柳蔭書翰

徒然なるままに、音楽関連の話題に拘らず、常ならんこの世の事々書き散らし諸兄のお耳汚しに供したく思います。

覚悟

2009-05-26 08:07:14 | Weblog
福岡にも新型インフルエンザ症例が出たそうです、麻生知事が待ってましたとばかりにプレスを前に原稿読んでます、この人全国知事会の会長を何選もやってるんでしたね、橋下ばかりにいい格好させられないですから。アメリカ人が妻の里帰りについてきた例だそうです。こういうのを放っておくんですよね。いや水際作戦が全く機能しなかったことを受けて、「入り鉄砲」検査をなくしたんですから当然といえば当然ですが、コップの落ちるのをじっと見ていて落ちて割れたら大声でコップが落ちました、どうして割れたんでしょう?!と騒ぐ、安物のやらせ特撮番組みたいな顛末です。当地のような感染未確認地域では、発熱外来行きの判断基準は流行地へ行ったかどうかです未だに。それだけ不安を煽っておきながら、やってくるのにはストップかけられないんです。こういうのをマッチポンプって言うんじゃないんですか。修学旅行で象徴される不要不急じゃない、神戸大阪への出張滞在者は山といるのです、その人たちへの行動制限は経済停滞や社会機能維持の面からも適切とはいえないんでしょう、そこはわかりますが、それならそれで一般国民に対する情報の伝え方をもう少し工夫したらどうですかね。そこを突く、大学教授の寄稿が中国新聞にありました。これだけ日常生活上の制限を強要する(マスク装着要請に象徴される)ことの根源には、社会(マスコミ)が患者の治療よりも感染の防止に重きを置いていること、一人ひとりの健康安全ではなくて社会構成単位としての各個の保護の重要視している視点があるのだといいます。制限を加えるべきではないという反対意見の根拠にも社会機能を停止させない為という同じ平面上の論議が被さる。「いつからわれわれはこうした全体主義的論議に寛容になったのだろうか」と結んでいます。なるほど、全体主義か。こういうところでこの単語を見るとは思いませんでした。でも、新聞次のページでは、新型インフル備蓄食料調理のポイントなんて特集記事です。このコントラストには笑ってしまいました。巧まざる妙。この「非常時」がビジネスチャンスな業界があるわけです。不安を煽って欲しいと思ってる業界があるわけです。この雑多性です。個人の権利と社会の安全とどちらが優先されるのか。どちらも、ですもちろん。でも、平時と有事時とではおのずと天秤は傾きを変えましょうね。北朝鮮の核実験記事で埋め尽くされる紙面、片隅に押しやられての記事でしたが、各地で体制は整っているのでしょうが、全会一致などは端から望むべくもないこと、リーダーがどちらを選ぶかという決断なのです、そこはこちらも心して覚悟しておかねばならぬことだと思うことでした。
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