この11月21・22日の山形交響楽団第200回定期演奏会を前に、地元紙・山形新聞で、11月15日から「迎える定演第200回~山響4人の思い」と題する記事を掲載しております。最初の回は、創立名誉指揮者の村川千秋さん。「成功は運命的、奇跡的」「注いだ情熱、支えた聴衆」という見出しのもと、「ふるさとにオーケストラを」という情熱で始まった、東北初のプロ・オーケストラの誕生からの軌跡が紹介されます。
昭和47(1972)年の設立以来、各地の学校を回るスクールコンサートを積み重ねた草創期、当方はまだ学生で、故郷にプロ・オーケストラが誕生したことに喜んだものでした。そして創立から7年後に隣の宮城県にもプロ・オーケストラができ、楽団員の3分の1が抜けるという危機もあったとか。この頃、当方は関東に就職しており、仕事と生活とに弧軍奮闘しておりました。
記事は語ります。
いいなあ、この言葉!
報道部の鈴木雅史記者の署名記事です。地元オーケストラや弦楽四重奏団等の定期演奏会について、毎回きちんとした演奏会評等を掲載する地方紙がどれだけあるかを考えると、山形新聞の記事掲載の姿勢は立派だと思います。企画を形にするデスクや記者の方々の見識と努力も、見事だと思います。
11月16日は、名誉指揮者の黒岩英臣さん、17日は酒田市出身の常任指揮者、工藤俊幸さんの記事が掲載されました。このペースでいくと、たぶん18日に音楽監督の飯森範親さんが登場するのかな。当方、妻と二人で、22日のマチネに行く予定。今からワクワクです。
昭和47(1972)年の設立以来、各地の学校を回るスクールコンサートを積み重ねた草創期、当方はまだ学生で、故郷にプロ・オーケストラが誕生したことに喜んだものでした。そして創立から7年後に隣の宮城県にもプロ・オーケストラができ、楽団員の3分の1が抜けるという危機もあったとか。この頃、当方は関東に就職しており、仕事と生活とに弧軍奮闘しておりました。
記事は語ります。
定演だけでなく、スクールコンサートを続けてきたことが大きかったという。「地味だけれど子供の情操をはぐくみ、地域文化推進の基にもなる。地方のオーケストラは、そんな使命を持っている」。実際、子供時代に山響を聞いた人たちが、今や親になった。「そろそろ実りの時期に入っている。聞く人と演奏家が一緒になって、山形の音楽を育ててほしい」
いいなあ、この言葉!
報道部の鈴木雅史記者の署名記事です。地元オーケストラや弦楽四重奏団等の定期演奏会について、毎回きちんとした演奏会評等を掲載する地方紙がどれだけあるかを考えると、山形新聞の記事掲載の姿勢は立派だと思います。企画を形にするデスクや記者の方々の見識と努力も、見事だと思います。
11月16日は、名誉指揮者の黒岩英臣さん、17日は酒田市出身の常任指揮者、工藤俊幸さんの記事が掲載されました。このペースでいくと、たぶん18日に音楽監督の飯森範親さんが登場するのかな。当方、妻と二人で、22日のマチネに行く予定。今からワクワクです。
毎回それぞれの視点で書かれる山響への思い。
とても面白く、感慨深いものがあったように思います。
その中でも村川さんの言葉は特に残りました。
僕が生まれてから30年、全く訪れた事もない山形という地で、音楽をできるチャンスを作ってくれた方の情熱。
明日が実は村川さんとは初顔合わせで、今からワクワクしているところです!
「これが山形の音楽だ!」と、胸を張って誇れるものを、どんどん作っていきたいですね。
>土曜日テルサで「第200回」、日曜希望ホールで「ソルノク響」、月曜サントリーで「チェコフィル」という激しい週末
たしかに激烈なスケジュールですね(^o^)/
いずれも良い演奏会になりますように、お祈りいたします。
こちらには、先日所属市民オケの指揮をして下さった井崎正浩氏率いるソルノク響がやって来ます(11/23は山形テルサで公演があります)。実行委員会にも加えられているのですが、村川先生にお世話になった者として行かない訳には参りません。
土曜日テルサで「第200回」、日曜希望ホールで「ソルノク響」、月曜サントリーで「チェコフィル」という激しい週末になります。(^^;;;