鈍想愚感

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もっと称賛されていい、と思った沼尻竜典氏のドイツ・リュベック歌劇場の音楽総監督就任

2013-06-19 | Weblog
 18日は東京・初台のオペラシティ コンサートホールでの「題名のない音楽会」の公開録画番組収録に行った。前半は「MADE IN JAPAN~日本の協奏曲」、後半は「ドイツ名門歌劇場で音楽総監督~沼尻竜典登場」と題してのクラシック音楽のオンパレードで、楽しく聴かせてもらった。例によって、池辺晋一郎ら多くのゲストとのトークが繰り広げられたが、座席が真ん中の左寄りだったせいか、声がくぐもって聞こえにくく、ひどく疲れた感じがした。
 前半の日本の協奏曲はゲストの指揮者、沼尻竜典氏が選んだ名曲3曲が演奏された。三善晃の「ピアノ協奏曲」、それに池辺晋一郎の「ファゴットとオーケストラのための協奏曲」、そして芥川也寸志の「チェロとオーケストラのためのコンチェルト・オスティート」の3曲で、それぞれ時代を反映した趣きのある曲だった。特に最後の芥川也寸志の曲はいかにもこれが協奏曲だといわんばかりの壮大な調べで、聴く者をうっとりとさせてくれた。
 後半のは8月にドイツのリューベック歌劇場の音楽総監督に就任する沼尻竜典氏を讃える番組で、それにちなんでR・シュトラウスの「ばらの騎士」、プッチーニの「トゥーランドット」、それにワーグナーの「ローエングリン」が演奏され、特に最後の「ローエングリン」は演奏終了後、会場から「ブラボー」との声がかかるほどの名演奏だった。考えてみれば、日本の指揮者が海外の名門歌劇場の音楽総監督ないなるということは素晴らしいことで、もっとみんなで祝福してもいいことかもしれない。なのにこれまでそれほど注目されていなかったのは不思議なことだ、と思った。
 司会の佐渡裕氏も同じ指揮者として、ここ数年片や神戸、片やびわ湖で音楽総監督を務めてきたが、沼尻氏がリュウベックの音楽総監督に抜擢されたことがよほど気になるのか、何回も「それほど親しいわけではないが、同じような道を歩んできた者としてうれしい」といったような歯の浮くようなエールを送っていたのが気になった。役者でいえば、セリフをトチるようないままでには見られない光景だったので、とりわけ印象に残った。これまで多くのゲストを紹介してきたが、ゲストとのやりとりでこれほど佐渡裕が混乱というか、取り乱したところを見たのは初めてであった。ゲストを常にリードしてきていたのが、初めてリードを許すような立場に立たされた、といった感じだった。
 クラシック音楽の神髄にふれて、気持ちよく帰途についたが、家に帰って、よくよく考えたら、「題名のない音楽会」の収録の時いつも舞台の両袖に大きな黒いスピーカーが設置されていたのに、今日はなかったことに気がついた。それで、特に人の声が会場にうまく届かなかったのだ、ということに気がついた。制作費を安くあげるために削られたのか、それで、声が会場の庇みたいなところに跳ね返って、くぐもった声として伝わり、聞き取れなかったのだろう。聞けない声を一生懸命聞こうとして余計に疲れたのだろう。世間的には景気が4よくなっているようだが、テレビ局にはまだその恩恵が伝わっていないのかもしれない、と思った。
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