境に同時多発的に特徴的な症状が派生していることを理解できるようにすること、その全体像と関連を把握できるよう改ざんのない症状のデータベースとして誰もが公に共通認識を持てる環境を整えること、それが「みんなのカルテ」の目標の一つです。
 ご本人だけでなくご家族に関する症状もお書き込みいただけます。2011年3月11日以降、放射能汚染によるものではないかと感じられる不定愁訴を含む自覚症状、不安に思われる症状についてご記入ください。みなさんのご協力に感謝いたします。

・・・・・・・・・・・・・・

 「みんなのカルテ」

https://sites.google.com/site/sos311home/karte


 このサイト内には「保管庫」があり、カルテの内容を閲覧することができます。

http://sos311karte.blogspot.com/


 これを読んでいて、何度かどきっとしました。
 ここでは「飛蚊症」について書きたいと思います。
 飛蚊症について詳しくはこちらです。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A3%9B%E8%9A%8A%E7%97%87


 飛蚊症はベラルーシでも増加したのですが、ベラルーシの研究者も「チェルノブイリ事故の影響に間違いない。」と言っている症状なのです。
 ベラルーシ国立放射線医学研究所の調査結果(1996年。事故発生から10年目の報告)によると、ベラルーシ国内の放射能汚染地に住む6歳から15歳の子ども3000人を調査したところ、年間3ミリシーベルト以上の被ばくを受けた400人の子どものうち60%に飛蚊症が見つかったのです。
 被ばくの原因は牛乳や肉、キノコなど汚染された食品を長期間食べたため、としています。

 また調査した400人のうち3%には萎縮性胃炎が見つかった、とも報告しています。
 ベラルーシでは子どもの慢性胃炎が多いのですが、それは汚染された食べ物が長くとどまっている胃の壁に食べ物から直接放射能が当たるため、胃炎になりやすくなる・・・とベラルーシの医師から聞いたことがあります。
 
 それから「みんなのカルテ」を読んでいて思ったのですが、もともと持病があった人は、それが悪化していることが多く、とても気の毒でした。
 このカルテに「症状がよくなりました。」の報告が増えることを祈っています。

 

関東在住の方からのメールです

2012-02-11 | 放射能関連情報
 先日関東在住の女性の方からメールをいただきました。
 了解を得ましたので、簡単に内容を公開します。
 
 この方は湿疹ができていましたが、九州に1週間疎開、そしてアップルペクチン摂取によって症状が改善しました。しかしアップルペクチン摂取を終えた後、再び湿疹ができたそうです。
 体内被曝など測定をしていないので、被ばくと湿疹の関連性は分かりません。

 この方の親戚の小学生の男の子はだらだら出る鼻血、そして強い疲労感を訴えていました。
 しかしアップルペクチン摂取後、全て改善したそうです。
 この男の子も測定などはしていないので、被ばくとの関係は分かっていません。
 しかし2人とも震災前までは元気で暮らしていたのに、その後このような体の不調が出てきて、病院に行ってもよく分からないままだったそうです。

 私の元に多くの日本人の方からさまざまな症状を訴えるメールが来ています。
 私は医者ではありませんし、メールの文章からだけではアドバイスをすることもできません。
 また全ての人の全ての症状にペクチンの効果が出るわけではありません。
 しかしアップルペクチン摂取後、原因不明の症状が改善した、という日本人の方からの貴重なご報告ですので、ここにお知らせします。

 

ゴメリ州の障害者

2012-01-10 | 放射能関連情報
「ゴメリ州住民の健康と環境」からの抜粋記事の続きです。

 2010年に障害者として認定された人の数は6815人です。そのうち447人が15歳以下の子どもでした。
 就労可能年齢層(15歳以上60歳以下)の人は3018人でした。

 障害者になった理由ですが、最も多いのが循環器系の病気によるもの(33.3%)です。
 2位はがん。(30.5%)
 3位は骨髄系と結合組織の病気。(6.9%)
 4位は外傷によるもの。(5%)
 5位は内分泌系の病気。(4.9%)
 
 ・・・となっています。6位以下は精神障害、7位は神経系の病気、8位は眼病、9位は消化器官の病気、10位は呼吸器系の病気、11位は結核、12位はその他、13位は泌尿器、生殖器の病気、14位は先天性疾患・・・となっています。

 これを就労可能年齢層の障害者にだけに絞って見ると順位が少し変わります。
 1位はがん。(29.8%)
 2位は循環器系の病気。(24.3%)
 3位は骨髄系と結合組織の病気。(8.7%)
 4位は外傷によるもの。(8.0%)
 5位は内分泌系の病気。(5.3%)
 6位は神経系の病気。(4.9%)
 7位はその他で(17.9%)

 18歳以下の未成年者の障害者ですが、2000年にゴメリ州では人口1万人に対し20.2人の割合でした。
 同じ年のベラルーシ共和国全体の割合は、人口1万人に対し、17.5人です。
 つまり国の平均よりゴメリ州のほうが未成年の障害者数が多い、ということです。
 この国よりゴメリ州のほうが多い、という状態は2009年まで続いていました。
 しかし2010年に逆転しています。
 ゴメリ州では16.0人でしたが、ベラルーシ全体では16.7人でした。
 
 2000年から2010年までゴメリ州でもベラルーシ全体でも新規認定を受ける未成年の障害者の数はゆるやかですが減少しつつあります。

 未成年が障害者になった理由ですが、2010年のゴメリ州の場合ではこのようになっています。
 1位は先天性疾患。(28.2%)
 2位は神経系の病気。(14.7%)
 3位は内分泌系の病気。(11.2%)
 4位は精神障害。(9.8%)
 5位は聴覚の病気。(7.4%)
 6位はがん。(6.9%)

 このがんについてはこの資料では2009年には原因の4位だったのが2010年には6位になったとわざわざ記述しています。
 それからベラルーシでは障害の重さにより、1級、2級、3級の3段階に障害者を分けています。
 1級が一番重く、3級は一番軽い障害です。日本と比べてかなり大雑把な分け方となっています。
 この級により受けられる福祉の内容なども変わってきます。

 ゴメリ州全体では1級障害者の割合が23.0%、2級障害者が49.8%、3級障害者は27.2%です。
 しかし就労可能年齢層に限って見ると、1級障害者の割合が10.5%、2級障害者が46.1%、3級障害者は43.4%です。

 ベラルーシではチェルノブイリ原発が原因で障害者になった人に対する救済措置を別枠で定めていましたが、今では一般の障害者と同じ枠組み内で行っています。
 つまり、チェルノブイリ原発が原因で障害者になった場合、以前はその条件に当てはまる人だけを対象にした救済策があったのですが、今はチェルノブイリ原発は関係なく、負っている障害の内容のほうを見て、他の理由で障害者になった人と同じ条件で福祉を受ける、という仕組みに変わっています。
 被ばくは関係なく、障害者は障害者として救済という枠組みに変更された、ということです。

 
・・・・・・・

 以上で「ゴメリ州住民の健康と環境」からの抜粋、翻訳を終えます。
 この資料中には何年に何パーセントといった数値がたくさん載っていますが、
「どうしてこの数が増えたのか?」「どうしてこの年にこうなったのか?」
といった詳細な分析や解説はほとんど記述されていません。
 私が読んだ限りでは、チェルノブイリ原発事故のことも全く載っておらず、当然放射能被ばくとの関連性の記述もありません。
 分析は各々でやってください、ということなのか、あるいは数字は調べているけど、理由についての研究がなされていないのか、それとも研究がされているけどはっきり分かっていないので記載できないのか・・・私には分かりませんでした。
 ともかく数字は出ていることは出ています。
 日本人の皆様もぜひ自分で分析されてください。 

ゴメリ州の甲状腺の病気

2012-01-10 | 放射能関連情報
「ゴメリ州住民の健康と環境」からの抜粋記事の続きです。

 この資料には甲状腺の病気について細かく記載しています。
 子どもの甲状腺癌の増加は唯一、放射能被ばくとの関連が堂々と証明されている病気です。
(裏返して言えば、それ以外の病気については、今でも証明されてない、ということです。)

 まずヨウ素欠乏による甲状腺肥大についてです。
 この病気について詳しくはこちらをご覧ください。

http://www.aranonji.com/hidai-s-t.html


 ゴメリ州ではチェルノブイリ原発事故後、3年目の1989年に人口10万人に対し、53.8人の甲状腺肥大が認められました。
 これを14歳以下の子どものだけに絞って見てみると、子どもの人口10万人に対し、発症率は19.5人です。
 1993年には子どもの発症率が110.2人に増え、1994年には376.6人に増えました。 
 1995年には317.6人に減りますが、チェルノブイリ事故発生後10年目の1996年になると、849.4人に急増します。1997年には747.8人に減りますが、1998年には953.3人、と最高の発症率を記録しています。
 1999年からは減少傾向となり、2002年に381.7人と1994年と同じレベルになります。

 これは14歳以下の子どもだけを見た数字なので、事故発生後14年目に当たる2000年以降のデータは、全て「チェルノブイリ原発事故発生後生まれた子どもを対象としている」ことになります。

 2003年には発症率は再び増加し始め、事故発生後19年目の2005年に792.2人と再びピークが訪れます。
 2006年には526.7人、2007年には664.0人、2008年には551.3人、2009年には635.9人、2010年には546.0人・・・と増えたり減ったりしています。
 しかし、1989年の水準にはなかなか戻りそうにありません。

 全年齢で見てみると、1989年に53.8人だった発症率がやはり事故発生後10年目の1996年に722.6人にまで急増し、ピークを迎えます。
 その後は減少し続けます。2005年に子どもに再びピークが訪れたため、全年齢でも382.5人とやや増加しますが、その後もまた緩やかに減少し続け、2010年は267.0人となっています。

 もともとベラルーシはヨウ素の欠乏が風土病としてあった地域ですが、チェルノブイリ原発事故後、急激に甲状腺肥大が増えた時期があるため、放射能の影響があったと言わざるをえません。

 次に結節性甲状腺腫についてです。この病気について詳しい説明はこちらをご覧ください。

http://www.kanaji.jp/koujyousen/kessetusyu/p1.htm


 ゴメリ州ではチェルノブイリ原発事故が起きた1986年に人口10万人に対し、24.3人の結節性甲状腺腫が認められました。
 その後発症率は少しずつ増え続け、事故発生後5年目の1991年にはやや減少しますが、1993年に149.2人、という最初のピークが来ます。1994年には106.6人、1995年には120.4人、と減少しますが、1996年に251.5人、と急増します。これが第2で最高のピークです。
 その後は減少傾向となります。増えたり減ったりを繰り返し、2010年には107.1人となっています。
 
 これを14歳以下の子どもだけを対象に見てみます。すると1986年には子どもの人口10万人に対し、1.8人の発症率でした。1988年には0.3人、と減少しますが、1990年から増加し始めます。1994年には11.5人、1995年には26.8人、事故発生後10年目の1996年には36.9人となります。
 1997年には57.7人、1998年には65.7人とピークが来ます、その後は減少傾向に転じます。
 しかし2003年から再び増加し始めます。
 事故発生後19年目の2005年には79.7人と第2のピークが訪れています。
 2006年には51.6人と減り、その後横ばい状態が続くのですが、2010年に92.8人とまたピークが来て、しかも最高の発症率となっています。

 14歳以下の子どもと、全年齢層を対象とした調査では、ピークの年にずれがあります。
 もちろんこれも、2000年以降の「14歳以下の子どもを対象とした」データは、全て「チェルノブイリ原発事故発生後生まれた子どもを対象としている」ことになります。

 次に甲状腺機能低下症についてです。これは甲状腺から分泌されるホルモンの量が減る病気です。詳しくはこちらをご覧ください。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%B2%E7%8A%B6%E8%85%BA%E6%A9%9F%E8%83%BD%E4%BD%8E%E4%B8%8B%E7%97%87


 ゴメリ州では1987年に人口10万人に対し、3.3人の甲状腺機能低下症が認められました。
 チェルノブイリ原発事故発生から5年目の1991年には5.1人となり、10年目の1996年には11.1人になります。15年目の2001年には30.3人に急増し、20年目の2006年には29.4人に減るのですが、2008年には46.6人に再び急増します。2010年では41.6人となっています。
 
 これも14歳以下の子どもに絞って見てみます。1987年には子ども人口10万人に対し、1.7人の発症率でしたが、1989年には0.7人に減少します。1990年には3.7人に再び増加しますが、1991年には0.5人に減ります。
 1992年にはまた3.7人になり、1993年も3.7人、と同じ水準です。
 ところが1994年から増加傾向に変わります。1996年には4.5人になり、1997年には7.1人になります。
 しかし1998年には3.5人、1999年には6.6人、2000年には3.2人・・・と増減を繰り返します。
 そして2000年以降のデータはチェルノブイリ原発事故発生後生まれた子どもを対象としていることになります。

 2001年には6.9人となり、その後は1010年まで増加傾向となります。
 2005年には13.6人となり、事故発生後20年目の2006年には12.4年と減少しますが、2007年には21.0人、2008年には25.8人となります。
 2009年には19.3人と減りますが、2010年には32.3人、と最高の発症率となっています。

 事故後生まれた子どもたちにすら影響を与え続けていると言えます。
 それにしても、甲状腺をはじめ、内分泌系の病気というのは怖いですね。全身にさまざまな症状が出て、原因が何なのか一般の人にはすぐに分からないですよね。
 ふつう「何だか体がだるい・・・。内分泌系の病気かしら?」なんてあまり思わないですよね。

 
 
 

ゴメリ州におけるガンの罹患率

2012-01-10 | 放射能関連情報
 「ゴメリ州住民の健康と環境」からの抜粋記事の続きです。

 ゴメリ州のおけるガン患者について詳しく見てみます。
 2010年ゴメリ州では6840件の新たなガン発症を確認し、登録しました。これは人口10万人に対し475.5件の罹患率です。
 単位が人ではなく、件なのは1人の患者さんが複数の箇所のガンを発症していることが分かる場合があるからです。

 この件数ですが、1988年以降のデータがこの資料に載っています。それによると1988年(チェルノブイリ原発事故から2年後)の時点では人口10万人に対し、240.9件だったのですが、その後じわじわと上昇し続け、2010年には475.5件となっています。
 つまり22年間でガンの罹患率がおよそ2倍に増えた、ということです。

 そしてガンによる死亡率ですが、人口10万人に対し、1988年には164.4人、1989年には146.1人に減少。その後横ばい状態が続き、最高だったのが2002年の201.9人、そして2010年には189.5人、となっています。

 症状が出て病院へ行き、確認されたという時期ですが、年齢で言うと60歳代が最も多く、64.2%となっています。14歳以下では0.5%です。
 
 ガンの発生部位別に見ると、最も多いのが皮膚がん(黒色腫を除く)で、20.2%です。
 2位は肺がん(10.6%)
 3位は結腸と直腸のがん(9.2%)
 4位は胃がん(7.4%)
 これを読んで意外と皮膚がんが多いことに驚きました。

 しかし性別で分けるとこの順序は変わります。
 男性の場合、1位は肺がん(19.5%)
 2位は皮膚がん(15.6%)
 3位は前立腺がん(10.1%)
 4位は胃がん(9.0%)

 女性の場合、1位は皮膚がん(24.5%)
 2位は乳がん(16.4%)
 3位は生殖器のがん(15.4%)
 4位は胃がん(5.9%)

 以上はがんの発生部位別に見たものです。次にがんの死亡率を見てみましょう。
 死亡率が高いがんは部位別に見ると、1位が胃がんと腸がん。
 2位は肺がん。
 3位は乳がん。
 4位は泌尿器系のがん。
 5位は造血組織系のがん。
 6位はリンパ腺組織のがん。
 7位はその他・・・となっています。

 死亡率が高いわけではないですが、皮膚がんの患者が多いような気がします。ゴメリ州で
「私はがん患者です。」
と言う人の5人に1人が皮膚がん、ということになります。

 ちなみに日本では男性は胃がん、肺がん、前立腺がん、結腸がん、肝臓がんの患者さんが多く、女性では乳がん、胃がん、結腸がん、子宮がん、肺がんの患者さんが多いです。
 皮膚がんが多いのはベラルーシ人の特徴なのかもしれません。
 
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 この記事を投稿した後、SOS子ども村のリリヤ先生に皮膚がんについて質問しました。
 ゴメリ州に限らず、ベラルーシは皮膚がんが多いのだそうです。一番皮膚がんが多い地域はビテプスク州だそうです。
 その理由はいろいろですが、日光浴のしすぎが最大の原因、ということです。
 ベラルーシは夏が短く、冬が長く、日照時間が少ないので、夏になるとついうれしくなって、日光をたくさん浴びようと日光浴をする人がたくさんいるのです。しかしベラルーシ人の皮膚はは民族的に(遺伝子的に)紫外線に弱いので、皮膚がんができやすいのだということでした。
 しかも昔から
「夏に日焼けすると冬、風邪を引かない。」
と言われており、それを信じる人たちが、進んで日光浴をしているのだそうです。
 青白い顔色より、日に焼けた顔のほうが健康的だ、という考えもあります。
 このような理由で皮膚がんが多いのだそうです。
 

ベラルーシ共和国全体とゴメリ州の発病率の比較

2012-01-10 | 放射能関連情報
 「ゴメリ州住民の健康と環境」からの抜粋記事の続きです。

 15歳以上の年齢で病気になった人についてベラルーシ共和国全体とゴメリ州のデータがあります。
 2003年(チェルノブイリ事故発生から17年後)国全体でその年何らかの病気になった人の割合は人口1000人に対し、732.6件です。これも1人の人が1年以内に複数の病気に罹ることがあることや、一度に複数の病気を発病することがあるので、単位は人ではなく、件数になっています。
 国全体のデータで最新のものは2009年のもので、858.0件、となっています。
 2003年から2008年でまでは700件台の数字が続いていたのですが、2009年に突然800人台に増えました。ちなみに前年の2008年は782.3件でした。

 ゴメリ州の場合、人口1000人に対し、2003年は760.0件です。発病率はこの資料で示されている限りは、2003年から2009年まで、常に国全体の平均よりゴメリ州のほうが発病率が高いです。
 2005年には803.7件・・・と800件台になり、2009年には900.9件と増えました。
 ゴメリ州のデータは2010年のものもあり、817.0件と発病率は2003年以降、初めて減少しました。
 
 2003年から2010年にかけての期間に限定すると、この間に最も増加率が高かった病気は精神障害と行動障害です。その次に増えたのは先天性異常。それから循環器系の病気です。
 逆にこの間、最も減少した病気は神経系の病気。そして妊娠28週目から出産後168時間以内の期間に発生した異変も減っています。

 この「妊娠28週目から出産後168時間以内の期間に発生した異変」とは何かと言うと、つまり妊娠中の病気や出産直後のお母さんの病気、ということになります。
 妊娠28週目を過ぎると中絶は(ふつう)しませんから、異変と言っても、この中に中絶は含まれません、ということを意味しています。

 この資料にはゴメリ州の中の20の地区とゴメリ市をあわせた21の地域の発病率も載っています。
 人口1000人あたりの件数で示されていますが、2010年その件数が1000件を超えている地区が3箇所あります。
 人口より、病気の件数のほうが多いということです。その地区の人全員以上が病気?・・・のわけがありませんので、1人の人が複数の病気を抱えているケースがとても多い、ということになります。
 ちなみに2010年最も発病率が低い地区では551.2件でした。

 2010年ゴメリ州における病気の種類です。(年齢は15歳以上。)
 一番多い病気は呼吸器系統の病気です。(49.4%)
 2位は外傷や中毒症状。(9.1%)
 3位は皮膚病・皮下組織の病気。(5.4%)
 4位は骨組織・筋組織の病気。(5.2%)
 5位は泌尿器・生殖器の病気。(4.4%)
 6位は眼病・視覚器の病気。(4.0%)
 7位はその他。(22.4%)

 以上のデータは年齢が15歳以上のものです。
 次に中高生だけを調べたデータをご紹介します。
 中高生と書きましたが、厳密には12歳から17歳までの年齢を対象としています。
 18歳は日本では高校生ですが、ベラルーシでは18歳で成人なので、大人扱いになります。

 ゴメリ州では中高生(12歳から17歳まで)と大人(18歳以上)が罹っている病気の種類などに違いがあります。
 2010年、中高生がかかった病気のうち、最も多かったのは大人と同じ呼吸器系統の病気です。
 しかし全体を占める割合を見ると、中高生は65.2%だったの対し、大人は34.8%でした。
 つまり2010年病気になった中高生の半数以上が呼吸器系の病気だった、ということです。これが大人だと3人に1人になります。

 次に中高生が多くかかった病気は外傷・中毒でした。6.6%の割合を占めています。大人は12.5%です。
 大人のほうが子どもよりアルコール中毒になりやすい、また事故や怪我をしやすい(職場)環境にいることが多い、ということだと思います。

 3位は中高生が皮膚と皮下組織の病気(4.8%)です。大人の3位は骨組織、筋肉組織の病気(7.8%)となっています。
 4位は中高生が消化器官の病気(3.5%)で、大人は泌尿器系、生殖器系の病気(6.4%)となっています。

 中高生の5位以下の病気を見てみると5位と6位が泌尿器系、生殖器系の病気(3.1%)、眼病・視覚器に関する病気(3.1%)です。7位はその他の病気で13.6%となっています。


 
 

ゴメリ州における死因

2012-01-10 | 放射能関連情報
 「ゴメリ州住民の健康と環境」からの抜粋記事の続きです。

 ゴメリ州で2010年に死亡した人の死因についてです。
 第1位は「循環器系統の病気」で、56.1%を占めています。
 日本では死因の1位はガンですが、放射能に汚染された地域が一番多いゴメリ州での死因の1位はガンではないのです。
 放射能被ばく、と言うと、すぐにガンを連想する人が多いですが、私から言わせれば、放射能のせいでなる病気はガンだけではないです。

 それから「日本人の3人に1人はガンになるのだから」放射能被ばくのせいで、ガンになる人が微増したとしても、そんなのは数のうちに入らないから、放射能のことをいたずらに怖がるな、という人がいます。
 しかし、ガンになるよりならないほうがいいに決まっています。被ばくをいたずらに怖がるだけ、というのは確かによくありませんが、できるだけ被ばくしないように注意することは大事だと思います。

 そのガンですが、ゴメリ州では死因の2位となっています。それでも13.5%です。日本では30%です。
 放射能の高汚染地域もたくさんあるゴメリ州のほうが日本よりガンで死亡する可能性は低いのです。

 そして死因の3位です。何と「死因不明」です。
 私にはこれが一番驚きでした。ゴメリ州の死因の10.3%が死因不明なのです。
 去年亡くなった人のうち10人に1人が「どうして死んだのか分からない」のです。
 これは専門家が検死したのにも関わらず「分からなかった」と結論付けたものです。
 ゴメリ州の医療や検死技術のレベルが低いのか、死因を確定しようという意識が乏しいのか、よく分かりませんが、10.3%が死因不明とは多すぎると思います。

 4位は9.9%の「外傷死、事故死、中毒死など」です。つまり病死(老衰を含む)と死因不明を除いたもの全てがここに該当します。
 当然、自殺もこの中に入ります。
 詳しく見ると、2010年にはゴメリ州で2200人の死亡者の死因がこれに該当しています。この2200人のうちの78.6%が男性です。
 さらにその男性を年齢別に見ると就労可能年齢層(15歳から60歳まで)の人がほとんどで男性の中の72.1%を占めています。

 この4位の死因にはいろいろな種類のものがありますが、その中で一番多かったのがアルコール中毒死でした。(19.4%)
 その次に多かったのが「自殺など」で15・7%です。
 この自殺など、というのは何かと言えば「自殺、ならびに自分に原因があるもの」という表現になっています。
 つまり、死亡した状況において、他人は関与していない死因、ということになります。具体的には「線路への飛び込み自殺と思われるが、もしかすると酔っ払っていて線路に落ちてはねられた。」というような自殺なのかどうなのかよく分からないけど、自分に原因があると判断されるもの。
 あるいは火事で焼死したが、状況からして死んだ本人の寝タバコが出火の原因のもの。(本人が焼身自殺しようとして家に放火したわけではなく、火事で死にたいと思ったわけではないが、結果として自分で自分を殺してしまった。)
 ・・・といったケースも含まれます。

 それから就労可能年齢層に限って言うと、死因の第1位は循環器系統の病気ですが、第2位はこの「外傷死、事故死、中毒死など」になります。ガンで死ぬ人より多いのです。

 続いて5位は「消化器系統の病気」で3.8%
 6位は「呼吸器系統の病気」で2.0%
 7位は「感冒症あるいは寄生物による病気」1.7%
 8位は「その他」となっています。

 この資料ではガンで亡くなった人のうち2010年は男性が73%を占めている点、男性が病気以外の事故などで死亡する率が高い点を指摘しています。 
 ガンについてはまた別に詳しい記事を投稿します。

 新生児の死因についてもゴメリ州のデータがあります。
 1997年、1000人の出生児に対し、16人の死産がありました。
 その後この死産の割合は減少し、2010年には1000人の出生に対し4.9人の死産、となっています。

 新生児(生後1年以内)の死因について最も多いのが、妊娠28週目から出産後168時間以内の起こった異変によるもの(47.0%)となっていますが、新生児の死因についての説明なので、生まれてから168時間以内に亡くなった、というケースがここでは数えられています。
 分かりにくくてすみません。この「妊娠28週目から出産後168時間以内」の期間を表す言葉がロシア語だとたったの2語なのですが、日本語で表現する用語がないようなので、このように訳が長ったらしい説明になっています。

 次に多い死因が先天性異常。生育異常。(16.9%)
 3位は死因が不明。(12.0%)
 4位は外傷。(7.2%)
 5位は感染症。寄生物によるもの。(6.0%)
 6位はその他。(10.8%)

 やっぱり死因不明というのが3位になっているのが気になるところです。