電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

「没後10年、藤沢周平の魅力を語る」(3)

2007年12月20日 19時26分19秒 | -藤沢周平
パネルディスカッションが佳境に入った頃、蒲生さんが「学生時代の藤沢には、郷里に恋人がいるようだと、小野寺君は知っていたようだ(*)」と話します。

桐咲くや 掌触るるのみの 病者の愛
汝を帰す 胸に木枯 鳴りとよむ
汝が去るは 正しと言ひて 地に咳くも

互いに別々にあった句を並べると、情景が見えて来ます。郷里にいた恋人、病気療養中に、ときどき見舞いにきてくれていた女性。しかし、当時、直るあてのない結核患者は、結婚不適格者でした。
泣く泣く去っていった恋人と藤沢周平の間には共通の友人(女性)がおり、作家として有名になった後で、彼女がガンになって入院したことを、その友人が藤沢さんに知らせたのだそうです。
「俺、見舞いに行っていいんだろうか」
「来てくだされば、喜ぶでしょう」
というようなやりとりがあり、入院していた病院から外出許可をもらって、互いに共通の友人二人と一緒に、計四人で会食をして、昔をしのぶ話をして別れたのだそうです。藤沢周平らしい、いい話だ、と蒲生氏は回想します。お嬢さんが、本の中で淡々と書いているから、今となっては紹介してもいいだろうと思って(新聞の連載に)書きました、とのこと。長塚節の悲恋、『蝉しぐれ』の結末に通じる。しかし現実の再会は、節度を持った優しいものであった、と結びました。

前二句は、文春文庫『藤沢周平のすべて』中に掲載されていますが、最後の句は知らなかった。この記事は、たしかに記憶にあります。私も、この話を始めて知り、藤沢周平らしい、いい話だと感じました。

シンポジウムはまだ続きます。当方の記事も、もう一回分くらいか。

(*): 文春文庫『藤沢周平のすべて』、座談会「わが友 小菅留治」p.132、小野寺茂三氏の発言、など。
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