先週の後半、11月末から、以前に勤めたことのある職場に、病休者の助っ人に行っています。週三回、約一ヶ月、非常勤ですので気分的には楽ですが、以前は単身赴任した土地で、通勤時間はけっこうかかります。その分、通勤の音楽がたっぷり楽しめるという「恩恵」も(^o^)/
で、選んだのがドヴォルザークの「スラブ舞曲集」Op.46とOp.72の計16曲をピアノ連弾で演奏したCDです。演奏しているのはチェコのおしどり夫婦、ヴラスティミル・レイモクとヴィエラ・レイスコヴァの二人で、1972年、チェコのスプラフォン・スタジオで収録されたアナログ録音のようです。(COCO-73043)
作曲当時は、CDはもちろんレコードもないわけで、楽譜を入手してピアノ連弾という形で楽しむのが主流であったろうと思われます。家庭で、サロンで、少々腕に覚えのある二人が連弾で楽しむには、ちょうどよい曲集だったのでしょう。「ハンガリー舞曲」が大ヒットしたブラームスに紹介された出版社ジムロックから発売された楽譜は、たぶん、だいぶ売れたのではないかと思います。まだ若かった(36歳)ドヴォルザークにとっては、貴重な収入源となったことでしょう。
LPやCD等の恩恵を受けている現代の私にとっては、いささか事情が異なります。ふだんオーケストラで聴き慣れた音楽がピアノの連弾で奏されるとき、同じリズムと旋律であっても、ピアノの音色、響きですので、歯切れよく跳ねまわるような活発な音楽ですが、ふんわりとした柔らかさや華やかな色彩感には乏しくなります。特に、冒頭のフォルティッシモで始まる出だしの音が、言葉は悪いですが、少々違和感を感じました。オーケストラ版では全奏の充実した響きが感じられるのに、木琴を力任せにぶっ叩いたみたいな音で始まってしまいます。私の車のカーステレオのスピーカの限界かとも思えますが、どうも自宅のステレオ装置で聴いてもその傾向は否めないようで、スタジオ録音のせいもあるのかもしれないと思いつつ、もしかしたらピアノ連弾では表現しきれない、オーケストラの能力をもってはじめて表現できるふんわり柔らかで多彩な世界なのかなと思い至った次第です。
でも、曲が進むにつれて、耳に馴染んだ親しみ深い音楽(*1)に引きこまれていき、そうか、この曲はこういう要素を多彩な楽器に割り当てることで、あのような響き(*2)を実現しているのだなと、オーケストレーションの面白さに気付かされます。ドヴォルザークの「スラブ舞曲集」、やっぱりいいなあ!
(*1):ドヴォルザーク「スラブ舞曲」を聴く〜「電網郊外散歩道」2008年12月
(*2):例えばジョージ・セル指揮クリーヴランド管の録音で、第2集(Op.72)の第2番。YouTube より。
George Szell "Slavonic Dance op 72 No 2" Dvorak
第1集Op.42の旧録音(1956年)は、こんなふうです。YouTube より。
Dvořák: Slavonic Dances, Op.46; Szell & ClevelandO (1956) ドヴォルザーク スラヴ舞曲集第1集 セル
で、選んだのがドヴォルザークの「スラブ舞曲集」Op.46とOp.72の計16曲をピアノ連弾で演奏したCDです。演奏しているのはチェコのおしどり夫婦、ヴラスティミル・レイモクとヴィエラ・レイスコヴァの二人で、1972年、チェコのスプラフォン・スタジオで収録されたアナログ録音のようです。(COCO-73043)
作曲当時は、CDはもちろんレコードもないわけで、楽譜を入手してピアノ連弾という形で楽しむのが主流であったろうと思われます。家庭で、サロンで、少々腕に覚えのある二人が連弾で楽しむには、ちょうどよい曲集だったのでしょう。「ハンガリー舞曲」が大ヒットしたブラームスに紹介された出版社ジムロックから発売された楽譜は、たぶん、だいぶ売れたのではないかと思います。まだ若かった(36歳)ドヴォルザークにとっては、貴重な収入源となったことでしょう。
LPやCD等の恩恵を受けている現代の私にとっては、いささか事情が異なります。ふだんオーケストラで聴き慣れた音楽がピアノの連弾で奏されるとき、同じリズムと旋律であっても、ピアノの音色、響きですので、歯切れよく跳ねまわるような活発な音楽ですが、ふんわりとした柔らかさや華やかな色彩感には乏しくなります。特に、冒頭のフォルティッシモで始まる出だしの音が、言葉は悪いですが、少々違和感を感じました。オーケストラ版では全奏の充実した響きが感じられるのに、木琴を力任せにぶっ叩いたみたいな音で始まってしまいます。私の車のカーステレオのスピーカの限界かとも思えますが、どうも自宅のステレオ装置で聴いてもその傾向は否めないようで、スタジオ録音のせいもあるのかもしれないと思いつつ、もしかしたらピアノ連弾では表現しきれない、オーケストラの能力をもってはじめて表現できるふんわり柔らかで多彩な世界なのかなと思い至った次第です。
でも、曲が進むにつれて、耳に馴染んだ親しみ深い音楽(*1)に引きこまれていき、そうか、この曲はこういう要素を多彩な楽器に割り当てることで、あのような響き(*2)を実現しているのだなと、オーケストレーションの面白さに気付かされます。ドヴォルザークの「スラブ舞曲集」、やっぱりいいなあ!
(*1):ドヴォルザーク「スラブ舞曲」を聴く〜「電網郊外散歩道」2008年12月
(*2):例えばジョージ・セル指揮クリーヴランド管の録音で、第2集(Op.72)の第2番。YouTube より。
George Szell "Slavonic Dance op 72 No 2" Dvorak
第1集Op.42の旧録音(1956年)は、こんなふうです。YouTube より。
Dvořák: Slavonic Dances, Op.46; Szell & ClevelandO (1956) ドヴォルザーク スラヴ舞曲集第1集 セル
~ドヴォルザークが作曲した舞曲集で、元はピアノ連弾のために書かれましたがムニャムニャ~
とプログラムノートにありました。どことなく素朴で牧歌的なメロディーがよいですね。他にラヴェルのピアノコンチェルトやチャイコフスキーのバレエ組曲などもあり生の音楽を楽しんできました。あっ、このコンサートはクローズドでした。