鈍想愚感

何にでも興味を持つ一介の市井人。40年間をサラリーマンとして過ごしてきた経験を元に身の回りの出来事を勝手気ままに切る

夢と現実の間を彷徨う若者を描いた「レボリュウショナリーロード」

2009-02-09 | Weblog
 8日は東京・渋谷へ映画「レボリュウショナリーロードーー燃え尽きるまで」を見に行った。前日から封切となった別の映画を見ようとしたのだが、満員で入いれず、やむなく同じビルの下の階で上映していたこちらに切り替えた。レオナルド・デカプリオとケイト・ウインスレットの「タイタニック」主演のコンビによるいかにもロマンティックな映画で、封切の先月末から見ようと思っていた映画だった。
 「レボリュウショナリー・ロード」は1950年代の米国のコネティカット州で、若者が集まるパーティでレカプリオ演じるフランクがケイト・ウインスレット演じるエイプリルを見かけ、話かけるシーンから始まり、すぐにエイプリルが主演する劇場でのファイナーレのシーンに切り替わる。結婚して妻は趣味の演劇で素人集団のヒロインを演じ、夫がその演劇に見入っている幸せなヒトこまである。だが、演劇が思ったような評判を呼ばず、エイプリルには消化不良を起こし、帰りの車の中で言い合いになってしまう。
 それでも翌日はフランクはニューヨークの会社へ出かけ、いつもように退屈なサラリーマン生活を送る。50何代のニューヨークの街を帽子をかぶった男性群がオフィスへ急ぐ様は壮観である。フランクは器用に事務をこなし、女子社員とも昼下がりの情事を楽しむなど典型的なサラリーマンで、よそ眼にはレボリュウショナリー・ロードの素敵な家に住む若夫婦と映るり、そのイメージで隣近所と付き合っている。
 ところが、ある日、エイプリルが突然、この町を出て、パリへ移住しよう、と言い出し、フランクもそれになんとなく同意する。その旨を会社の同僚や近所の住人に打ち明けると、いずれにも怪訝な顔をされ、思いとどまるよう説得されるが、すっかりその気になっているエイプリルは頑として聞き入れない。それでも着々とパリ移住への準備を進めていくが、フランクに突如、異動の話が持ち上がり、フランクはそれも悪くない、と思い始める。
 そんな折り、エイプリルに突如、3人目の子供の妊娠がわかり、その子をどうするかで2人の間にいさかいが生じる。12週間目までの間にパリで生むか、ニューヨークで生むかを決めよう、ということになって、一旦はケリがつくが、隣近所でのお別れパーティをするうちに2人の間の亀裂が深まっていき、遂にフランクはエイプリルに「そんな子供は堕ろしてしまえ」と口走り、エイプリルを深く傷つける。一晩、落ち込んだフランクは翌朝、意外とすっきりと迎えてくれたエイプリルに感謝して会社へ向かうが、エイプリルは夫が出ていった後に思いつめたように一人で堕胎処置をして、救急車で病院に担ぎこまれ、あっけなく死んでしまう。
 子供2人と取り残されたフランクは思い出のレボリュウショナリー・ロードの家も売り払い、ニューヨークに引っ越し、公園で子供が遊んでいる横のベンチにさびしく座っているところで幕となる。
 原作はロバート・ケネディのスピーチライターも務めた作家リチャード・イエーツが1961年に書いたもので、50年代の若者の憧れと生態を厳しく描いた作品で、レボリュウショナリ-が革命でなく街の通りの名であったとは見て初めて知った。ハッピーエンドでなく、悲劇で終わったのは決して後味がいいとは言えないが、夢と現実の間を彷徨う若者は決して他人事ではない、と感じさせた。
 考えてみれば、若い男女が幸せな生活を送り、成功していくストーリーでは万人の共感を得られないだろうし、却って反感を生むだけだろう。悲劇で終わることの方が小説としても映画としても成立するのだろう。主演のケイト・ウインスレットがゴールデングローブ賞で最優秀主演女優賞を受賞したのも悲劇だからこそだろう、と思った。
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