鈍想愚感

何にでも興味を持つ一介の市井人。40年間をサラリーマンとして過ごしてきた経験を元に身の回りの出来事を勝手気ままに切る

神保町からまた昭和・平成文学の火が消えてしまった

2009-02-06 | Weblog
 5日は歯の点検で東京・お茶の水へ行った帰りに今年初めて神保町の古書店街を歩いた。昨年は毎週のように古書店を徘徊し、所有する全集本の値段がどうなっているか、確かめたり、新しい掘り出し物がないか、とあさっていた。で、覗く古書店にはいつも小宮山書店、厳松堂書店、大雲堂書店の3店は入っていた。で、いつものように小宮山書店から覗いてみて、すっかり様子が変わってしまっているのに驚いた。そういえば、昨年末に着た時に1階の店舗で行く度に蔵書がごっそりと無くなっていくのに訝しい思いがしていたのを思い出した。
 1階には中央にガラス張りのショーケースがでんと置いてあり、その中に作家の直筆原稿が並べられており、両側のウインドウにも初版本や、写真集、豪華美術本などが飾ってある。中2階は映画、音楽、演劇、料理などの本、2階は哲学、外国文学など、中3階は美術・デザイン、3階は日本史、国文学、4階はショールームとなっており、以前の文学・文芸書の小宮山書店のイメージはすっかり消えて好事家マニアのための書店となってしまっていた。4階の一角にかつて1階の書棚の上に並んでいた文学全集が数点置いてあったが、処分しようといsて残ったような感じだった。
 小宮山書店は昭和の作家の全集がそろっていて、贔屓にしてきた。いつも小宮山書店で見てから、他の古書店と値段を比較しながら結局は小宮山書店で買うことが多かった。ここ数年では水上勉はじめ小林秀雄、五木寛之、安部公房、加藤周一全集などを購入しており、次にどの作家の全集を読もうかな、と考えながら、書棚を眺めるのが楽しみだった。小宮山書店はよく裏のガレージを使ってセールもしており、意外な掘り出し物の古書を見つけて買ったりすることも多かった。鈍想愚感子にとっては文学の世界へ誘ってくれる格好の水先案内的な役割りを果たしてくれていた古書店であった。
 それが、少なくとも昭和文学の世界から足を洗ってしまい、流行りでお金の儲かりそうな美術・稀購本に鞍替えしてしまったわけで、一抹の寂しさを痛切に感じさせられ、なんとなく家へ帰る足取りが重かった。売り上げ的にそんなに貢献したわけでもないだろうから、大きなことは言えないが、時代の流れの成せることとはいえ、現代昭和・平成文学の火が消えたような気がしてならない。
 
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