柳蔭書翰

徒然なるままに、音楽関連の話題に拘らず、常ならんこの世の事々書き散らし諸兄のお耳汚しに供したく思います。

順序

2009-05-24 13:48:27 | Weblog
今日は朝から色々行事があって昼に書いています。こういう時にいつも同じ事言ってますが、慣れというのはえらいものです、いつもと違うというだけで違和感に溢れます。それもこれも「いつも同じ」日常があればこその感想で、この感覚、西田哲学に通じることかしらとぼんやり思っています。位相が違いますか?
 韓国の前大統領が自殺したんだそうです。韓国の大統領は、辞めると途端に捕まって晒されるというイメージです、新聞には6代続いているとあります。今回はまだ捕まってはいないのですが、検察が入ってその手前の状況でした。あれは政権与党の報復なのですか。韓国は二大政党でしたよね、アメリカのように交互に政権を獲る。与野党逆転した時のセレモニーみたいになってるんでしょうか、それともどいつもこいつも懲りずに権力に任せた利殖に走る、わかっていながら前車の轍を踏み続けるのでしょうか。どちらにせよ「成熟」からは遠い事象です。日本人が偉そうに言えることではないのですが(政治家つうのはどこでも一緒、権力を利殖に使うばかりという括り)、それにしても判で押したような同じ顛末です。面白い、で済ませたらいいのでしょうが、彼の国の文化文明にまで敷衍できる事象なのでしょうか。それとも日本の世論なり検察なりが甘いのでしょうか。小沢さん引き摺り降ろすに検察は早かったですがね。権力から降りた者には甘いという国民性でしょうか、権力にあるものにこそ強いなんて言うのもすこし憚られますが。実際に田中角栄はアメリカの意図で足引っ張られました、他竹下さん、宇野さん(この人は女で)色違いでは細川さん、皆総理の座にいるときでした。彼の国は降りてからです。この差はやはり国民性、文化の違いでしょうね。
 毎日新聞に 救急医「違法宿直」5割 と大きな見出しで一面記事です。また何に噛み付いたのかと見れば、救急医が泊まり勤務するのは(おそらく労基法で定められた)「宿直」ではないのに、宿直扱いされている。つまり時間外手当など相応の待遇が為されていないということでした。論調はそれを裏返して、宿直業務の筈なのに睡眠も十分にとれない過酷な勤務をさせられている、という非難です。もうこの手の非難には慣れましたし、医者も一労働者であるという有難い判決やらマクドナルドやらの一般業種の見做し管理職問題から敷衍した医者の時間外手当問題にも勤務医側の有難い判決が出ています、ですからこういう論調になるは極めて順なのですが、そこで終わりです。記事は厚労省の関係課のコメント、労基法の趣旨から外れる勤務実態は違法の虞があり好ましくない、という一文で締めています。救急医にたっぷり金を落とせ、同時に医者のモチベーションを上げるような扱いをしなさい、とそこまで言いなさいな。救急医にもっともっと働いて欲しいんでしょう?削った医療費を元に戻せばいいんです。天下の悪法、新研修医制度を元に戻せばいいんです。社会のインフラストラクチャーの中で医療福祉の優先順位が如何に高いか、この5年でよくわかった筈です。竹中がかぶれて、小泉が狂信した新自由主義、市場至上主義が間違いだったと、一億総中流の安定期にあった国民生活を犠牲にして、日本人の固有文化を犠牲にして、壮大な実験の結果証明されました。社会主義共産主義が間違いだと証明されるまで60年かかりましたが、こちらはもっと早く破綻しました。社会の安定の為にはどこに金をかけるべきなのか。個人的な資質の劣化を咎める余りに制度自体を切って捨てたことの愚です。角を矯めて牛を殺した典型ですか。労働時間やら給料やらを盾に自分の要求(金は沢山くれ、休みも沢山くれ、仕事は少なくしろ、義務は要らない)ばかりを言い立てる心根の低い連中に世の中がレベルを合わせてくると、心意気高く職業意識高く仕事をしている高級な連中のモチベーションを必ず殺ぎます。きっとレーニン、スターリン時代のソ連、あるいは文化革命当時の中国がそうだったに違いないです、仕事できる高邁な連中をクズどもと同等扱いする、いやもっと下におく(文革がまさにそうでした)、そうすることによって自分の権力の維持を図る、権力増大を図る。そこには天下国家観などはないのです。よく指摘される世の中の低俗化平準化の実害です。格差を悪とみなす平等行為至上主義の実害です。格差は生ずるのです、個々の人間の能力にこれだけ歴然たる差があるのですから。そこを踏まえて、能力のある者は相当に社会に貢献せよとする文化を形成すればいいのです。多分に偽善とは思いますが、アメリカの大金持ち達の寄付行為慈善事業行為はその好例です。ノブレスオブリージュという言葉もよく使われます。高貴な者たちの義務。英語で書けば noble obligation、地位高く迎えられる者たちは見合うだけの社会貢献が必要だということです。医者に当てはめれば、お医者さんと社会的に高く認められている以上は、社会公器としてしっかり働けということです。一旦緩急あれば、つまり災害時や今回のような感染症が蔓延するような時には先頭に立って危険に身を投じろということです。ここはバランスなのです。どっちが先かの話でもないのです。ないのですが、低俗化平準化の現代です、医者も一労働者になってしまいましたから賃金闘争もする有給休暇もよこせと来る。金多くくれたら、休みちゃんとくれたら働くよって。そんなの医者じゃないでしょう?そんな働きじゃぁ困るでしょう?皆様。この流れが続けば、お前たちも一般労働者と変わらない扱い受けるんだから給料も人並みだという時代が来て、今度は医者へなり手がいなくなって・・の悪循環でしょう。私くらいの年代の医者は嘆いているのです、私達はもっと働いていましたから。文句言わずに、無茶苦茶な時間割で働いていましたから。睡眠時間?そんなこと考えたこともなければ、周りの誰も考えてなんかいません。そうやって無茶苦茶働くのが医者だったんですから。そういう順番です。それだけ働くから、他の業種の人から感心もされる、感謝もされる、すればこっちも「ああ、これ医者なんだなぁ」と我慢もできる。そういう順番です。今は順が逆です。ですから、医者としてしっかり働こうというモチベーションが湧かないんです、きっとそうですね。早く気がついて、医者は労働者じゃない、社会公器なんだ、だからわき目振らずに働きなさいと作り直すべきです。勤務時間が、宿直の定義が云々なんてやってる場合じゃないです。働かせたいならそういう環境に早く戻しなさい。マスコミも社会インフラを壊す方向にばかり向かないで、流れを止める、堂々たるキャンペーンを張ったらどうなんでしょうか。今や厚労省にも日本医師会にもその力はありません。産経さん、読売さん、どうかよろしくお願いできませんか。
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