鈍想愚感

何にでも興味を持つ一介の市井人。40年間をサラリーマンとして過ごしてきた経験を元に身の回りの出来事を勝手気ままに切る

パトロンがいなくなって日本の文学は面白くなくなった

2012-11-02 | Weblog
 いまや古豪作家である古井由吉の随筆集「人生の色気」を読んでいたら、いまの日本の文学界にはパトロンがいなくなり、面白くなくなった、というようなことを書いていた。また、携帯電話の普及が心の襞まで書き込む男女のあやというべきものを奪い取ってしまった、とも書いており、なるほどと思った。毎年1月と7月に芥川賞が発表されるが、こんなのが芥川賞かと思える作品が受賞の対象となり、純文学とは一体何かと考えさせられるが、古井由吉は同じ本のなかで芥川賞選定委員を務めた経験から「芥川賞はジャッジでなくスカウトだ」としている。作品の良し悪しで批評的な判断をしていたら、身も蓋もなくなる、ちょっとでも芽があれば評価するようにしていた、という。最近の文学について示唆に富む指摘である。
 古井由吉によると、作家という生業は出版社が作家の生活まで丸抱えするような関係によって成り立っていた、という。ダダイストの太宰治は筑摩書房の古田晃さんが売れると見込んで、銀座のルパンなどで酒を飲ませては原稿を書かせ、大当たりしたという。筑摩書房にしろ、岩波書店、中央公論社などの出版社の社長はもともとお山林地主で山を売った大金を持っていて、それでこれはと目をつけた作家の面倒を丸ごと見て、鳴り物入りで宣伝して大当たりをとるようなことを繰り返してきた、という。つまり、パトロン精神が作家を生かし、日本の文学を支えてきた、というのだ。
 しかし、いまやどこの会社も経理がコンピュータ化されてしまい、会社のなかで隠し金が追放されてしまい、すべて税務署の監視下に置かれてしまい、わけのわからない使途不明金のようなお金の使い方が出来なくなってしまい、以前のように作家を丸ごと抱え込んで、生活の一切を面倒見るようなことができなくなってしまった、という。作家と編集者の間の関係もかつてのようにウエットなものでなく、専ら事務的な無味乾燥なものに変わってきてしまった。これではいい文学が生まれる土壌が失われてしまうわけだ。
 もうひとつ、古井由吉が指摘しているのは携帯電話の普及で、これが男女のあやや微妙な心理状態を描き出す文学の良さを失わせてしまった、というのだ。別れた男女が相手がどう思っているのか、考えながら悩むという場面もお互いに携帯電話をかけ合えば一辺に声が通じて、思いの中身がわかってしまう、これでは文学になりようがない、というわけだ。
 なるほどいわれてみればそうである。携帯電話というものは人から考えることを遠ざけてしまう。すぐに話wすることができて、あれこれ相手の心情を思いやる余地もなくしてしまう、実に便利ではあるが、逆に情緒を奪ってしまう。アナログの世界ではなくデジタルで割り切ってしまう、というわけだ。経理のコンピュータ化もデジタルな世界である。
 文学はどちらかといえばアナログ世界のものということなのかもしれない。いつの世も往時を懐かしがる世代はいるものなのだろう。
 
 
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