もーさんのひとりごと

ここでは工作に関する話の他に趣味の家庭菜園の話、時事(爺イ)問題、交友禄など日々の雑感を気まぐれに更新していきます。

富山からのお誘い・・・

2014年08月29日 | インポート

 はまぎんこども宇宙科学館でのすべての工作教室の日程を終えて戻った日の夜、富山県こどもみらい館から12月の日程をとって欲しいと電話が入った。
  
 富山子どもみらい館から最初にお誘いをいただいたのは、1995年(平成7年)のことだから、もう19年も前のことだった。Photo_2






 当時の担当の藤田さんは、塾帰りのお子さんを迎えに行く途中、バス停の前の書店で私の「おもしろ工作ランド」(KKベストセラーズ)が目に留まり、この著者はちょっとおもしろそうだから・・・と、「富山県児童厚生員研修会」の講師として招いてくださった。2_4


その翌年には「子育てチャレンジ事業」として料理、マジックなど様々な分野の達人の技に触れるという親子講座にも招いてもらった。2_5

 さらに「がらくたアート」の作品展示も富山で2回させてもらったりなど、これまでに5~6回は富山こどもみらい館を訪ねている。2_6



 ところで、最初の富山行きに際してはおもしろい話があった。
「帰路は飛行機でも何で帰っていただいても構いませんが、飛行機は当日になって天候不順などで急に欠航になってしまうことがありますから、こちらに来られるときは運行が確実な列車でお出でいただきたい」と、当時はまだパソコンも使っていなかった頃で、道中不案内の私に上野から越後湯沢・北陸線経由で富山入りのルートを教えられた。

 然るに、皮肉なことにその前日新潟地方の豪雨で、運行が安定しているはずのJR北陸線が不通になっていることを夕方のニュースで知った。
*当時の天候状態は現在のように年中日本のどこかで集中豪雨が降ったり突風の吹く気候ではなかった。

 
 どうしよう・・・。
 そんな時間には、もう先方のこどもみらい館は閉館していて連絡はつかない。
 携帯電話も、当時は科学特捜隊が怪獣が出たときに本部との連絡に使用するくらいの道具で、一般人が持ち歩く道具ではなかった。

 すると、夜になって先方から再度の電話があって、東海道新幹線で米原、そこから湖西線で富山というルートと乗り継ぎと時刻の克明な指示があって、無事に富山入りをすることが出来た。

 当然のことながら新潟に降った局地的な豪雨は富山の交通機関には何の影響もなく、受講者たちは一人の欠席もなく私を待っていてくれた。

 そんな思い出のある富山から久々の声がかかり、今回はの受講者は学童保育や児童館などの子どもたちの指導者たちで、いま私が力を入れている大人の工作教室だった。

 こうして、これまで何度も富山に行ったが、冬の富山は初めてのことで、車窓からの景色が楽しみだ。

●オマケの富山Photo_5_2

 この最初の富山こどもみらい館を訪れた19995年よりさらに10数年前に、じつはある雑誌の日本海銭湯急ぎ旅というイラストルポで、富山の観音湯とえびす湯に行ったことがあるが、文字通りの急ぎ旅で、前日は魚津泊まりで富山は銭湯に入っただけで、その日のうちに敦賀、福井までたどり着いた。
*スケッチは、そのイラストルポのときのもの。