拝島正子のブログ

をとこもすなるぶろぐといふものを、をんなもしてみむとてするなり

お釜

2018-03-11 23:09:33 | 日記
今日の合唱練習の後の当初の選択肢その1。ガストでチーズインハンバーグを食す。その2。とっとと帰ってできあいのものを食す。すると突然第三の案が降ってきた。ちょうど駅前のスーパーで総菜の値引きが始まる時間。しかもこのスーパーのポイントでもうじき失効するやつがたまっている。値引きした総菜をポイントでゲット=2倍お得。ということで、久々にこのスーパーの餃子を食している。以前はしょっちゅう買っていて、で、タレが余分についていて、それがどんどんたまっていたのだが、最近の自家製餃子ブームでどんどん消化して残りわずかになっていたのだった。一昨日はアルカディア合唱団、昨日はシュッツを歌う会、で、今日はKMC。先週はシュッツを歌う会の代わりにカプと歌いまくる会だった。母に「最近どうなんだ?」と聞かれて「合唱で忙しい」。すると「歌っていくらかもらうのか」。ぼけるのもほどほどにしてほしい。で「逆だよ、会費を払って歌わせてもらうんだよ。お母さんがここ(施設)の「歌謡教室」に行くのと同じだよ」「なんだ、もらうんじゃなくて払うのか。かっかっかっかっ(水戸黄門のような笑い)」。ある日、その歌謡教室の先生が母を呼びにきたとき部屋で鉢合わせした。私に気づいて「ご一緒にどうですか?」。冗談じゃない。これ以上歌う場を増やしてたまるか。で丁重にお断りしたのだが、ふと「私、カウンター・テナーです」と一発かましたくなった。だが、施設の中で「いーじまさんの息子さんはお釜らしい」という噂ががたつと母がまたおかしくなって1時間ごとに「お前、お釜か?」と電話をかけてくるのも困るので言わないでおいた。いや、この時代、恋愛相手のジェンダーを問わない人がそこかしこにいるからお釜が悪いということではないが、年寄りには理解不能だろう。因みに私にそのケはないので(あってもよいのだが)、FBの「恋愛対象」は「女性」にしている。

ヘンゼルとグレーテルが家に戻れたワケ

2018-03-11 09:15:01 | 音楽
「ホントは怖いグリム童話」というのはホントだ。最近読んだ話にもこんなのがあった。悪魔が父親に娘の両腕を切り落とせ、さもなければお前を地獄に連れて行くと脅す。通常の物語なら、自分が身代わりになって娘が助かるなら喜んで身代わりになる……のだが、なんとこの父親、娘に「お父さんは、お前の両腕を切り落とさないと地獄に連れて行かれるんだ。だからごめんね」と言って娘の腕を切る。ありえん。しかも、これが子供に読み聞かせるメルヘンときている(聞かされた子供はどう思うだろう)。そして、いよいよ「ヘンゼルとグレーテル」。ここでも容赦はない。兄妹を森に置き去りにしようと母親が提案。「そんなことできない」と渋る父親に「このままでは一家全員飢え死によ」と言って作戦を強行する。自分のパンを子供にあげて、という話にはならない。だが、ここに一つヒントがあった。「Stiefmutter」(継母)という言葉が一回だけ登場。だからか(もちろん、実の子以上に継子に愛情を注ぐ継母もいれば鬼のような実母もいる)。因みに、魔女をやっつけた兄妹がなぜ父親の家に帰ってこられたかというとこの継母が死んだから。そういう話なのであった(両親が後悔したわけではなかった)。このメルヘンはフンパーディンクがオペラにしているが、作曲者の妹が書いた脚本は元の話を少し変えていて、母親は(多分実母)、いたずらばかりする兄妹に腹を立てておしおきの意味で森に行かせる。大分マイルドになっているが、やはり怖いのは母親の方。なんでかなと思っていたが、そっか、元の話がそういう話だったんだと分かってガッテン。魔女をやっつけた兄妹が両親と会うときも「Vater,Mutter」と父の名を先に言うのもなんでかなと思っていたがガッテン。それにしても、このオペラはホントに素晴らしい。親しみやすい童謡を材料にしながらその音楽は壮麗無比。果たしてフンパーディンクはヴァーグナーの弟子であった。演奏は、ファスベンダーとグルベローヴァの姉妹にヘルマン・プライのお父さん、という美声まみれの映像が断然お奨め(ただし、人にそのビデオを見せたら、その人は兄妹(実際は姉妹?)のトウが立っていると文句を言っていた。あの美声を聞けばそんなことはどうでもよくなる……わけではない人もいるようだ)。印象に残るところ=全編だが、特に、お父さん(プライ)が帰宅途中に歌う「ライラララーイ、ライラララーイ、Hunger ist der beste Koch(空腹が一番の料理人)」は耳に残る。