とっちーの「終わりなき旅」

出歩くことが好きで、趣味のマラソン、登山、スキーなどの話を中心にきままな呟きを載せられたらいいな。

2012「夜叉ヶ池伝説マラニック大会」

2012-07-22 22:07:17 | マラソン
21,22日と2日間にわたって、岐阜県神戸(ごうど)町をスタートして、福井県と岐阜県境にある夜叉が池までを往復するマラニック大会に参加してきた。今回で20回になると言う歴史ある大会だが、私は初めての大会だった。

まず第1ステージは、45キロを走る。スタート会場となる神戸町役場前には、スタートを待つランナーで賑わっていた。


走り出すとバラバラになってしまうので、顔見知り同士で先に記念写真を撮る。






開会式が終わると、スタート前の景気付けで、龍神様の勇壮な踊りが披露された。


龍がとぐろを巻くと、おもむろに夜叉姫が龍の中から登場する。さすが夜叉ヶ池伝説の里である。伝説に忠実な踊りがしっかり伝承されているようだ。




そして、午前11時にスタートする。


スタートして、直ぐに日吉神社にマラニックの無事を祈願する為に参拝する。




その後、夜叉ヶ池伝説で龍神に嫁入りすることになった夜叉姫の父親である安八太夫安次の子孫だという第47代「石原伝兵衛」氏宅の夜叉堂に立ち寄る。




例年、35℃近い気温の日となる大会であるが、今回だけは22~23℃と10℃以上も気温が低く、走る上ではベストのコンデションだった。おかげで、みんな走るペースが早い。この後は、雨も降ったり止んだりでカメラを出す余裕もなく、ゴールの遊ランドまで、いつもより速いペースで走ってしまった。そのせいか、終わってから筋肉痛になっていた。遊ランドでは、道中祭というお祭が開催されており、出店や出し物で賑わっていた。これも、夜叉ヶ池伝説にまつわるお祭らしい。




ゴール後は、川で水浴びをして風呂代わりにした。思ったより気温が低く、水も思いのほか冷たかったが、火照った体のアイシングには効果があったかもしれない。道中祭を楽しみながら夕食を済ませ、シャトルバスでこの日の宿泊先である坂内交流センターに向かう。広い体育館の中で、毛布一枚での雑魚寝だ。


翌日、午前2時半に起床する。30分ほどで、朝食と身支度を整えグランドに集合する。そして、午前3時30分に第2ステージのスタートだ。第2ステージは、第1ステージの倍である90キロを走ることになる。


やがて明るくなり、川沿いの道を進む。


通算で、66キロ地点で林道が終り、いよいよ夜叉ヶ池に向かう登山道になる。登山道を半分以上行ったところで「幽玄の滝」を通過する。看板には「夜叉姫がこの滝の水で肌を清めて聖域に入り地底へ下り、身を潜めたという。滝の水は肌を若返らせ長寿が叶うとも伝わる。仙境の地にて所在わからず、幻の滝と言われていたが、遊歩道コース新設の折に不思議と出現したものである」と書かれている。


「幽玄の滝」をすぎると、雄大な「夜叉壁」が眼前に見えるようになる。クサリやロープが続くきついのぼりである。


「夜叉壁」を登り切ると、目的地の夜叉ヶ池に到着する。霧がたち込め、全容はよく見えない。ここでほぼ通算70キロくらいだ。


あとは、登山道を下りひたすらゴールを目指す。まだまだ、長い道のりが待っていた。ところが、82キロのバイクランドのエイドに到着すると、突然大会中止の情報が入ってきた。突然の話で、ビックリしたのだが、朝の早い時間に参加ランナーの一人が急に亡くなったということだった。詳しいことはわからないが、突然倒れ心肺停止で亡くなったという事だった。このため、大会中止となり、全てのランナーは、第2ステージのスタート地点までで打ち切りとなった。大会が中止になってしまい、最後まで走れなかったことは残念だったが、亡くなった方がいたという事で大会関係者も苦渋の決断だったに違いない。謹んで、亡くなった方のご冥福を祈りたい。結局、93キロほどの坂内交流センターが最終ゴールとなった。


おまけ:坂内交流センターに向かう途中のエイドで教えてもらった見所を紹介する。川上から左に大きくカーブする左側の深瀬橋で坂内川を渡る途中橋の上右に見える。それは、「夜叉姫お迎え岩」といわれる大きな岩だ。夜叉姫が龍神の元に嫁ぐ道中二人が近くに来ると、坂内川に棲む魚族はたいそう歓迎した。ここを二人が立ち去った後、普通の岩が魚の頭の姿になったと言われている。ご覧のとおり、見事に魚の頭の形になっている。