先週の日曜日は、遠州山辺の道の会主催のウォーキング大会に参加してきた。遠州山辺の道は何度か走ったことはあったが、今回は山辺の道ではなく、旧秋葉街道の一部を歩くとの事だった。既に何回かやっているらしかったが、今回は遠州芝本駅から遠州西鹿島駅までの旧秋葉街道を歩くという。
集合は、遠州芝本駅だ。参加者は5~60名くらい。スタッフも大勢いて3グループに分かれて芝本駅をスタートする。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/20/d5/1ff15229a889ff1d5ca3184dc894153c.jpg)
しばらく進むと、浜名用水と線路が交差する場所に着く。スタッフの解説によると、この辺りが旧芝本駅のあったという場所らしい。かつては、柴本村という地域名であったことから命名された駅名なのだが、柴の字を間違え芝本となって現在に至っているという。
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そこからさらに歩くと慈眼寺というお寺がある。お寺の境内には、柴本小学校跡という標柱があり、かつては柴本と呼ばれていたことがうかがえる。
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慈眼寺の観音堂には、袖ケ浦三十三観音霊場の三十番札所が祀られている。
袖ケ浦三十三観音霊場とは、
「今から約二百年の昔、中瀬村の清水源八氏が西国三十三ヶ所霊場を巡拝した時に、その地の砂を持ち帰り、この近隣で一日の内に巡拝出来る所に、観音像を安置すれば、誰でも気軽に参拝出来ると発案し、辛苦の末、多くの人達の賛同や寄付を得て、文政五年(1822)各地のお寺などに三十三観音を祀りました。これを誰が名付けたのか“袖ヶ浦三十三観音”と呼ばれています。」との事。
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線路を挟んで西側には豊川稲荷が祀られている。遠州鉄道が敷設された際、お寺の敷地が分断されたという。
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さらに進んで行くと、坂があり少し下ると用水が流れている。坂の部分は、河岸段丘だという説明があった。大昔、この辺りは天竜川の河原で、段丘が出来ていたのだという。何だか、ブラタモリでも良く聞いた話だ。
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そして、浜名用水の流れている辺りは、かつて天竜川が流れ、渡し船で対岸に渡っていたという。
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浜名用水沿いを進む。浜名用水は、新原のJAとぴあ緑花木センターあたりで馬込川に変わる。
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於呂取水場手前で藪をかき分け、段丘を登り返す。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2f/28/93bc58bf26d666b7bfd2f077aadc76fb.jpg)
遠州岩水寺駅近くの小さな公園には、ごうりんさまが祀られている。昔、この辺りの人たちが松林を開墾していた時にたくさんの塚(墳墓)が掘り出された。その際、5つの五輪塔が出たので、その場に祀ることになったという。お堂の中には五輪塔が祀られている。ごうりんさまとは、五輪塔からきているようだ。
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遠州岩水寺駅前を通る。
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住宅地の細い道沿いには、旧秋葉街道(旧二俣街道)の案内板が多数、吊り下げられている。
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新東名高速道路と遠州鉄道が交差する道を進む。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5b/1b/97403f6d10a6a905ac46dcdc1a4914cf.jpg)
於呂浄水場の角には、御馬ヶ池の由来が書かれた石碑が建っている。遠江国に侵入した武田勢を迎え撃とうとした徳川家康がこの池の水を自身の馬に掛けるなどして休ませたと伝わっているため、池の名前に「御」の字が付いたといわれている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/18/2c/6e39691ac0c6d31aa5cfb288e1ec91d4.jpg)
その先には、於呂神社がある。
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於呂神社の手前にあるのは、直径23.8m、高さ3.9mの円墳。浜北北麓古墳中では、最も古い形式の古墳になるそうだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0e/b3/8fef1b969090ed3dcebeb58a61bd3dbb.jpg)
於呂神社の入り口に着いた。於呂神社の名前の上には、式内郷社という名称が付いている。式内郷社というのは、延喜式内社であることを意味していて、平安時代(10世紀)にすでに官社として認定されていた神社であり、とても由緒ある格式高い神社だけに与えられる称号だという。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/17/ca/ecd5a1aaca8070196a2816e03ea44807.jpg)
鳥居をくぐって境内に進む。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/00/e7/4ec0759b49fd303a94dda35f517d3588.jpg)
本殿にお参りする。御祭神は「天津日高日子穂穂手見命(あまつひほほでみのみこと)」、神武天皇の祖父だ。天照大御神の孫「瓊々杵尊(ににぎのみこと)」が父、「木花開耶姫(このはなさくやひめ)」が母ということで、これだけでも格式が高いことが分かる。しめ縄の上には菊の紋章が掲げられている。浜北の於呂にこんな格式の高い神社があるなんて思いもよらなかった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/15/28/2ff38a9e14937590c7d3dc756d940302.jpg)
社務所も、この日のウォーキングの為にわざわざ開けられていた。おやつを食べてしばらく休憩する。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4d/ab/7a6bd64ff7abc6d64038fdae758c7769.jpg)
於呂神社の隣にある西光院には、袖ケ浦三十三観音霊場の二十九番札所があった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/21/6c/fce975ae727ca98623a871a64f74b2b8.jpg)
再び遠州鉄道の線路沿いを歩くと、通常の線路の横に別の線路が敷かれた広い場所があった。何をする場所だろうと思っていたら、スタッフの説明によると遠州鉄道の新型車両の搬入を行う場所だという。トレーラーで運ばれてきた車両をこの場所で降ろし、クレーンで釣り上げて線路に乗せるのだという。電車には何度も乗っているが、こんな場所があったとは知らなかった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/74/d6/69c765ec10b433c4adf707d9599e4cb4.jpg)
車両搬入半出場からゴールの遠州西鹿島駅はすぐだ。
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3時間ほどのウォーキングだったが、身近な場所でもいろいろ興味深い場所が結構あるものだと面白かった。
参考1.コースの高低図&コースタイム
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1d/9d/8325250049b7d4caef600e7c1ac3262d.jpg)
参考2.コースマップ
集合は、遠州芝本駅だ。参加者は5~60名くらい。スタッフも大勢いて3グループに分かれて芝本駅をスタートする。
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しばらく進むと、浜名用水と線路が交差する場所に着く。スタッフの解説によると、この辺りが旧芝本駅のあったという場所らしい。かつては、柴本村という地域名であったことから命名された駅名なのだが、柴の字を間違え芝本となって現在に至っているという。
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そこからさらに歩くと慈眼寺というお寺がある。お寺の境内には、柴本小学校跡という標柱があり、かつては柴本と呼ばれていたことがうかがえる。
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慈眼寺の観音堂には、袖ケ浦三十三観音霊場の三十番札所が祀られている。
袖ケ浦三十三観音霊場とは、
「今から約二百年の昔、中瀬村の清水源八氏が西国三十三ヶ所霊場を巡拝した時に、その地の砂を持ち帰り、この近隣で一日の内に巡拝出来る所に、観音像を安置すれば、誰でも気軽に参拝出来ると発案し、辛苦の末、多くの人達の賛同や寄付を得て、文政五年(1822)各地のお寺などに三十三観音を祀りました。これを誰が名付けたのか“袖ヶ浦三十三観音”と呼ばれています。」との事。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5c/03/b9ded89ffdb548d4db8075bdd686b4b5.jpg)
線路を挟んで西側には豊川稲荷が祀られている。遠州鉄道が敷設された際、お寺の敷地が分断されたという。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6b/4c/24d86864f270e95b18ed7ca4399ffde5.jpg)
さらに進んで行くと、坂があり少し下ると用水が流れている。坂の部分は、河岸段丘だという説明があった。大昔、この辺りは天竜川の河原で、段丘が出来ていたのだという。何だか、ブラタモリでも良く聞いた話だ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/78/52/34a7d208b5415b02960b1d043ac7b4b4.jpg)
そして、浜名用水の流れている辺りは、かつて天竜川が流れ、渡し船で対岸に渡っていたという。
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浜名用水沿いを進む。浜名用水は、新原のJAとぴあ緑花木センターあたりで馬込川に変わる。
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於呂取水場手前で藪をかき分け、段丘を登り返す。
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遠州岩水寺駅近くの小さな公園には、ごうりんさまが祀られている。昔、この辺りの人たちが松林を開墾していた時にたくさんの塚(墳墓)が掘り出された。その際、5つの五輪塔が出たので、その場に祀ることになったという。お堂の中には五輪塔が祀られている。ごうりんさまとは、五輪塔からきているようだ。
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遠州岩水寺駅前を通る。
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住宅地の細い道沿いには、旧秋葉街道(旧二俣街道)の案内板が多数、吊り下げられている。
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新東名高速道路と遠州鉄道が交差する道を進む。
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於呂浄水場の角には、御馬ヶ池の由来が書かれた石碑が建っている。遠江国に侵入した武田勢を迎え撃とうとした徳川家康がこの池の水を自身の馬に掛けるなどして休ませたと伝わっているため、池の名前に「御」の字が付いたといわれている。
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その先には、於呂神社がある。
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於呂神社の手前にあるのは、直径23.8m、高さ3.9mの円墳。浜北北麓古墳中では、最も古い形式の古墳になるそうだ。
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於呂神社の入り口に着いた。於呂神社の名前の上には、式内郷社という名称が付いている。式内郷社というのは、延喜式内社であることを意味していて、平安時代(10世紀)にすでに官社として認定されていた神社であり、とても由緒ある格式高い神社だけに与えられる称号だという。
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鳥居をくぐって境内に進む。
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本殿にお参りする。御祭神は「天津日高日子穂穂手見命(あまつひほほでみのみこと)」、神武天皇の祖父だ。天照大御神の孫「瓊々杵尊(ににぎのみこと)」が父、「木花開耶姫(このはなさくやひめ)」が母ということで、これだけでも格式が高いことが分かる。しめ縄の上には菊の紋章が掲げられている。浜北の於呂にこんな格式の高い神社があるなんて思いもよらなかった。
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社務所も、この日のウォーキングの為にわざわざ開けられていた。おやつを食べてしばらく休憩する。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4d/ab/7a6bd64ff7abc6d64038fdae758c7769.jpg)
於呂神社の隣にある西光院には、袖ケ浦三十三観音霊場の二十九番札所があった。
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再び遠州鉄道の線路沿いを歩くと、通常の線路の横に別の線路が敷かれた広い場所があった。何をする場所だろうと思っていたら、スタッフの説明によると遠州鉄道の新型車両の搬入を行う場所だという。トレーラーで運ばれてきた車両をこの場所で降ろし、クレーンで釣り上げて線路に乗せるのだという。電車には何度も乗っているが、こんな場所があったとは知らなかった。
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車両搬入半出場からゴールの遠州西鹿島駅はすぐだ。
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3時間ほどのウォーキングだったが、身近な場所でもいろいろ興味深い場所が結構あるものだと面白かった。
参考1.コースの高低図&コースタイム
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1d/9d/8325250049b7d4caef600e7c1ac3262d.jpg)
参考2.コースマップ
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