6日は東京・渋谷へ映画「北のカナリアたち」を観に行った。このところ度々、渋谷の宮益坂下の交差点を通り、丁度真下に渋谷東映の看板が見え、「北のカナリアたち」を上映しているのを見かけ、ネットで調べたらあと数日で上映が終わることがわかり、そういえば最近の吉永小百合の映画を見ていないことを思い出し、行くことにした。吉永小百合は同年代であるとともの早稲田の同窓で、それほど熱心ではないが、ずっとファンであった。ずっと第一線を保ち続けている数少ない女優であり、いつまで動静が気になる俳優である。
「北のカナリアたち」は図書館で働く元教員の吉永小百合演じるハルのもとに刑事がやってきて、20年前に北海道の島の小学校の分校で教えていた鈴木ノブトなる生徒が殺人事件の重要参考人として手配されており、逃げ出した自宅の机の上にハルの名前と住所が書いたメモがあった、というのだ。そこから一気に時代はさかのぼり、ハルの分校時代の思い出といまとが交差して、物語は進んでいく。雪道を思い荷物を持って歩いてきたハルがある住まいの前で立ちどまり、出てきた少年に「ノブちゃん」と声をかけると、ノブは持っていた石をハルに投げ、それがハルの額に当たり、血が出て、ハルはどうしてそんなことをするのだろう、と訝る。
その場面をひきずったまま、ハルが分校時代のノブを含め6人の生徒を訪ね、ノブの消息を聞いて回りながら、物語は分校時代にみんなで歌を歌ったり、バーベキューをしたり楽しく過ごした思い出を映し出していく。ちょっとした諍いがもとで、海に飛び込んだ生徒を助けようとして、ハルの夫が波にさらわれ死んでしまい、それがもとでハルは島を出ていくことになる。その諍いの元をめぐって思い出が交錯し、ハルの知らなかった事実が徐々に明らかにされ、駐在所の警官とハルの苦い恋も暴露される。
最後にノブを島に呼び寄せたのはハルだったことがわかり、みんなで20年ぶりに再会して、いまは廃校となった校舎の教室で「歌を忘れたカナリア」を合唱して終わりとなる。「二十四の瞳」ならぬ現代版「十二の瞳」である。
吉永小百合が20年前といまと少しも変わらぬ姿で登場し、20年前に少年少女だった生徒が青年、娘になっていて、やっと判別がつくが吉永小百合だけが画面に映っているのでは今か、20年前か判別がつかない。特に遠景で映っている場合は全くわからない。それだけ吉永小百合が若いということなのだろうが、こんな演技ができるのは吉永小百合だからだろう。歌を忘れたカナリアでなく、老いを忘れたカナリアとでも言うのだろうか。冒頭のノブが石をぶつけたのは島を去っていくハルに行かないでほしい、という気持ちをぶつけたのだ、ということが最後になって判明するが、少し引っ張り過ぎではないか、という気がした。原作が舞台に選んでいるからののだろうが、映画も大自然豊かな北海道だから叙情豊かに描けたのかな、という気もした。
「北のカナリアたち」は図書館で働く元教員の吉永小百合演じるハルのもとに刑事がやってきて、20年前に北海道の島の小学校の分校で教えていた鈴木ノブトなる生徒が殺人事件の重要参考人として手配されており、逃げ出した自宅の机の上にハルの名前と住所が書いたメモがあった、というのだ。そこから一気に時代はさかのぼり、ハルの分校時代の思い出といまとが交差して、物語は進んでいく。雪道を思い荷物を持って歩いてきたハルがある住まいの前で立ちどまり、出てきた少年に「ノブちゃん」と声をかけると、ノブは持っていた石をハルに投げ、それがハルの額に当たり、血が出て、ハルはどうしてそんなことをするのだろう、と訝る。
その場面をひきずったまま、ハルが分校時代のノブを含め6人の生徒を訪ね、ノブの消息を聞いて回りながら、物語は分校時代にみんなで歌を歌ったり、バーベキューをしたり楽しく過ごした思い出を映し出していく。ちょっとした諍いがもとで、海に飛び込んだ生徒を助けようとして、ハルの夫が波にさらわれ死んでしまい、それがもとでハルは島を出ていくことになる。その諍いの元をめぐって思い出が交錯し、ハルの知らなかった事実が徐々に明らかにされ、駐在所の警官とハルの苦い恋も暴露される。
最後にノブを島に呼び寄せたのはハルだったことがわかり、みんなで20年ぶりに再会して、いまは廃校となった校舎の教室で「歌を忘れたカナリア」を合唱して終わりとなる。「二十四の瞳」ならぬ現代版「十二の瞳」である。
吉永小百合が20年前といまと少しも変わらぬ姿で登場し、20年前に少年少女だった生徒が青年、娘になっていて、やっと判別がつくが吉永小百合だけが画面に映っているのでは今か、20年前か判別がつかない。特に遠景で映っている場合は全くわからない。それだけ吉永小百合が若いということなのだろうが、こんな演技ができるのは吉永小百合だからだろう。歌を忘れたカナリアでなく、老いを忘れたカナリアとでも言うのだろうか。冒頭のノブが石をぶつけたのは島を去っていくハルに行かないでほしい、という気持ちをぶつけたのだ、ということが最後になって判明するが、少し引っ張り過ぎではないか、という気がした。原作が舞台に選んでいるからののだろうが、映画も大自然豊かな北海道だから叙情豊かに描けたのかな、という気もした。