そよ風つうしん

小さな自然の発見をご紹介してきましたが、転居で環境が激変。内容を一部変更し日々の雑感を綴ったりもしています

あの日も青い空だった

2009年08月15日 | ポエム&好きな言葉
ブログのお友達のまんぼうさんが、「戦争がなくなるような呼びかけを!」とお書きだったので、そのウェーブを流そうと思いました。

あなたも、どうかこの波をみなさんへつないで下さいね。



あの戦争が終わった日 

大地は焼け付くように暑かった

母が ラジオを聞いて泣いていました

きっと複雑な涙だっただろうと思います


私は 両親が満州にいた時に 母のお腹に宿りました

母は体が弱かったので

これを機会に 日本へ帰ろうということになったそうです


そして 私が生まれ その年の12月に戦争が始まりました


あのまま 両親が満州に留まっていたら

もしかしたら 私は残留孤児となっていたかも・・・

いえ、生きてはいなかったかも、ですね



和歌山の大空襲の夜

その方角の遠い空が真っ白でした

あまりに高温の火災では 空は白くなるのだと

母が教えてくれたのを覚えています



空襲の記憶が消えなくて

大花火大会の

盛大な花火で白くなる空を見ると

思わず「ああ、空襲を思いだす」と

つぶやいて周囲を驚かせています



沖縄の友人のお兄様は

一緒に歩いていたお友達が

アメリカ軍の飛行機の機銃掃射で

一瞬のうちに 目の前で亡くなられたとか



ある夜、真っ暗な防空壕のなかで

びりびりと伝わってくる爆弾の炸裂する音

そのとき

近くの壕では

母の体にかばわれた子供は助かり

覆いかぶさって子を守った母は

命を奪われた

そして、子供はひとりぼっちに・・・




今、8月15日正午です

枚方市では 平和を祈って「ひらりよんの鐘」が打ち鳴らされ

市民は黙祷を捧げます

枚方市は非核宣言都市です


あれから長い時間が流れて

戦争の悲しみや苦しみを体験された方々が

年々数少なくなっていきつつあります


みなさん

聞き伝えでも 語り伝えでもいいのです

忘れないで下さい!

どうか

どうか

忘れないでください!!!


戦火で父母を失くす子供を

焼夷弾が雨のように降りそそぐ街で

焼け焦げて炭みたいになって転がる子供を

戦後の焼け野原の中で

食べるものに出会えずに飢えて死んでいく子供を

再び出してはいけないのです


どうか 

どうか

戦争の悲しさを語り伝えてください

お願いします




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