22日付けの朝日新聞に俳優の佐藤英夫が2年前に亡くなった、と出ていた。そういえば、テレビ、映画で佐藤英夫の名前を見ていないので、どうしているのだろうとは思っていたが、まさか亡くなっていた、とはついぞ知らなかった。一流の俳優ではなくても普通死ねば新聞などで訃報が伝えられるのに佐藤英夫が死んだ、との報道は見かけなかった。本人の意向で世の中に伝えることをしなかったのだろうが、2年間も伏せられていたのは極めて珍しい。
佐藤英夫は「バス通り裏」や「7人の刑事」などのテレビドラマの準主役を務め、渋い声で存在感のある役を演じていた。時にはコミカルな役をし、時にはシリアスな役をもこなし、制作サイドからいえば重宝な俳優だった、といえる。スクリーンや画面のどこに映っても違和感のない、どこにでもいそうな気易いキャラクターで、すんなり画面に収まってしまう。見ている方も佐藤英夫が登場するだけで、ホームドラマのほんわかとした気分になり、安心するという効果があった。
生年は1925年なので、81歳で亡くなったことになる。佐藤英夫のもうひとつのタイトルは東大卒というその当時の俳優としては珍しい学歴を持っていたことで、早稲田を筆頭に圧倒的に私学出身者の多い芸能界では異彩を放っていた。普通、脇役で名を成した俳優はいずれ主役を張ることが多いのだが、佐藤英夫は最後まで主役を張るということはなかった。東大卒ということがこの世界で敬遠され、主役に抜擢することに躊躇させたのかもしれない。
「亡くなったあとは一切香典を受け取るな」と家族にいい、親しい人だけの葬儀にした、というから最後までシャイな人を押し通したかったのだろう。名もなく、清く美しくを地でいったのだろう。本人がそう言ってもなかなかその通りにいかないのが世の中だが、この場合、身内も頑なに遺言を守りきったのだろう。
それでも芸能週刊誌はじめマスコミがよくも2年間も訃報を伝えずにいたもので、天国にいる佐藤英夫も残念がっていることだろう。亡くなったことを当座は伏せていてもいずれは世の知れるところとなるもので、その場合、惜しまれて哀悼の言葉のひとつでもかけられる、ということを想定していたのに全くの忘却の彼方に追いやられてしまう、のは思ってもみなかったことだろう。
記事は朝日新聞の文化面の「観流」にジャーナリストの石飛徳樹なる人が報じたもので、タイトルは「さらば 困惑の似合う男」となっており、最後に訃報を報じたことも許してくれるだろう、と結んでいる。
佐藤英夫は「バス通り裏」や「7人の刑事」などのテレビドラマの準主役を務め、渋い声で存在感のある役を演じていた。時にはコミカルな役をし、時にはシリアスな役をもこなし、制作サイドからいえば重宝な俳優だった、といえる。スクリーンや画面のどこに映っても違和感のない、どこにでもいそうな気易いキャラクターで、すんなり画面に収まってしまう。見ている方も佐藤英夫が登場するだけで、ホームドラマのほんわかとした気分になり、安心するという効果があった。
生年は1925年なので、81歳で亡くなったことになる。佐藤英夫のもうひとつのタイトルは東大卒というその当時の俳優としては珍しい学歴を持っていたことで、早稲田を筆頭に圧倒的に私学出身者の多い芸能界では異彩を放っていた。普通、脇役で名を成した俳優はいずれ主役を張ることが多いのだが、佐藤英夫は最後まで主役を張るということはなかった。東大卒ということがこの世界で敬遠され、主役に抜擢することに躊躇させたのかもしれない。
「亡くなったあとは一切香典を受け取るな」と家族にいい、親しい人だけの葬儀にした、というから最後までシャイな人を押し通したかったのだろう。名もなく、清く美しくを地でいったのだろう。本人がそう言ってもなかなかその通りにいかないのが世の中だが、この場合、身内も頑なに遺言を守りきったのだろう。
それでも芸能週刊誌はじめマスコミがよくも2年間も訃報を伝えずにいたもので、天国にいる佐藤英夫も残念がっていることだろう。亡くなったことを当座は伏せていてもいずれは世の知れるところとなるもので、その場合、惜しまれて哀悼の言葉のひとつでもかけられる、ということを想定していたのに全くの忘却の彼方に追いやられてしまう、のは思ってもみなかったことだろう。
記事は朝日新聞の文化面の「観流」にジャーナリストの石飛徳樹なる人が報じたもので、タイトルは「さらば 困惑の似合う男」となっており、最後に訃報を報じたことも許してくれるだろう、と結んでいる。
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