鈍想愚感

何にでも興味を持つ一介の市井人。40年間をサラリーマンとして過ごしてきた経験を元に身の回りの出来事を勝手気ままに切る

ランチバイキングで夕食は食べられなくなった

2012-12-09 | Weblog
 8日は東京・丸の内の出光美術館へ「琳派藝術Ⅱ展」を鑑賞に行き、クリスマスプレゼントを買いがてら、しばし銀ブラを楽しんだ。昼時になったので、どこかでランチをと思いながら、適当なレストランを2、3あたったが、満員で入れなくて、新宿に向かった。で、1カ月くらい前に新宿丸井の8階に「ザ・プレミアムビュッフェレストラン」なるケーキバーのあるレストランがあったのを思い出し、行ったところ土日はランチバイキングだけだったので、並んで入ることにした。団体が入っていて、入店に時間がかかる、ということだったが、しばらく待つだけでなんなく入店することができた。
 時間制限はないということで、早速トレイに並べてある料理を手当たり次第に取って、食べだした。いつもなら菓子パン2つもあればランチは終わりなのに、バイキングとなるとお腹のすき具合いに関係なく、次から次へと口に料理を詰め込んだ。バイキングとなると、一通りの料理を少しづつでも皿に盛らないと気が済まない。さすがに嫌いな魚は盛らないが、肉は盛ってしまう。最初はお腹が空いているので食べるだろうと思うのだが、やはり肉には手がでなくて、つい後回しになってしまう。ほどほどにお腹が膨れてくると、もうお肉には手がでなくなってしまい、結局お皿に盛った肉は残ってしまう。
 近くに座ったアベックなどを見ていると、会話中心で、それほどガツガツ食べている気配はない。たまたまデートコースにバイキングを選んだ、という感じで優雅である。それに引き換え、当方は会話もなく一心に箸を運び、世代が違うとこんなものか、とも思われてくる。かみさんにも言われるが、戦後まもなく食の貧しい時代に育ったので、ついついバイキングとなると「食べなきゃ損だ」という気分になる。貧乏人根性丸出し、というわけである。特に食事のあとのデザートはあるだけのケーキをすべて食べない、と気が済まない気分になり、もうこれ以上食べられない、という限界までお腹に詰める。
 考えてみたら、いつもバイキングは朝とか、夕に食べるケースが多くて、お昼にバイキングを食べたのは初めてのことである。食べ終わって、しばらくはテーブルに座ったまま動きが取れなかったほどだった。終わったのが午後2時ころで、それから買い物をして、家に帰ったのが午後6時過ぎ。いつもなら夕食ということになるのだろうが、一向にお腹が空かない。テレビで浅田真央のグランプリファイナルを見ていても夕食を食べる気にならなくて、結局夕食は摂らずに寝てしまった。つまり、昼食と夕食を合わせて摂ってしまった、というわけで、こんなことはいままでになかったことだ。どんなにお腹がいっぱいでも夕食は少しといえども食べてきた。それだけ食が細くなったということなのだろうか。人間、年とって自分の食べられる量についての認識が薄れてくると、とんでもないことになりかねない。夜になって、消化薬を呑んだが、しばらく気持ちが悪くなり、もう一歩で身体を壊すところだった。食べ過ぎで身体を壊したなんてことになったら、恥ずかしいことだ、と思い知った。
 熊は冬眠する前に食いだめして、春まで食べないと言われるが、徐々に慣れていけば人間もそんなことができるのではないだろうか。食いだめして食を抜かすことを訓練していけば1日や2日食べなくても大丈夫なような気がしてきた。年とると、ろくなことしか考えなくなるものだ、と我ながらあきれかえった。
コメント
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