鈍想愚感

何にでも興味を持つ一介の市井人。40年間をサラリーマンとして過ごしてきた経験を元に身の回りの出来事を勝手気ままに切る

1万2000人も参列した若すぎる中村勘三郎の死のもうひとつの理由

2012-12-28 | Weblog
 27日、東京・中央区の築地本願寺で歌舞伎役者、この5日に57歳で亡くなった中村勘三郎の本葬が営まれ、関係者、ファンら1万2000人が参列し、1万5000本ものバラが献花され、史上まれにみる盛大なものとなった。芸能人に限らず葬儀に1万人以上の人が参列したのは聞いたことがない。かくもファンに愛され、親しまれたのだ、との思いを深くした。葬儀では坂東三津五郎や、坂田藤十郎、劇作家の野田秀樹、それに大竹しのぶらが弔辞を読んだが、女優が弔辞を読むのはいかにも数々の女性と浮き名を流した勘三郎らしい最後だった。
 2号前の週刊誌にことし5月29日に東京・銀座のクラブに歌手の石川さゆりとお忍びで勘三郎が現れ、「俺たちもっと早く出会えていればよかったね」とグラスを傾けている姿を目撃されていた、と書かれてあった。本当かどうか定かではないが、当の週刊誌にはその時、勘三郎はお店のママに自分の誕生日であることを告げ、聞いたスタッフが慌ててケーキを買いに走った、という話まで出ているからうそではなさそうな感じがする。病気療養中のなか、自分の誕生日の夜にこんあことをしているとは常識では考え難いが、そこは色事ならなんでもござれの歌舞伎の世界ではまかり通ってしまうことなのかもしれない。
 当の週刊誌には勘三郎が最初にのめりこんだ女優は太地喜和子だったと記されている。文学座で上演された太地主演の「櫻ふぶき日本の心中」の劇を見た勘三郎は身震いして、即座に歌舞伎で使う和紙の桜を花びら用として贈り、急速に男女の仲となった、という。その後も勘三郎の女性遍歴は続き、岸本加世子、大竹しのぶ、宮沢りえ、米倉涼子、シンガーソングライターの椎名林檎ときら星の如く出てくる。石川さゆりなどは「同じモノづくりの立場として相談し合ったり、意見をいただいたりする間柄」といかにも男女の関係はない、というが、真相のほどはわからない。
 勘三郎の子息の勘九郎、七之助が公演で名古屋に行っているのに大竹しのぶが臨終の場にいたことが不可解なことである。たまたま居合わせたのか、勘三郎本人が希望してその場に呼び寄せたのか真実のほどは大竹しのぶに聞かないとわからないが、しきたりのうるさい梨園の世界でなんとも摩訶不思議なことが行われるものだ、というしかないだろう。
 57歳にして歌舞伎界随一の演技力と行動力を持つ男にとって、自らの技を磨くだけでなく、ビジネスの世界に足をかけていたうえに、もうひとつ色事の世界にも普通の男がしている以上の色恋にのめり込んでいた、とするならば、57歳での若すぎる死は当然といわざるを得ないだろう。人間、それほどエネルギーがあるものではない。どこかでエネルギーが尽きることになる。対女性へ費やすエネルギーは芸事やビジネスに費やす以上のエネルギーが要るのは当たり前で、かみさんの眼を忍んでのこととなればなおさらだ。あまたの女性と浮き名を流したのが男女関係にもで及んでいた、とするならば、57歳の死は若すぎるとはいえなくなるだろう。
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