電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

遠藤展子『藤沢周平・遺された手帳』を読む

2020年01月15日 06時01分42秒 | -藤沢周平
文藝春秋社から2017年11月に刊行された単行本で、遠藤展子著『藤沢周平 遺された手帳』を読みました。作家のエピソードは多くの人に様々な形で書き残され、語られていますが、作家本人がどう感じ考えていたのかはわかりません。その点、作家が遺した四冊の手帳に書かれた内容は、まるで作家本人の肉声を聞くようで、その人となりをよく表しているようです。当方、初めて知ったこともありましたし、あらためて確認できたこともありました。

例えば、娘が幼い頃に歌っていた子守唄がレイ・チャールズの「愛さずにはいられない」であり、その歌詞の意味がいまだに愛している別れた恋人を思う内容であること(p.83〜4)。若くして亡くなった妻を思いながら幼い娘に歌う子守唄としては、実に切ないものがあります(*1)。

また、「直木賞受賞」前の記述には、

一人の人が世に出るときは、その背後にそうでない人を多数置き去りにしていることを思う。(p.141)

とあります。おそらくは、多くの作品が英雄豪傑ではなく無名の下級武士や市井の人々を取り上げている背景には、こういう自戒が深く作用していたのでしょう。

そのような姿勢は、作品を書く際の言葉の選び方にもあらわれており、

選びぬかれた日常語というものがあるのかもしれない。陳腐で、手垢のついた言葉の中に重いものがあるかもしれない。気のきいた表現は不必要かもしれない。人生の重みをになってきた言葉があるかもしれない。そういう言葉で一篇の小説を書いてみたい気がする。(p.191)

というような記述として手帳の中に遺されています。こうした考え方や姿勢はたいへん好ましく思え、共感するところが大きいです。

そうそう、作家の手帳の中に直接的な記述があったわけではありませんでしたが、運命を憤る暗い情念をぶつけるような作風が少しずつ変わっていき、明るいユーモアの要素が増え、結末にも救いが見えてくる理由として、作品に対する教え子たちの感想が影響しているのではないかという私の推測(*2)は、どうやら当たっていたようです。(p.258)

(*1):YouTube より、レイ・チャールズ「愛さずにはいられない」の歌詞はこんな意味だそうです。
 ■愛さずにはいられない / レイ チャールス / 歌詞


(*2):藤沢周平のユーモア〜「電網郊外散歩道」2007年2月

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