拝島正子のブログ

をとこもすなるぶろぐといふものを、をんなもしてみむとてするなり

ドグラ・マグラの音楽感想文のような読書感想文

2018-03-26 18:30:13 | 音楽
私は探偵小説の類は普段は読まないのだが、われらがディーヴァY内さんが夢野久作の「ドグラ・マグラ」をキンドルで読んでると伺って、「タダ」でダウンロードできるということも確認して、早速真似をして読み始めた。かなりの分量だったと思うのだが1週間で読了。普段、グリム童話のドイツ語で四苦八苦してる身からすると、日本語の小説を読むことの楽さ加減は大リーグボール養成ギブスをはずして剛速球を投げられる星飛雄馬のごとし。それよりも、なんといっても内容の怪奇さが半端でない。さすが、推理小説の日本三大の奇書の一つと言われるだけのことはある。ウィキペディアですら容易ではないと言っている粗筋の記載をするつもりは毛頭無い。以下、印象的だった部分を断片的に記していこう。まず、当時(大正時代)の精神病院の実体を歌で歌った部分。各節は「あーあ」で始まり、「チャカポコチャカポコ」(木魚の音?)で終わるのだが、メインの部分、これ全部、チャララララララ、チャラララララララ(7音+8音)で成り立っている。例えば「今は文明開化の御代だよ」というくだりがあって、意味的には「今は、文明開化の、時代だよ」と切るのが正しいだろうが、あえてそう読まず、「いまはぶんめい、かいかのみよだよ」と切って読めばスイスイ進む(声楽の先生からは、言葉の途中で切ってはいけませんとお叱りをたまわるかも知れぬが)。問題は各節の頭の「あーあ」。これは独立したものと考えた方がよい。カルミナ・ブラーナで、「アーーーーア」と言った後、早口の歌詞が続く箇所があった。あんな風に考えればよかろう。それから、「ものを考えるのは脳髄ではなく各細胞である」という部分。あらびっくり。ちょうどNHKでシリーズが終わったばかりの人体のなんとかで、まさに「脳を経由せずに各臓器間でメッセージ物質のやりとりをしている」という話を聞いたばかり。そのことを100年も前に作者が予想していたのであろうか。ところで、私はキンドルにタウンロードして読んだので知らなかったのだが、この奇書の紙の本の表紙のイラストはまるで成人コーナーに置かれてる本のよう。この表紙を見たら推理小説ファンは勘違いして買わないだろうし、逆に勘違いして買った人はひどく落胆するであろう。それから、この作品は映画化されていることが分かった。桂枝雀の快演が光るそうだが、ネットでみる限り中古のDVDがそうとうお高い。見てみたいがこの値段じゃなぁ。それよりもえらい情報を仕入れてしまった。この小説を完読した人は精神に異常をきたすのだそうだ。この小説を敬遠する人の理由は表紙の絵よりもそのことなのだそうだ。私がそれを知ったのは完読後。もう取り返しがつかない……と、そこにもう一人の私が現れて言う。お前はとっくに普通じゃなくなってるからおかしくなりようがない……おお!そうであった。そういえば私はオペラ○○○いと言われていたっけ。

歌いまくる会の発祥の地

2018-03-26 11:58:25 | 音楽
本番まであと1か月余りとなったKMCのマタイの練習に行ったら、Kさんが「すみません、カンタータの会に行けてなくて」と仰る。そんなことを仰られたら私だって「すみません、カンタータの会をさぼりまして(だからここに居る)」と言わざるを得ない。あれ?少し前にカンタータの話を書いてなかったっけって?あれはそっくりの二つの会の後から作った方(年代順に歌う方=歌いまくる会。通称=第二)。さぼったのは元からある方(BWV順に歌う方。通称=第一。正式名称は恥ずかしくて言えない)。第一はBWV47から参加して7年弱連続出場だったが、とうとう休場とあいなった。この際、言っておくが、歌いまくる会(第二)は私が幹事だが、第一は、私はただの一兵卒。両方とも勧誘に努めてるので勘違いされる向きもあるようだ。じゃあなぜ勧誘するのか?第二は幹事だから当然だ。S先生にピアノを引き受けていただいてるんだから、歌い手もそろってなければ失礼だ。じゃあ第一の勧誘はなぜ?それは第一もパートをまだまだ厚くしたいからだ、というと、ウソつけ!お前、自分がアルトに専念したいんで、必死に他のパートを集めてるんだろうっていう「夜警の声が聞こえる」(BWV140より)。いたたたっ、本音をつかれた?だけどね……(以下会話が続く。因みに、会話の主は私と私。妄想会話である。妄想会話って今急に思いついた造語だが、ググると結構ヒットした)。まあ、「ついで」ってこともあったろう。第二の勧誘をしていて他にこういうのもあるよ、と言って第一を紹介しているんだから。さて、話を第二に移そう。歌いまくる会(第二)は、飲み屋でS先生と話していた流れでできた。だから、歌いまくる会の発祥の地は飲み屋である。因みに、飲み屋で私は酒瓶が空になっても逆さにしてしつこく振る。S先生はそれを見て「またやってる」とお喜びになる。その「お喜びの気分」が第二の芽になったようにも思える。すると、一滴の酒も逃すまじとする私のいじこい性格が会の誕生に寄与したと言えなくもない(言えるもんかって?)。因みに「そっくりの二つ」と書いたが、最近読破した夢野久作の「ドグラ・マグラ」に「そっくりの二人」というのが出てくる。この小説の話はまた稿を改めて。