拝島正子のブログ

をとこもすなるぶろぐといふものを、をんなもしてみむとてするなり

夫婦喧嘩がメルヘンに

2018-03-12 11:26:51 | 日記
グリム童話にはこんな話もある。ある貧乏な夫婦の物語。働いても働いても豊かにならない。あるとき妻が寝ている夫に「もし私が1グルデン(お金の単位)見つけて、誰かが私に1グルデンくれて、私が1グルデン借りて、で、あんたが私に1グルデンくれて4グルデンになったら、それで雌牛を買おう」と提案。「宝くじに当たったら」的な話。夫は「ボクが君にあげる1グルデンをどう工面していいか分からないけどいい考えだ」と賛成。ここまではまだ平和。夫が続けて「そしたら毎日牛乳が飲める」。それに対して妻が「牛乳はあんたのためのものじゃないんだよ。牛乳は仔牛に飲ませるんだから。で大きくして売り飛ばすんだから」。少し雲行きが怪しくなる。「だけどボクが少しくらい飲んでも減るもんじゃないだろう」「誰がこの話を思いついたと思ってんのさ。減るかどうかなんて関係ないさ。あんたが逆立ちしたって牛乳は一滴も飲まさないからね」。おおっ、怒ったとかの状況説明などなくても台詞(こういう台詞の訳はすらすら湧いてくる)で雰囲気の悪化が手にとるように分かる。この後罵り合いとなってとうとう取っ組み合いの大げんか。妻が夫の髪をつかもうとするが、夫はかわして妻の顔を枕に押しつける。え?いったいどうなっちゃうの?「ホントは怖いグリム童話」の本領発揮で妻は窒息死?それとも肉弾戦の末、劣情を催して合体?(実際にありそうだし、それが一番平和な解決方法だがメルヘンだしなぁ)そしたら「妻は疲れ切って寝てしまった」だって。かろうじてメルヘンに踏みとどまった。さて、この後、話はどう展開するのか?わくわくしながら先を読む。「翌朝、妻が目覚めて口げんかを続けたのか、それとも1グルデンを見つけに行ったか、das weiß ich nicht(私の知ったこっちゃない)」でまさかの"Das Ende"。なんと、ある晩の夫婦喧嘩だけを描いたメルヘンであった。ところで、「私の知ったこっちゃない」の"ich"は誰なのかというと、これはグリム兄弟が聞き取り調査をした相手なのだろう。そう、グリム童話は兄弟がいろんな人から聞き取った話を集めたものだ。だから「ist」が「ischt」と綴られているとしたら、聴き取りの相手がそういう方言で話したのだろう。