拝島正子のブログ

をとこもすなるぶろぐといふものを、をんなもしてみむとてするなり

信条の違う夫婦

2024-09-30 07:42:48 | 日記

笑点で、どの師匠かは忘れたが、小学生の生物係に扮して「兎にエサやりを忘れたのではない。食べちゃったんだ」と言っていて、私は、兎を食べちゃったのか、お客さんは喜んで拍手してるけど残酷だなー、と思ったが、よくよく考えてみたら、兎のエサを食べたってことなのだろうー。残酷なのはジビエ料理を思い浮かべた私の方であった。

「ダーウィンが来た」で、生まれてから13年後に羽化するセミと17年後に羽化するセミが221年ぶりに同時に羽化したって話をしていた。13と17はどっちも素数だから、最小公倍数は13×17=221である。因みに、某鍵盤美女のお父上は数学者だから、同美女にとりいるには数学ができなければならない。「最小公倍数」レベルは算数であって数学ではない(「最小公倍数」という用語を用いたのは半世紀ぶりである)。

日本に興味のないドイツのテレビが日本の与党の総裁選を報道するわけないよなー、一応確認してみるか、と見てみたら、思った通り総裁選のニュースは報じてなかったが、ヨーコ・オノのことを伝えていた。この方は、前衛芸術家であり、ご夫君のジョン・レノンとともに社会活動もされた方であった。ご夫婦で同じ信条をもってらしたのだろう。ご同慶の至りである。だが、常に夫婦の信条が合うとは限らない。例えば、

もし、夫婦の一方が保守で、他方がリベラルだったらその夫婦はニュースのたびに喧嘩をしそうで地獄の夫婦生活となりそうである。え?そんな同士は結婚しない?いや、恋は盲目と言ったものだ。熱が冷めて相手が脚をかく仕草まで鬱陶しくなれば、政治信条の違いは我慢できないかもしれない。うまくいかないのは相手が反対派の場合だけではない。右派や左派の人々にとっては、中道の人は反対派と同じである。かのホリエモンは、右派からも左派からも叩かれるそうである。私だって、選択的夫婦別姓賛成と書いたときは右派の、与党に投票する人を劣等民族と評したジャーナリストを批判したときは左派の顰蹙を買ったことだろう。幸いなことに、私の場合はホリエモンと違って読者が10人しかいないから炎上することはなかったが。そうなってくると、右派又は左派の人と幸福な結婚生活を営めるのは同じ派の人か、そうでなかったら政治に興味のないノンポリということになる。だから、マッチングアプリには、政治信条の入力欄を設けるべきである。東京都のアプリには欄があるのだろうか?

横野君の話だと、マリア・カラスのファンと、レナータ・テバルディのファンの夫婦も一触即発だという。政治信条と同様、こうした嗜好の違いを抱えるのなら、いっそ音楽に興味のない相手の方が安泰かもしれない。

同様のことは、巨人ファンと阪神ファンの夫婦にも言える。だが、こちらはヒートアップしてもシーズンオフには収まるだろうからまだましかもしれない。


百科事典

2024-09-29 07:03:49 | 言葉

あさイチに登場した木村カエラが歌う新曲の歌詞に「Wikipedia に乗ってる情報 名前の由来違ってんぞ」という箇所があった。一般論かと思ったらそうでなくて、ご本人の「カエラ」という名前についての話らしい。ウィキペディアにはヘブライ語がどーのこーのと書いてあったが、真相は、単にご両親が変わった名前をつけたいと思ってつけた名前とのこと。

私、木村カエラがそう歌うのを聞いたからではなく、その前からウィキペディアは決して見ないことにしている。何処の誰が書いたか分からない記事など、木村カエラの名前の件に限らず信憑性が疑われるからである。ググると、いまだにウィキペディアの記事が上位にヒットするが、ずっと見ないでいれば、そのうち、私のパソコンには表示されなくなるだろうか。そうなるまでがんばろうと思う。

その代わりに、調べ物は20年前に買ったシャープの電子辞書のブリタニカでするようにした。人が書いたものには違いないが、少なくともこうした百科事典は文責が明らかだろうからより信用できる。因みに、私が子供の頃、愛用していたジャポニカ(小学館の大日本百科事典)を最近見てみると、例えば、バロック音楽の解説を皆川達夫さんが書いてたりする。時は1970年前後である。皆川先生はこの頃から先生だったんだなー、と思う。

ただ、私の電子辞書のブリタニカは解説が短い。紙のブリタニカは全35巻というから、前記のジャポニカが全18巻(加えて地図等のおまけがあって合計24巻だったと思う)で解説の分量が相当なものだったことを鑑みると、もっと解説が長いはずなんだが、電子辞書に掲載したものは短縮版なのだろうか。

その全18巻のジャポニカこそが、私の脳内の雑学のほとんどのネタ元である。音楽のことも、エンジンの作りも、大人が教えてくれない性知識も、すべからくジャポニカで仕入れた。今の人がネットサーフィンをするように、小学校高学年の私は、一つの情報について調べ始めると、関連項目を次から次へとひいていって、床はその日開いた巻でいっぱいになり、それを箱カバーに戻すのが日課となった。言うなれば「紙サーフィン」である。マリア・カラスの情報も載っていた。ショートカットでえらく赤い口紅を付けた写真が怖かった印象と共に今でも脳裏に浮かぶ。ジャポニカを揃えてくれたことについては母に感謝である。数年前に初めて聞いた話なのだが、百科事典を買うことに父は反対していたという。父の言いなりになる母であったが、このことについてはよくぞ貫いてくれたと思う。

そのジャポニカだが、実家にあったもののほか、私は自分の所帯を持ってから同じものを揃えている。全巻の古本が5000円くらいで売られていたのに飛びついたのである。実家のが残っていれば相続して2セットあっておかしくないのだが、第22巻の日本大地図と第23巻の世界大地図以外まったく見当たらない。2セットとも資源ゴミに出したのだろうか。ありうる。私、ときどき断捨離熱が出て、そのとき犠牲になったのかもしれない。だが、もし残っていたとしても、1970年までの情報だから相当古い。だが、当時、どのように解釈されていたかを知るのも一興である。押入のどこかに隠れてないかしらん。もし出てきたら机の周りにぐるっと置いて、半世紀前に戻って紙サーフィンをしたいところである。


「飼い猫=どら猫」の方程式が成り立つ件

2024-09-28 16:54:52 | 

このところ、二尾で300円で売られていたサンマ。一尾100円を超える値段で買うものか、と思い、臥薪嘗胆の日々。明けない夜がないごとく、サンマの値が下がらない日はない。晴れて二尾200円の日を迎え購入。この秋、私にとっての初サンマである。

食べ終わった後の骨はゴミ箱の底深くに隠す。でないとケメ子が漁る。そう言えば、今、仲里依紗が出てるウーバーイーツのCMにサンマを奪って逃げる泥棒猫が出てくる。まるでウチのケメ子である。あのCMは「どら猫編」ということだ。「サザエさん」の主題歌でもお魚をくわえるのはどら猫である。普通は、野良猫≑どら猫だと思うのだが(母音は同じである)、ウチの場合は、飼い猫=どら猫である。ケメ子が狙うのは魚だけではない。昨日も、ケメ子が食料保管庫の下に手を突っ込んでいたが、

取ろうとしてるのはG駆除用のコンバットである。Gを引き寄せる臭いにGより先に猫が反応しているのである。決してケメ子の手の届かない奥の奥に置いたからケメ子がGの身代わりになる事態は避けられたが、まったくもってあきれはてた猫である。だから、キッチンのシンクなどは入り放題。万が一、私が舐め損なった皿があるものなら、代わりにケメ子が舐める。じゃ、いいじゃん?よくない。猫にとって毒のタマネギ味が残ってるかもしれないし、そうでなくても人間用のゴハンは猫には味が濃すぎて腎臓に負担になるのだ。だから、これまではアルミ箔のレンジカバーでシンクをフタしていたのだが、最近は、それをとっぱらう技を覚えて役に立たなくなった。だから、今日は、ホームセンターですのこを買ってきて、レンジにかぶせてみた。

寸法はちょうどいい。果たして効を奏するだろうか。まったく、すのこを風呂場でなくて台所のシンクに使うなんざ聞いたことがない。だが、実在する。それがわが家である。

昨夜、寝ている間に胃痛で目が覚めた。何が原因だろう?サンマに併せた大根おろしだろうか?大根おろしは身体にいいはずだが、食べ過ぎると胃酸過多で胃痛の原因になるらしい。あるいは、次から次へと課題の見つかる奥地の家のせいだろうか?それとも、飼い猫なのにまるで野良猫なみにやんちゃなウチの猫どもがもたらす気苦労のせいだろうか?


上から目線

2024-09-28 06:27:59 | 日記

日本初の女性総理にあと一歩及ばなかった高市さん。肉薄しながら敗れた例として、私が最初に思い浮かべるのは真田幸村である。大坂夏の陣で、家康の本陣に突入し、家康をして観念させ「腹を切る。介錯せよ」と言わしめた。ぎりぎりで援軍が入って家康は腹を切らないで済んだが。石破さんは、臥薪嘗胆の末に総理の座をつかんだ点でも家康になぞらえよう。

「高市」を「たかいち」と読めば、最近では「さなえさん」だが、「たけち」と読めば高市皇子が思い浮かぶ。天武天皇の皇子で、私は、SF歴史小説の「宇宙皇子」(うつのみこ)でその名を知った。

石破さんが逆転で勝ったのは、国会議員達が次の選挙で国民に人気がある人を選んだ方が自分たちの浮かぶ瀬があると思ったせいだろうか。私は石破さんのことはよく知らないが、キャンディーズ・ファンであることと、鉄道オタクであることは聞いたことがある。だから同じ鉄道オタクの野党の前原さんとは仲良しだそうで、たしかにあいまみれたときのお二人は、他では見ないような楽しげな表情である。

「総理の娘」で元国会議員であらせられ、歯に衣着せないことで定評のある某さんは、出演したテレビ番組で石破さんのことを「まわりくどくて上から目線」だと評していた。「まわりくどい」には賛成だが、「上から目線」については、人を思うがままにこきおろすこの方も相当なものだとお見受けする(このタイプの毒舌家は巷でもときどき見かけるものである)。野党の某代表も、この方から「梅干しのよう」と評されていて、あわてた番組MCが「梅干しは身体にいい」とフォローしていた。それでも、この方は悪口を言うだけではなく、林官房長官のことは「育ちがいい」と言って褒めていた。「育ちがいい」というのは家柄とかそういうことではなく、しっかり教育された、ということだそうだ。人の判断にはいろんな基準があるものだ。

上から目線と言えば、最近はコメンテーター業が本業のような某芸人さんが、渦中の兵庫県知事について「地頭が悪い」と評していた。よく言えると思った。よっぽど自分の頭が良いという確信がない限り言えない台詞である。だが、昨日は当該芸人さんに助けられた。私は、チコちゃんを見た直後に、三つのお題を思い出せるかで自分のボケ度を判定するのだが、昨日は三つ目のお題をどうしても思い出せない。そんなとき、そう言えば、その方がなにか怒ってたことを思い出し、それで、ああ、サウナの話だ、と思い出せたのである。

上から目線ここに極まれり、は、サンモニに出演していた某ジャーナリスト。別の番組で現与党に投票し続ける国民を「劣等民族」と言い表した。私は、自分のことを言われたわけではないが憤りを覚えた。「劣等民族」はナチスの選民思想に通じる発想であり、保守・リベラルに関係なく、こういう語彙を脳内に蓄えていることが驚きである。馬脚を現す、とはこのこと。さすがに、この発言に対しては、野党の議員でさえ「そういう発言をする人はリベラルとは言えない」と言って苦言を呈していた。サンモニはとんだ人間をコメンテーターとして起用していたものである。当人は当分番組出演を自粛するという。自粛?じゃ、本人が出ると言ったら番組は出すんだ!同じ穴のムジナか。では、何をか言わんや、でした。


道灌山(西日暮里は海だった)

2024-09-27 06:31:53 | 地理

西日暮里駅は、何十年も単に乗換駅のみの利用で、駅外に出たことなど覚えてないくらいなのだが、こないだ上野台地を上野から駒込まで歩いた際、なにやらえらく面白そうな所だということが分かり、今度は最初から西日暮里をターゲットにして歩いてきた。まずは、おさらいから。上野台地は、西日暮里駅の辺りが一番狭くなっているため道路を通すのに都合がよかった。で、道灌山通りが切り通され、台地が南北に分断された。下の写真(山手線のホームから撮った)の中央が道灌山通りであり、左右にある高台が分断された台地である(もともと細い切り通しがあり、それを広げたようである)。

分断面の幅は写真の赤矢印で示した通り大変狭い。そして、写真の左側が「諏訪台」であり、崖上には西日暮里公園がある。そして、右側が昔の「道灌山」であり、通りの名前はここから来た。この日は、旧道灌山を「ひぐらし坂」(上の写真参照)から登るルートを選択した。

というわけで、改札を出て通りを渡ってひぐらし坂の登り口に向かう。左端に坂名を記した標識がある。右側は道灌山通りである。

坂の途中に遺跡を表す標識が現れた。

縄文時代から弥生時代にかけての竪穴式住居の跡が発掘されたそうな。なぜ、この場所に遺跡があるかと言えば、太古の昔、この辺りが陸地の端だったからである。だから、てっぺんから東を見ると、今は線路があって、その先にビルが立ち並んでいるが、

ここが海だったわけだ。その後、海面が下がって陸地が広くなった後も、現在の線路の箇所には音無川が流れていて、


道灌山(広重)出典:国立国会図書館「錦絵でたのしむ江戸の名所」 (https://www.ndl.go.jp/landmarks/)

その先は田園風景で、それを見下ろす道灌山はなかなかの観光スポットだったという。


道灌山虫聞之図(広重)出典:国立国会図書館「錦絵でたのしむ江戸の名所」 (https://www.ndl.go.jp/landmarks/)

ただし、現在では住宅地や学校のグラウンドになっていて、高台ではあっても「山」という感じはない。

ずっと東側を見下ろしていたが、振り返って反対側を望むと、

すぐそこに西端が見える(何度も言うがホントに狭い)。でも、狭いのは東西で、北側はまだまだ続いて果ては王子の飛鳥山公園である。こないだ歩いたときは、山手線(田端の先で西にカーブし台地を突っ切る)に沿って途中で西に向きを変えたけれど、今度はまっすぐ王子まで歩いてみようと思う。

 


粛正から逃れたタマスダレ、次の成敗の対象はアリ

2024-09-26 07:26:36 | 植物

「裸の花園」(奥地の家の庭)で、粛正から逃れた花一輪があった。

タマスダレのようである。

そうか、ここら辺に生えていた鱗茎の主はタマスダレであったか。唯一生き残った強運に免じて、此奴は見逃すことにする。もはや競争相手はいないから、今後、この者が始祖となってタマスダレ家の大繁栄の時代が来るのかもしれない。それでも、清盛が助命した頼朝によって平氏が滅ぼされたようなことにはならないだろう(有毒で食べるとひどいことになるらしいが、ボケない限り食べない)。

ただし、この辺りには、ニラ(鱗茎はタマスダレと似てる)も生えていた(写真は刈り取ったモノ)。

ひょっとして、粛正から逃れた中にニラも混じっていれば、将来、ニラ家とタマスダレ家が、モンタギュー家とキャプレット家さながらの相克を繰り広げるかもしれない。

杏(ずっと梅だと思ってた)穫りに間に合わなかった穫り網は、

結局、一度も使われることなく役目を終えた。ま、とにかく、これで平穏の日々が訪れた、成敗した草木の成仏を祈って過ごそう(口だけ)……と思ったら次なる敵が現れた。水道メーターボックスの蓋を開けてみると、土が盛り上がって管が埋もれている。

最初は理由が分からず、大雨によって流入したか?くらいに思っていたが、土はふかふかで、あたりを大量のアリが哨戒にあたっている。どうやら、地中にアリの巣があって、掘った土を管が通ってる孔からボックス内に排出しているらしい。メーターが埋まってしまったら一大事である。見逃すわけにはまいらん。というわけで、次なる成敗の対象はアリ。即座に作戦を開始。管にかぶっている土を取り除いて、そこに薬の入った容器を置いた。

G撃滅作戦にもこの方法が採られることがある。さて、効果はいかに。草木を成敗したから奥地にはしばらく行かなくてもよいと思っていたが、対アリ攻防戦の行方を見届けるために、猶しばらくは足繁く通わなければならなそうだ。

まっこと次から次へと敵が現れるものである。なお、ここら辺は野鳥が豊富で、うっかりしてると雨戸の戸袋に巣を作るという。「奥地」という呼称は伊達ではない。

 


八百屋

2024-09-25 07:15:55 | 音楽

立憲民主党の新代表に野田さんが就任したけれど、この人、立民の議員や支持者の一部から相当に恨まれてる。野田さんに入れた国会議員票が大方の予想より少なかったのはそのせいか。なにしろ、旧民主党が政権から転落することになった総選挙は、総理大臣だったこの人がやったことだから。そのとき民主党が政権を失ったのは当時の国民の多数がそれを望んだからで、それに対して文句を言うって日頃「民意民意」と言ってることと矛盾するんじゃないの?と思わなくもないけど、でも、だからって「はい、どうぞ」と言って政権を敵に明け渡しては政党の立つ瀬がなくなるからね、恨むのも道理かな、とも思う。

因みに、私は、自分の政治信条がバレないように記事を書いているつもり。憲法19条が保障する思想の自由は、思想の秘密の自由も含む。だから、私が批判的に書いている政党の実はシンパかもしれないし、好意的に書いている政党のアンチであるかもしれない(一周回ってその逆かもしれない)。この秘密作戦は功を奏しているらしく、最近ある動画サイトが、私が大っ嫌いな政治家の動画を奨めてきた。A.I.を騙せたぞ、と勝利の気分の私です。

代表戦で野田さんに負けた枝野さんは、立憲民主党の創業者。創業者がトップの座を追われるってさぞや口惜しかろう。でも、それってビジネスの世界ではしょちゅうある。有名どころでは、アップルを追われたスティーブ・ジョブズ。日本では、某家具メーカーの創業者社長が実の娘さんによって会社から追い出された。その後、娘さんが「乗っ取った」某家具メーカーは経営不振に陥り他社に吸収合併された一方、追い出されたお父上が新たに起ち上げた「匠某」は今でもテレビ番組のスポンサーとしてその名を見る。

家具と言えば、奥地の家のキッチンには「ちゃんとした」テーブルを置きたいと思っている……が、根っからの吝嗇家(ケチとも言う)の私のことだから、いざとなってやっぱり通販で組立式の安物に手を出して安物買いの銭失いだったと嘆くことになりそう。

立民の代表戦に出馬した吉田晴美さんって、客室乗務員だったとか、投資・証券会社の会社員だったとか、コンサルタントだったとか、議員秘書だったとかいろんな話があるけど、全部経験されてるらしい。でも、ご本人のプロフィールには客室乗務員の文字はない。ご本人がアピールしてるのは「八百屋の娘」(近所のスーパーも「元八百屋」をウリにしている)。ふーん、政治家にとって「客室乗務員」はマイナスで「八百屋の娘」はプラスなのか。まあ、私などは、飛行機に滅多に載らないから、客室乗務員さんより八百屋さんの方がよっぽど普段お世話になっている。

因みに、「八百屋」は、店を表すときの英語は「greengrocery」。横野君とこでレーザーディスクで見た「アルバート・ヘリング」ってオペラの題名役が働いてるお店にこの文字がかかってた。なお、八百屋さん(人)を表すときは「y」がとれて「greengrocer」だそーだー(韻を踏んだ)。すると、吉田晴美さんは、厳密に言うと、「greengrocery」ではなく「greengrocer」の娘、ということになる(「店」は子供を産まないから)。

 


旧中山道

2024-09-24 18:08:49 | 地理

チコちゃんで、関東と関西の境は?というお題が出て、私、ブラウン管(古!)のこっちで「箱根の関!」と回答したんだけど、ブー。正解は、 東海道の鈴鹿の関と、 東山道の不破の関と、北陸道の愛発の関だと言う。そっか、京都から見た防衛線の外が関東ってわけね。京都が基準と言えば湖もそう。京都から見て近江(近い海)がびわ湖で、遠江(遠い海)が浜名湖。因みに、京都の人は「天皇陛下はちょっと関東にお散歩に行ってらっしゃると」と言ってるそうだ。亡くなられた髭の殿下のご息女様(その留学記が今ベストセラーだと言う)が徹子の部屋で仰ってました。

ところで、東山道ってどこかと思ったら中山道の旧名だという。中山道って江戸からほぼ本州の真ん中を通って京都に行く道だよね。関ケ原の戦いで、家康の分隊が東海道を進んだの対し、秀忠の本体は中山道を進軍し、途中で真田をやっつけてやろうとちょっと寄り道をしたら足止めを喰らって関ケ原に遅参し、家康の不興を買ったのだった。なるほど、真田親子が立て籠もった上田城は、中山道からちょっと北にはずれている(さっきまで長野の地図とにらめっこをしておりました)。

私は、もともと神奈川県民だったから、中山道より東海道の方がなじみあるし、現代では東海道の方が圧倒的に交通量が多い。中山道は山道だから上り下りも多くて大変そう。なのに、なぜ、徳川本体が中山道を選んだのかというと、東海道は、ところどころに難所があったからだという。まずは前記の箱根。それから大井川(箱根八里は馬でも越すが越すに越されぬ大井川)。なるほどね。東海道の川はみな河口近くだから幅が広い。しかも、大井川って橋がなくて、旅人は人足にかつがれて渡ったという。川の真ん中で、人足に「お客さーん、料金上げてもらえねぇかねぇ」とか言われて止まられたら背筋が凍るだろう。

因みに、某民放局のアナウンサーが「旧中山道」のことを「いちにちじゅうやまみち」と読んだら、先輩アナウンサーから「きゅうちゅうさんどう」だよと直されたっていう小話(こばなし)みたいな話がありました。因みの因みに、私は「東山道」と入力するために「ひがしやまみち」で入力して変換した。だって「とうせんどう」で変換しないんだもの。あっ、「とうさんどう」って言うのか。そっちだと変換した。


夕顔、カルメン、マノン

2024-09-23 16:58:40 | 音楽

不忍池の夜景。

はて……これは寅子の得意台詞だが今日はヨネが使っていた……ではなく、さて、瀬戸内寂聴さんは、源氏物語の中で好きな女性はと聴かれた男性読者は異口同音に「夕顔」と答える、可憐で大人しくて男のいいなりになる女性こそが男にとって好ましい女性像であるようだ、と解説で書かれている。大先生に楯突いて甚だ僭越であるが、大先生の仰ることは必ずしも現代の男にはあてはまらない、と私は思う。「ほら、行くよっ」と言ってとっとと歩き出す女性(まるで出陣する信長のよう)の三歩後ろを下がってついていきたい男が大量に増殖しているのが原状だと思う。因みに、私は、命令するのもされるのも嫌いです。その点、横野君も同じ。え?じゃあ、横野君と一緒になったらって?冗談じゃない。あんな退屈な男と始終一緒にいたら気が滅入るわ。

因みに、瀬戸内と言ったら晴美さんだったのにいつの間にか寂聴さんになっている。同様に、由実と言ったら荒井さんだったのに、いつの間にか松任谷さんになっている、というのが私の認識である。

その瀬戸内寂聴さんは、光源氏の性格について「困難な恋にしか情熱が湧かない因果な性格」であると評している。それで思い出すのはオペラ「カルメン」のドン・ホセ。親が勧めるようにミカエラと結婚すればどんなに平穏だったろうと思うけど、多情なカルメンをひたすら追っかけ回し、カルメンに振られると、これを刺し殺してお縄につくことになる。

カルメンの話を出したのは、今、横野君とこのレーザーディスク・オペラ劇場がフランスものに入っていて、ついこの間、カルメンを見せてもらったから。そして、直近で見せてもらったのはマスネの「マノン」。プッチーニの「マノン・レスコー」と同じで原作はアベ・プレヴォーの小説。「チャラララ、ラー」ってイントロがマスネとプッチーニでそっくり。第1幕でデグリューに「名前は?」と聴かれて答えるところも同じなんだけど、マスネの方は「マノン」とだけ言うのに対し、プッチーニのは「マノン・レスコー」と名字まで言っていて、タイトルの違いと同じなのが面白かった。だけど、その後はだいぶ違う。マノンが官憲にとっ捕まる理由は、マスネの方はイカサマ賭博の容疑であるのに対し、プッチーニの方はいまいちよく分からない(私は姦通罪みたいなもの?と思っている)。逆に、マノンの死因については、プッチーニの方はアメリカの荒野で彷徨ってるうちに熱射病が栄養失調で倒れたんだなと想像がつくけど、マスネの方でマノンがフランスの波止場で息絶えちゃう理由は不明。まあね、ロマン派の作品は「気持ち」だけで死んじゃうことが多いからね。こうなったら一度原作を読んでみよう、源氏物語を中断してでも、と思っている私である。


おしゃべり仙人

2024-09-22 13:07:04 | 健康

中高年になると、自分の人生これで良かったの?と思う人が増えるという。ミッドライフクライシスと言うのだという。これまでの人生で何も成し遂げていないことに気がついて、自信喪失、自己否定に見舞われるという(NHKクローズアップ現代より)。大学の先生をやってるような人でも、かつての同僚が大学教授なんかになってるとミッドライフクライシスに陥るのだそうだ。だったら私なんかどうなるのさ。ホントにデタラメな人生を送ってきて今は無為無職。それでご飯は食べている。これを無駄飯食いという(なお、言葉的には、ご飯を食べてなくても、デタラメな人生を送っているだけで「無駄飯食い」と言うようだ)。まあ、ああすればこうすれば……と思うのはある程度のレベルまで行った人の話で、私くらいの低レベルだと上は見ないから危機の度合いは低いかもしれない。とにかく、ミッドライフクライシスに陥ったとしよう。そこから脱却する方法の一つは人と話すことだという。

おしゃべりは長生きのこつでもあるという。

ところで、私の目標は仙人になることだが、私のイメージでは仙人は寡黙である。ってことは、仙人は短命か?(だったら考え直すが)

水墨画の群仙図には、数人の仙人を描いたものや、数人の弟子に囲まれたものがある。数人いればおしゃべりをしてそうである。更に、侍る童が酒びょうたんを持ってたりする。お酒が入れば尚更である。仙人=長命の目が出てきた。

そもそも仙人とは何物か?大辞林は仙人について「不老不死の術を修め」た者としている。おお!仙人はそもそも長命どころか不老不死であった。おしゃべりをするしないは不問であった。だが、術を修めた者ということになると私のような凡人には無理である。結局、下界の結論(長生きをしたければおしゃべりをせよ)に従わなければならないこととなる。

ところで、私の亡き母は、最晩年、施設の部屋の壁に向かってお話をしていた。これに長命効果があったのだろうか。はたから見て会話になっていなくとも、本人が会話だと思っていれば会話である。母は楽しそうに壁としゃべっていた。効果はあったと思う。だが、その前にボケていることが前提であるから、壁との会話による長命効果はボケによる寿命短縮と相殺されたことは否めない。


先生美女

2024-09-21 18:55:28 | 音楽

今日の午後は、H美女がゲストで出演するチャリティーコンサートを聴きに白井に行ってきた。

日頃、テレビ番組のワイプを見て苦々しく思っている私だが、このワイプ(のような丸写真)は大歓迎である。もっとでかくても良かった。そのH美女は、司会者からH先生と紹介されていた。そうなのだ、Hさんは先生であった。軽々しく美女などと言ってはいけなかった。だが、出番になって舞台に現れたその姿は花が咲いたようで(名前通り)、やはり美女であった。が、歌い出すと、それがあまりにも素晴らしいから(そんなことは百も承知のはずだけど)、やはり先生だと思った。そうだ、両方くっつければいいんだ、ということで、以下「H先生美女」とお呼びする。

H先生美女の歌は、とにかく優しくて優雅でそれは高音に行けばいくほど顕著である。聴いてると、このまま魂が抜けて天国に行ってしまいそうな感覚に襲われる。そうやってぽっくり逝ったらそれは大層幸せなことだと思う(○○○するより遥かに幸せである(全部伏せ字にさせたのはかろうじて残っている私の理性である))。

他の方達も素晴らしかった。コンサート名にその名を冠してらっしゃるソプラノ様は「リジョイス」を聴いたことのないような高速メリスマで歌い切られてびっくりしたし、ピアニスト様が弾いたラヴェルのソロは曲名通り水がキラキラ光る様子が見えるようだった。鍵盤ハーモニカも色を添えていた。最後は、ステージに全員が集結し、客席も一緒になって「赤とんぼ」を歌った。まっこと、心の洗濯になったコンサートでありました。

その「赤とんぼ」だが、歌詞について今さらのように思ったことがいくつかある。まず、1番の「おわれてみたのは」は、「おんぶされて見たのは」の意味だと思うが、「村人みんなから石もて追われて失意のうちに見たのは」という解釈も決してあり得ないことではない、と黄昏の好夫は思うのである(申し遅れましたが、書いているのは横野好夫です)。

それから3番の「15でねえやは嫁に行き」の「15」は数えだろうから満年齢で13,4か。若いなぁ。でも、光源氏が婿入りしたのは12歳だしな。そう言えば、源氏物語の若紫(10歳くらい)の祖母の尼は40歳ちょっとということで、これも随分若い祖母だなぁと思ったが、仮に15歳で子を産み、その子が15歳で子を産んだとすると、その子が10歳のとき祖母は40歳だから計算は合う。

ところで、白井があるのは下総の国である。私は「今後、川を渡って下総の国に行くことはない」と宣言した身。なのに下総の国の白井に居たのはどういうことか、と検察官が机を叩く。私は、川を渡らなくても下総の国に行ける、と言う。すると、検察官は下手な絵を書いて、下手なくせに自信たっぷりに、

「お前の住んでる武蔵国の綾瀬から下総国に行こうと思ったらまず江戸川を渡らなければならない。江戸川を渡らないで済まそうとずっと北に回り込んでも利根川が蓋をしてるからこれを渡らなければならない。だから川を渡らずに下総国に行くことはできないはずだ。お前は禁を犯した」と司法役人らしく高圧的にくる。私は落ち着いて言う。「へへへ。だんなー。そりゃ陸続きで行こうと思ったらそうですけどね、今はアクアラインがあるんでさ。フェリーだってある。それで東京湾を渡れるんですぜ。そうやって房総半島に渡ったらこっちのもんだい。白井だってどこだって行けまさー」。検察官は顔を真っ赤にするが二の句をつげない。私は無罪放免である。

これが空となれば、尚更である。白井の空で見た飛行機は成田空港に行く便だと思われるが、

綾瀬の空を飛んでる飛行機も、

離発着先は成田である。

 


東京都のマッチングアプリ/パパゲーノとパパゲーナの相性

2024-09-21 06:57:00 | 音楽

東京都が独自のマッチングアプリの本格活用を始めたという。AIがお似合いの相手を見繕うという。それなら合う人を見つけてくれるかも……って、普段、「お利口なAI」と言ってAIに冷ややかな私のくせにこういうときだけ秋波を送るってどうなの?と自分でも思う。え?登録条件が「結婚したい人」?私、普段は、結婚したいなんて思わない。でも、パパゲーノに対するパパゲーナみたいなぴったりの相手がいるなら(条件)、結婚してもいい(条件付結婚願望)。こうした条件付結婚願望でもOKかしらん?

登録料が1万円以上かかるっていうけど、マッチングアプリって怖いイメージもあるからね、都がやってるんだったら安心感があるから登録する人がいるかもね。だけど、これって行政による民業圧迫にならない?逆に役所が民業に手を出してうまくいかないこともあるし。都も、その昔、銀行経営に乗り出してコケたことがある。まあ、でも、「高齢者」は、民間の結婚紹介所では相手にしてくれないっていうから(結婚相手というより介護者の紹介になっちゃうから)、その意味で、行政サービスの意味があるのかもしれない。

あっ、大問題を発見した。登録条件に「東京都内に在住・在勤・在学の方」が入ってた。そりゃあ、東京には人がたくさんいるだろうけど、その範囲だけで見つけなきゃいけないってどうなんだろ。すると、江戸川や多摩川のあっち側に在住・在勤・在学の人とはマッチングされないということだ。私の奥地なんざもってのほか。せめて「東京都内にしょっちゅう遊びにくる人」が入ってれば良かったのに。

因みに、冒頭で「パパゲーノに対するパパゲーナみたいなぴったりの相手」と書いたけど、この二人の相性は本当にぴったりなのだろうか?たしかに名前は一文字違いだし、二人とも姿格好はそっくり(鳥を装っている)。だが、性格が合うとは限らない。見かけで判断してはいけない。パパゲーノは、オペラの中ではパパゲーナと離ればなれになって首をくくろうとしたが、オペラの後になって結婚に疲れて首をくくるかもしれない。え?二人が二重唱を歌ってる間に子供がぞろぞろ出てきた?あんだけ子作りをしたんだから、仲良しに違いない?それはね、エファーディングって人の演出に限った話。それに、子作りしたから仲良しとは限らない。夜だけ仲良くなる夫婦もあるって言うし。


秘密の花園が裸の花園になったが根はしっかり残った件

2024-09-20 09:55:42 | 植物

というわけで(いつからの話の続き?)、「猫の額」あらため「秘密の花園」に対して総攻撃を仕掛けた(と言っても、実際に草木を成敗したのは植木屋さんである。ドイツ語で言えば「総攻撃 lassen」である。その結果、景色は一変。例えば、門……いや「門」と言ったら漢字を見ても分かるとおり屋根がついてる立派な建造物である。秘密の花園のそれはせいぜい「木戸」である(木製ではないが)。その木戸の辺りのビフォーアフターはこのとおり。

庭から山々が見えるようにになった。そして、花壇のビフォーアフターはこのとおり。

「花壇」と言っても、これまでは「想像の産物」であった。草木に隠れて杭が見えなかったからである。その杭が明らかになり、花壇の範囲(フェンスと杭の間)が明瞭となった。ここにお好きなモノを植えなさい、ということだったのだな。そして、道路から中を覗いたときのビフォーアフターはこのとおり。

あらやだ。外から丸見え。まるで丸裸。これじゃあ、夏場に行水ができないですわん(丸裸だから丸裸になれない。これいかに?ところで、「丸裸」と「素っ裸」の違いはなんだろう。いつか研究してみよう)。てな具合である。夏草や兵どもの夢の跡の風情、と言いたいところだが、夏草からしてほとんど残ってない。

こんだけの大戦(おおいくさ)をしたのだから、草木ゴミは某大。もちろん、植木屋さんにもってってもらう。

まだ作業中である。乗り切らないゴミがたくさん残ってる。植木屋さんは何往復かかけてゴミを捨てに行くと言っている。そもそも、木を切り草を刈るだけなら私(体力自慢)でもできる。後のゴミ処理が無理だから業者に頼んだのである。ついでに、庭の管理方法をいろいろ教わった。庭いじりが趣味の隣のご亭主もいいチャンスとばかりやって来ていろいろ質問をしていた。こうやって知り合いの業者が増えていくと、生活もしやすくなる、というものである。

見ると、切った木にキノコがはえている。

キノコは枯れてる木に生えるのだという。これは杏(梅だとばかり思ってた)の木だ。今年たくさん実を付けたが、幹の半分は枯れていたという。殲滅作戦を敢行した理由の一つである。その他、生け垣を切っても切ってもフェンスからぶっとい枝が道路に張り出すとか、花や葉っぱが道路に落ちても常住してないのでしかるべき時に掃除ができないとかも作戦の動機となった。

花壇には、将来(引越後)、野菜を植えるつもりである。

なお、殲滅作戦と言っても「根絶やし」ではない。根っこは残っている。

抜根すると、費用が倍になるからである。いずれ、この切り株から若木が生えてくるのだろう。横浜の実家の柿の木がそうだった。隣地との境に塀を作ったとき、作業の邪魔だったのだろう、業者がことわりもなしに切ってしまったのだが(帰宅した父がその話を聞いて烈火のごとく怒り、「なんでそんなことをさせたんだ」と母を責めた。母は「知らないうちに切られたんだ」と言って夫婦喧嘩が勃発した。私は、喧嘩をする相手が別だろうに、と思った。数十年経って、母に「その後どうなった?」と聞いたら「もちろん業者からお金をとったわよ」と言っていたがウソかもしれない。母はそういう見栄っ張りなウソをつく人間であった。長い括弧はここで終わり「業者が柿の木を切ってしまったのだが」に戻る)、すぐに切り株から芽が生えてきて、へー、木って強いんだなー、と思った。三代将軍源実朝を暗殺した公暁が身を隠していた大銀杏(樹齢一千年!)は数年前に倒れてしまったが、残った根から芽が出ているそうである。オペラ「利口な女狐の物語」の女狐(ビストロウシュカ)も鉄砲で撃たれて死んだが、その子供達がしっかり「いたずら者」の後を継いでいた。だから、わが家の秘密の花園……おっと、もう丸見えだから秘密でもなんでもない、「裸の花園」である。その裸の花園の木たちもいずれ復活する日が来るに違いない。その日をこの目で見ることができるだろうか。木の復活と私の寿命のいたちごっこ、いや、きつねごっこである(狐に別に深い意味はない。狐のオペラの話が出たんで言っただけ)。

この日の作業が一段落して植木屋さんが帰ったので私も帰ろう、空がゴロゴロ鳴っている、傘を持ってないから本降りになる前に引き揚げようと思って玄関を出ると、風が頬を打った。気流を遮る木々がなくなったことを実感した。


歳も恋には抗えない(エヴゲーニィ・オネーギン)

2024-09-19 07:17:51 | 音楽

多分、生涯で初めて好きになった歌謡曲は「いつでも夢を」だったと思う。今でも聞くとキュンとする。本来は、橋幸夫と吉永小百合のデュオなのだが、テレビで橋幸夫が一人で歌ってた。すると、「あのこは、いつーも、疑ってった」と聞こえてギョッとした。まるでオペラ「カヴァレリ・ルスティカーナ」みたいだ、とか思ったが、よく聞いてみると「あのこは、いつーも、歌ってた」だった。レーザーディスク劇場で悪い(?)オペラの見過ぎのようである(申し遅れましたが、文責は横野好夫です)。

そのレーザーディスク劇場で、次に視聴したのがチャイコフスキーの「エフゲニ・オネーギン」……と書いたが、この「Eugene」の読みはホントのところ、どうなのだろう。「エウゲニ」という表記も見る。この際だ、Weblioで確認してみたら「エヴゲーニィ」とある。「エフゲニ」でも「エウゲニ」でもないじゃん。なのになぜ人はそう表記してきたんだろう。おおかた、最初に訳した人に引きずられたのだろう。よくある話である。「ヴァン・ゴッホ」も一億人が皆騙された例である(私にとっての日本の人口は1億で止まってる。今下がってきてるからそのうち私の認識と一致する)。因みに、芥川龍之介はゴッホのことをゴオグと書いていたが、さすがにこれは誰も右に倣わなかった。なお、「Eugene」は英語の「ユージン」、ドイツ語の「オイゲン」に相当する。

その「エフゲニ・オネーギン」の終幕には、ニコライ・ギャウロフが登場して、若い妻を娶った喜びを切々と歌う。「歳も恋には抗えない」と歌って鼻の下を伸ばしている。そうでしょうとも。そうやって、老いらくの恋にはまって堕落・没落する人がたくさんいるのです。そう言えば、ちょうど今、どっかのドンファンと言われた人(現代の日本人)の死に関して、うーんと若い奥さんが疑われて裁判になってたっけ。

人が犯罪者となるのは有罪が確定してからである。だが、日本人の多くは、人が「つかまった」と聞くと「悪いことをした」と決めつける。歴史上、多くの無実の人が時の為政者によって獄につながれたことを考えれば、そう簡単に人を犯罪人とは決めつけられないはずである。そのような人権意識の薄さは、日本人にとって人権は上(米軍)から降ってきたものであり、自ら勝ち取ったものではないせいだと思う。「天賦人権」とはよく言ったものである。

さて、ギャウロフの歌う喜びの歌だが、聞いてると、「歳も恋には抗えない」が歌の終わりの方にもう一度出てきた。それさっきも言ってたじゃん。言ったこと忘れたの?もしかして、このおじーさん、ボケてる?

なーんて悪口を書いたが、ギャウロフの歌は素晴らしかった。この人はビッグネイムだが、私は、声がバリバリ割れてて好きじゃなかった。でも、この歌は気持ちがこもっていて良かった……と感じられるのは、私も老境に入った証しだろうか。

因みに、このおじーさんが娶った若い妻を歌ってるのはミレッラ・フレーニ。ギャウロフの妻である。夫婦で夫婦役を演じて稼いでいるのである。だが、実際の歳の差は、物語ほどではないようだ。フレーニにはもともと指揮者の夫がいたが、ギャウロフを好きになって、夫に打ち明けて、人のいい夫は「わかった、でもミカエラ(娘)が大きくなるまで待ってね」と言って、で、ミカエラが成人してから離婚し、フレーニはギャウロフと再婚したわけである。オペラ歌手は、役柄に染まるのだろうか。オペラ的な生き方をする人だらけである。なお、「ミカエラ」はフレーニが若い頃よく歌ってた「カルメン」に出てくる役の名前である。

オペラ的な生き方と言えば、このオペラの原作もお馴染みのプーシキンなのだが、女性のことで友達ともめて決闘して殺される話を書いた自分が、実際にそういう目に遭って死ぬことになることを少しでも予感したのだろうか。

なお、冒頭の橋幸夫さんは、既に80歳を過ぎたそうだが、ギャウロフの演じる役そのままに若い奥さんを娶られたそうで、今あるのは妻のおかげ、と徹子の部屋でのろけていらっしゃいました。


上野台地歩きで山手線最後の踏切に遭遇

2024-09-18 06:57:44 | 地理

車窓から左右の景色を見ていると、山手線が上野から田端辺りまでは上野台地の縁(崖下)を通っていることが分かり、その崖上を歩くことを次なるミッションに決めていたのだが、この暑さのせいで繰り延べになっていた。ようやく秋風が吹いてきたのでこのたび実行した(冒頭の図は全行程の概略である)。

スタートは上野公園の南口である。

台地の入口と言うにふさわしい上り階段。ここを上って、しばらく上野公園内を進むと上野駅(公園口)が現れる。この日、最初に遭遇した駅である。

あら、びっくり。上野駅と東京文化会館の間を隔つ車道がない。昔は、ここに信号があって、信号が変わるのを待って渡ったものだが、今は往来が自由自在である。とんだ浦島太郎だ。一体、いつかからこうなったんだろう。

本来は、ずっと台地の縁に沿って線路を眼下に眺めながら歩きたいのだが、上野駅から先は、縁に道がない箇所が多く、かと言って忍者じゃないんだから(あるいは、クライミングの選手じゃないんだから)断崖を這って進むわけにもいかないので、この辺りでとった作戦は、とりあえず台地の中央辺り(寛永寺や谷中霊園がある)を歩きつつ、崖下に通じる坂が出てきたらそこを進み、跨線橋の袂まで行って線路を上から眺めて元の道に戻るという「タッチ・アンド・ゴー」作戦、あるいは、ムハメド・アリが行った「蝶のように舞い、蜂のように刺す」作戦である。歩く距離はいきおい長くなるが、望むところである(暑さでぱっとしない体調への喝である)。

その跨線橋の一つが御殿坂の先に架かる下御隠殿橋(しもごいんでんばし。日暮里駅のすぐ脇)である。

この橋は、荒川区のHPにも載っていて、橋の下を走っている路線は京浜東北線、山手線、新幹線(東北、山形、秋田、北海道、上越、北陸)、高崎線、宇都宮線、常磐線そして京成線だそうだ。左側の断崖が上野台地の縁であり、車窓からはこんな感じで見えていたものである。

ん?京成線?そう、京成線も走っている。次の写真は、ここよりちょっと上野寄りに戻ったところの寛永寺陸橋から撮ったものだが、JR線に交叉する形で山手線の内側に入っていく路線がある。

えー?山手線の内側を走ってる電車って都電荒川線のほかにあったっけ?あった。それが京成本線だったのである。日暮里駅の辺りではJR線に平行しているが、その後、カーブしてJR線に交叉した後、地下に潜って京成上野駅に向かうである。

先を急ごう。日暮里を後にして西日暮里に向かい台地を歩いていると「富士見坂」の標識が現れた。富士山だから西側だよな、とそっちを向くと、あったあった、いかにも昔は富士山が見えたけど今ではビルが邪魔して見えません風の坂が。

富士山が見えた頃の写真と比較すると、富士山を見えなくした犯人ならぬ犯ビルが分かる。この辺りは「谷根千」エリア内で、「夕焼けだんだん」や「谷中銀座」は近くである。次はそっちの方に行ってみるか。ところで、今、台地の真ん中を歩いていて、ちょっと東に行けば崖なのに(その下に線路)、西を向くとすぐさま下り坂。なんだか妙に台地が狭くなった気がするんだけど……

その感覚は正しかった。後から知ったのだが、ここからちょっとの所にある西日暮里駅の辺りが上野台地の一番狭い箇所なのだそうだ。西日暮里駅前を、台地を寸断する形で道灌山通りが通っているのはそのせいである。狭いから切り通して道を敷くのにもってこいの場所だったわけだ。そういうわけだから、台地の旅人は西日暮里駅でいったん下車ならぬ下山をしなければならない。下り道を下りきった所にあるのが道灌山通りと西日暮里駅である。

通りの向こう側(北側)に見えるのが寸断された台地の片割れである。西日暮里駅のホームからこの断崖を見る度に、線路に面した所は高いけど反対側(西側。写真の左側)がすぐ低くなっているのはなぜだろう、切り崩したのかな、などと思っていたが、そもそも、この幅(写真の左右に収まるくらいの幅)がこの辺りの上野台地の幅なのだ。なるほど、狭いと思ったわけである。

さて、通りを渡って再び台地の上に乗りたいわけだが、断崖の西(写真の左側)に「ひぐらし坂」という有名な坂があることをこの時はまだ知らなかったので(知ってたらそっちから上った)、線路に沿った坂(写真の右端)を上っていった。木々の合間からときたま下界(線路)が見える。

オリュンポスの神々もこのようにして人間界を覗いていたのだろうか。すると、上りきった辺りに突然公園が現れた(田端台公園)。

なんということもない普通の公園なのだが、まさか崖上にこのような世界があるとは下界の車窓からは想像もつかなかったからまるで空中庭園であり、集う人々がオリュンポスの神々に見える。因みに、小遊三師匠がパリと言っている大月の一つ手前の猿橋の駅前からケーブルカーで山の上に上ると、そこにいきなり住宅地が現れる。下界からは想像もつかない別天地である。

その後、脇に逸れて少し下る道を行くと田端駅の南口に出くわした。

田端駅は山手線と京浜東北線の乗換駅だからホームは混雑しているが、この南口はえらくこぢんまりしている。それでも「オリュンポスの神々」にとっては大事な改札口であろう。などと思っていたら、急ぎ足で駆け下りてくる神々の一人とすれ違った。へー、神様も急ぐことがあるんだ。私の奥地の家の最寄り駅じゃないんだから、そんなに急がなくてもすぐ次が来るだろうに。

さて、田端を過ぎると、いよいよ、京浜東北線や新幹線等と山手線が分かれる分岐点である。

写真の上が北に向かう新幹線であり、下が西の池袋方面に向かう山手線である。その間にある高台は車窓からもよく見える景色である。実は、この写真は合成である。そう都合良く二路線の電車が一緒に来てくれるわけがなく、当初は二枚並べて載せようかと思ったのだが、試しに上下で貼り付けてみたら見事に一体化したものである。この後、この山手線の電車は、これまでになかった経験、すなわち、進行方向の右手にも断崖を見る、という経験を味わうことになる。私も、山手線に沿って、進路を西に向けて進むことになる。

ここまで来ると、上野台地に乗っかってるのもあとわずかである。これまで高台にあった道が駒込駅に近づくにつれ、下り坂になり低くなっていく。

そこに突然、踏切が現れた。

え?山手線に踏切なんてあったっけ……って、現に目の前にある。なんと山手線に残る最後の踏切だそうで、廃止が決まっているそうである。期せずして、私とは初めましてと言ったそばから今生の別れとなったわけである(ジェンティルドンナが引退レースの有馬記念で初めて中山競馬場を走って優勝した際、実況アナが発した「こんにちはとさようならを同時にやってのけました!」は語り草である)。いずれにせよ、踏切があるということは、道路と線路の高さが同じということであり、台地は風前の灯である。

そして、上野台地を降りきったところに商店街と駒込駅の東口があり、

そこから、すぐ、今度は本郷台地への上り坂が現れるのだが、本日のミッションに本郷台地は入ってないから、この日の小旅はこれで終了。駒込駅東口からとっとと帰ったのでありました。大凡二時間の行程であった。

おまけに、今回の小旅の前奏曲を載せておこう。

上野公園を上る前に脇を通った不忍池である。池は蓮の葉っぱで被われていた。なんでも、蓮の葉っぱの浮力は大きいもので100㎏くらいあるそうだ。だったら、人が乗っても大丈夫じゃん……そうか、お釈迦様が乗ってるくらいだからなー。