日本語学校からこんにちは ~水野外語学院~

千葉県市川市行徳にある日本語学校のブログです。日々の出来事、行事、感じたことなどを紹介しています。

「また聞き『雪国』」。

2011-01-27 08:40:50 | 日本語の授業
 今日も快晴です。とはいえ、油断は禁物。昨日の朝は、まさに「あっさぁー」とでも言いたくなるような上天気でしたのに、帰りの頃、道は濡れていましたから。もっとも雪ではなく、雨だったのでしょうが。学校の中にいた私は全く気がつきませんでしたけれど。

 今日の「お天気予報図」は、本州の中央部がきれいに太陽を意味するオレンジ色と、寒々しい水色とに分かれ、そしてその緩衝地帯として、灰色の雲色が散らされているような具合でした。

 雪国は、またまた雪で、平地でも三㍍ほども、もう積もっているところがあるそうで、雪国の人に、一番の悩みは何かと聞いたところ、雪の捨て場がないとのこと。雪を捨てる…南国の人間には、全く想像もつかないことです。

「太陽が出てくれば、南側の屋根の雪はずるずると落ちてもいこうが、そうすると家が北側の雪の重みで傾く。それは外からもはっきり分かるほどだ。夜、傾いだ家の中で、柱が軋む音を聞くことほど恐ろしいことはない。本当に雪は嫌だ」

 こういう雪国の人の思いというのは、
「花をのみ待つらむ人に 山里の 雪間の草の春を見せばや」(藤原家隆)
などとは、全く違うものです。

 雪が積もっているからといって雪国と称せられぬのは、それが悩みや苦しみにまでなっていないからでしょう。最近は「雪の利用」が、かなり進んでいると聞いていましたが、それが追いつかないほど大雪は降っているのでしょう。

「屋根の雪を下ろすといっても、その前に下ろせる場所を作っておかなければならない。だからすぐに下ろせるというものでもないのだ。しかも、前日に下ろした雪が片付いていなければ、下ろしていくうちに雪の高さは屋根の高さをゆうに越えてしまう。二階から出入りするなんて、普通のことだ。ただ、雪国では、普通の家はみんな平屋だからね。囲炉裏にしても何にしても、みんな平屋の屋根の煙突から煙が出ていくように出来ている」

「家の周りを家よりも高い雪に囲まれて、家の中はお日様が出ても、真っ暗。それは嫌なものだ。降り出したらすぐに、外へ出て、道を造っておかなければならない。そうでなければ、すぐに外へ出られなくなってしまう」

 それを聞くと、白川郷の合掌造りの民家などという大きな家は、雪国では稀な例なのかもしれません。どうも、この、合掌造りの印象が強かったので、雪国の家というのは、みんなあの合掌造りのような巨大なものという気がしていたのですが。それに、柱を太く、背を高くしておけば、鋭角の屋根を作ることが出来ます。そうすれば屋根の雪も自然とまではいかなくても、落ちやすいのではないかなどと思っていたのです。知らぬものの戯言でした。

 しかしながら、こういう雪国に住み、しかも、風流をしゃれ込むことの出来た昔の傑物たちは、もしかしたら、「風流とは捨てばちのことなり」の類の人達であったのかもしれません。

 しかし、この地で雪国のことをいくら思っても、皆、想像上の出来事でしかないのでしょう。暮らして見ねば、何事も判らぬはずです。そして、そこにテレビなどの映像メディアの弱みがあるのかもしれません、判った気にさせるが、実際は皆何も判っていないという。

日々是好日
コメント
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