prisoner's BLOG

私、小暮宏が見た映画のノートが主です。
時折、創作も載ります。

「ファンタスティック・ビーストとダンブルドアの秘密」

2022年05月14日 | 映画
ジュード·ロウといえば「アルフィー」のリメイクや「探偵スルース」のオリジナルでマイケル·ケインが演じた役をリメイクで演じて共演したりと、ケインの後継者みたいな立場にいるようだったが、本当にあのクラスの演技者が視界に入ってきた感。

もともとの二枚目が歳くって一段と男前になったみたい。
これと北欧の至宝ことマッツ·ミケルセンが並ぶと何が「秘密」なのか自ずとわかろうというもの。

ドイツの場面の未来派的なデザインが暗示するファシズムの影といい、クライマックスをネパールに設定して直接にでこそないが中国の影を暗示していることといい、明らかに全体主義下で一見して正当な手続きに見えるが実態としてはウソと情報操作で「敵」を設定して叩くことで独裁的な権力を握る、つまり現代の世界そのまんまのシステムが重ねられている。

マッツが「私は敵ではない、これまでも、これからも」と魔法使いたちに言うのは、裏を返すと人間たちに対しては違うわけだ。
魔法使いたちがキャラクターの大半を埋め尽くす世界だから見ている方も魔法使いになった気分でいるのだが、人間族を外から見る視点を提供しているわけでもある。
正直さとか心の広さといった平凡なようで貴重な美徳に焦点が合っているのもいい。

数々の魔法場面がアトラクション的な見せ場にまで膨れ上がらず、ドラマに必要で十分な範囲に収まっているのも作り手の成熟と自信の現れと思える。





「TOVE トーベ」

2022年05月13日 | 映画
タイトルのトーベとは、ムーミンの原作者のトーベ・ヤンソンのこと。
実はムーミンにはあまり馴染みがないので、「あの」ムーミンの作者が実はこういう人なのかといった感慨は薄い。というか、もともと作者がどういう人なのか興味を持たれる(「ピーナッツ」のチャールズ・M・シュルツみたいに)タイプの作者とは違うだろう。

父親に代表される権威的な体制の中で同性愛はじめ、さまざまな桎梏を乗り越えて作品を描いていく。必ずしも作品と実生活とを直截に結びつけるわけではない描き方。

微妙にヌードになりそうでならない。
前だったら自主規制か他者規制かの産物と思っただろうが、おそらく合意の上でそうなったのだろうし、そうでなくては作品そのものの性格を裏切ることになる。

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「TOVE トーベ」 - 公式サイト

「TOVE トーベ」 - 映画.com

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「マイスモールランド」

2022年05月12日 | 映画
クルドといっても知っていることはあまりに少なく、なまじ知っているとそのわずかな情報がすべてになってしまうから気をつけないといけないわけだが、まずユルマズ·ギュネイの映画(カンヌのパルム・ドール「路」ほか)の印象があまりに強烈だった。
おそらくギュネイでクルドを語るのは、黒澤明だけで日本を語るようなものだろう。

とはいえ、あそこでは圧倒的に父権的な社会でもあることが描かれていた。
それだけにクルドの女性部隊に殺されると天国に行けないといった迷信がはびこったりもしたわけだ。
それだけに日本で小金で頬をひっぱたくようなパパ活オヤジの醜悪さの印象が強い。

恋愛劇でもあるけれど、なれなれしさやべたついたところは見事にない。
頬に二度キスして、こんにちはとさようならをそれぞれ意味する。どちらともつかないのはモチーフからして当然だろうが、ラストがなかなか着地しないようなやや長ったらしい印象にはなった。

もっぱらお金を現金で持っているのは口座が作れないからだろう。
働かなくては食えないのに、働いたら入管に監禁される(しかも期限なし)という制度設計として体をなしていない。

ビザが出ていないと埼玉県から東京都に渡ってはいけないのであって、「翔んで埼玉」では笑いになっていた差別ネタがまったく笑えない現実になっている。
東京・埼玉の県境で、前を自動車が、背景で電車が当然のように行き来しているのに、その前で佇まざるをえない画が象徴的。

嵐莉菜の固さを含めて表現の豊かさ。
「母親が日本人とドイツ人のハーフ、父親が日本国籍を取得しており、イラクやロシアにルーツを持つ元イラン人」(Wikiより)。
コンビニに来たおばあさんにどこから来たのと聞かれてドイツ、つまりいわゆる「先進国」と答えてしまう微妙な感情など役と重ねているのだろう。
ガイジンに対する悪気はなくても無神経がびりびり響いてくる。

オープニング、二本の線が微妙にずれながらタイトル文字を囲む。
現在の在日クルド人が住む国とクルドという国境を持たない国の二重性のメタファーとも、日本という国がすでに単一民族でも単一言語でもなくなっている事実のメタファーともとれる。

役人や父親の不法就労を見つける警官にしても、憎々しげな悪役として描くこともできたろうが、あくまで法の番人であって、その裏の法制度の不備や不合理の方を浮かび上がらせる。

ちなみにこれは文化庁の助成金を受けてNHKも協力している。





「FUNAN フナン」

2022年05月11日 | 映画
片渕須直監督が日本では本当の子供向けのアニメは新作としてはまったく作られなくなっていると 指摘し、後期思春期もののばかりになっている、子供向けのがないということは大人向けのアニメもないという意味の発言をしていて、海外での大人向けのアニメの一例として挙げていたのが、これ。

カンボジアのクメール·ルージュ独裁下の一家族を描く。
以前、アメリカ映画「キリング・フィールド」でも描いていたモチーフだが、アニメだとキャラクターデザインがその国の人の顔らしい。
すべては“オンカー”が決め、家族をばらばらにして支配しやすくする非人間性は改めておぞましい。
自然描写が美しい分、おぞましさとのコントラストが目立つ。

とはいっても、フランス・ベルギー・ルクセンブルク・カンボジアの合作で欧米の価値観で作られたものにはちがいないとは言える。

それにしても反知性主義というのは恐ろしい。
「活発な知性はいつでも非従順だ」とは立花隆の言葉だが、独裁は必ず反知性主義と結びつくものらしい。
明治時代の日本について来日した外国人が「驚くほど反知性主義が薄い」と評したものだが、この点に関しては完全に退化している。





「とんび」

2022年05月10日 | 映画
内野聖陽主演によるドラマ版は未見だが、これは長い時間かけて描いた方がいい話だなとは思った。

後半、息子の日記が出てくるところで、あ、これでまとめるのだなと思うとそうなる。
ほぼ全編、阿部寛の男前っぷりを見ていた。






「JUNK HEAD」

2022年05月09日 | 映画
これだけのスケールと技術的完成をもった作品をほとんど個人が作った、というかごく少人数だからこそ作れたというのは、本当に映画は誰でも作れるが、それだけにどういうものを作るのかが問われるという評言を、お題目ではなく実作として知らせる。

こういうことができる時代になったのだという驚きと興奮をまず禁じ得ない。

キャラクターはじめ世界観の造形の独創性と異常な綿密さ。
実をいうと世界観の風呂敷を広げすぎて、この後そうそう続きを作るのも大変だろうにどうするのだろうと余計な心配をしたくなる。

エンドタイトルでほとんどすべてのキャラクターの声を、チャップリンの「モダン·タイムズ」のようなデタラメ語=言葉の境界を越えたコトバでアテている。
ながながと同じ名前が続くのは「バンビ、ゴジラに会う」みたいにユーモラス。






「宮本武蔵 一乗寺の決闘」

2022年05月08日 | 映画
クライマックスの下り松とその周辺の田圃がすべて作り物だと言うのだが、何度見ても信じられないようなスケールとリアリティ。
早暁の光を狙ったので一日にいくらも撮れなかったというのも伝説化している。

4Kリマスター版で見ると、次第に明るくなっていく光の変化が絶妙に再生されていて、圧倒される。

一方であれ、と思ったのはこの前に見た二作前の「般若坂の決斗」ほどには屋内の装飾が充実していないように見えたこと。

この大作シリーズを作っていくうちに映画産業がどんどん左前になってしまい、次の「巌流島の決斗」では製作費は半減されたという、その前兆にして最後の輝きみたいなのかもしれない。

このあたりになると錦之助の武蔵がもの狂いというか、もはや人間離れしている感じすらする。
名目人の子供を斬ったことで坊主どもに悪鬼羅刹と言ってもまだ足りないとあらん限りの悪口雑言罵詈讒謗を浴び、名目人を立てたのは吉岡一門ではないかと「我、事において後悔せず」という有名な文句が締めくくりに置かれるのが異様な迫力。

監督の内田吐夢は満映にいたわけだが、その理事長の甘粕正彦がまさに現実の子供殺しとして指弾された人であることを思い出した。

(憲兵が大杉栄と伊藤野枝のアナーキスト二人を関東大震災のどさくさに紛れて殺したのは、良くはないが理由はわかる。しかしなぜ10歳の子供まで殺したのか。
殺したのは甘粕ではなく憲兵本隊だとも言うが、いずれにせよトチ狂うにも程がある話、
川喜田かしこの自伝に甘粕を見かけた時に感じた嫌悪感について記されたくだりがあるが、いか軍部が強かった当時でも、子供殺しに対する世論の怒りと反発はすさまじく、甘粕を処分しないわけにはいかなかったらしい

俳優たちのセリフが音吐朗々として聞き取りやすい。
吉岡一門の高弟でことに声がいい役者がいるので誰かと思ったら佐藤慶でした。



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「宮本武蔵 一乗寺の決斗」 - 映画.com

「宮本武蔵 一乗寺の決斗」 - IMDb

「ウィッカーマン」

2022年05月07日 | 映画
タイトルはAnthony Shapher's The Wicker Man 「アンソニー·シェイファーの ウィッカーマン」なのね。
アンソニー·シェイファー脚本だとは実は知らなかった(原作・デヴィッド・ピンナー The Ritual クレジットなし)。

双子の兄弟のピーター·シェイファーの「エクウス」「ピサロ」「アマデウス」にはキリスト教以前のアニミズム的世界と対置したキリスト教批判という性格が明らかにあるが、兄弟のアンソニー(「探偵 スルース」、78年版の「ナイル殺人事件」など)のこの作品も典型的にそういう構造がみられる。

ストーリーが進行していくにつれて主人公の警官ががちがちにキリスト教的道徳に縛られていて、しかも童貞というあたり「アマデウス」のサリエリかという設定。
パブの娘の性的誘惑に七転八倒するあたり、修道僧みたい。

娘役のブリック・エクランドがヌードが綺麗で唇の感じがスーザン・ジョージみたいでセクシー。
警官役のエドワード・ウッドワードは出演時43歳。婚約しているから誘惑には乗れないと自分では言っているのだが、本当なのかどうか。
すごい長身のクリストファー・リーが女装して踊っているあたりの異様さなど、さすがのカリスマ性と不気味さ。

クライマックスは魔女の火炙りや家畜を一緒に焼くあたりノアの方舟を思わせたりして、ストーリー上はアニミズム的な宗教に呑み込まれるようで逆にキリスト教的なイメージが何重にも重ねられる。
キリスト教が一神教・人格神のようで、その深層にあるどろどろしたアニミズム的な部分を炙り出していると考えいいのではないか。




「ナンネル・モーツァルト 哀しみの旅路」

2022年05月06日 | 映画
ヴォルフガング⋅アマデウス⋅モーツァルトの四つ上の姉アンナ⋅マリア(愛称)ナンネル⋅モーツァルトを主人公にしたドラマ。

父レオポルドは売り出すのは男(弟)のヴォルフガングだけでいい、作曲術は女には難しすぎると決めつけてなかなか教えてくれない、宮廷に出入りするのに男装しないといけない、といった女性差別が大きなモチーフ。

その一方で王大子ルイ・フェルディナンが芸術家としてのナンネルを評価し敬意を払う。異性としての魅力も感じていただろうが、そこは身分の違いもあって抑え気味な描き方なのが、逆にわくわくさせる。
ナンネルの書いた曲を楽団を揃えて演奏させるシーンなど、惚れ込んだ相手が思った以上の曲を書いてきたのを味わいつくすパトロンの快楽とはこういうものかと思わせる。

ナンネルが作曲した曲は残っていないわけだから(作中にも楽譜を自ら焼くシーンがある)それらしい曲を聞かせる必要があるわけだが、見事に成功している。

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「ナンネル・モーツァルト 哀しみの旅路」 - 映画.com

「ナンネル・モーツァルト 哀しみの旅路」 - 公式サイト

Nannerl, la soeur de Mozart- IMDb

「ベイビーわるきゅーれ」

2022年05月05日 | 映画
冒頭、コンビニのパワハラセクハラそのまんまの圧迫面接から一転したアクションシーンで、リュック·ベッソン風の女殺し屋の荒唐無稽なアクションものかと思ったら(ただし腕力や体格で劣る女の子が男を倒すのにナイフでざくざく何度も刺すといったフィクションとしてのリアリティは確保している)、すっと現実に戻る、のかと思ったらもう少し荒唐無稽な展開が続くという調子で、どういう風に見ればいいのかしばらく戸惑った。

「タクシードライバー」みたいな現実と願望・幻想が微妙に混淆しているのか分離しているのかわかりにくく、それが失敗なのかというとそうとも言い切れない。

そのうちウザさとそれに反発する爆発と行き来する、どちらかに偏らない作りであるらしいと見当がついてくる。

わるきゅーれとタイトルについているだけでなく、大幅に編成を小さくしたワーグナーの「ワルキューレの騎行」が流れる。

セリフがどうもぼそぼそしていて聞き取りにくいと思ったら社会不適合者という設定らしい。

ヤクザの兄貴分格の、お店で買い物して店の人がお釣りを200円を200マン円と言うつまらない冗談にマジで絡むあたりのいきなりシャレがシャレにならなく気味のわるさ。

なんだか歯切れの悪い言い方になったが、知ったかぶりしたり簡単に割り切るよりはいいだろう。

「宮本武蔵 般若坂の決斗」

2022年05月04日 | 映画
4Kリマスター版上映で再見。
さすがにクリアで、屋外の、青空はあくまでも青く雲はあくまでも白いといったくっきりした場面と、室内のバランスが崩れそうな色調で暗めながらくっきり見える画面ともによし。

セットの重厚さと細部まで飾りが行き届いた当時の東映の職人たちの仕事ぶりも楽しめる。

この時30歳の中村錦之助が一作目みたいな暴れん坊とは一転して、一定の落ち着きを見せる。足の運びが一作目と全然違う。
走りながらの立ち回りなど、四作目の「一乗寺の決闘」の凄絶なクライマックスを予感させる。

お話とすると槍術の宝蔵院との戦いが主だが、山本鱗一が短い出番ながら豪快そのもの、それを一撃で武蔵が倒すのは、実はほとんど発端に過ぎない。
黒川弥太郎の胤舜の「お主は強すぎる、強ければいいというものではない」と禅問答みたいな説教が実は単なる説教ではなく、およそ皮肉な意味でわかるクライマックス。

考えてみると、「宮本武蔵」は日本における成長小説(ビルドゥングスロマン)と目されることが多いが、武蔵は勝ったから何かを得るとかランクアップするということがあまりないので(名声は高まるが)、ここみたいに人に結局利用されて終わるという、いわゆる成長小説的な展開からすると結構異例の構造に思えてきた。
剣という人斬り包丁の「道」とはそういうものという倫理以前に遡る気もする。

考えてみると、この時点で徳川の世は磐石になっていて、戦に出て手柄を立てていずれは一国一城の主となるのはおよそムリなことになっていた中というのは今にも通じる。
そこでどんな生き方をするのかを求めて悶え苦しみ、結局よくわからなくはある。

「 サマー・オブ・ソウル(あるいは、革命がテレビ放映されなかった時)」

2022年05月03日 | 映画
出だしのスティービー⋅ワンダーの若く溌剌としたパフォーマンスからして痺れる。
その後の次々に出てくるアーティストの多様さ。
黒人音楽としてまとめられる音楽にこれだけ多彩なものがあるのを目の当たりにする。
音楽が人間の生命の表現そのもので、人間としての誇りを保つ大きなツールであることがわかる。
ソウル(魂)という言葉がぴったり。

これがウッドストックと月面着陸と同じ年の開催という。
白人アーティスト主体のウッドストックは大々的に公開されヒットしたが、こちらは買い手がつかず封印された、ということ自体が差別と権力の手口を物語る。
その後ももちろん黒人差別はえんえんと続いている。

少し気になったのは、ゴスペルはじめ神への祈りと感謝が一環しているのだが、その神の肌の色は何なのかということ。
主とも仏陀とも呼び方は何でもいいとジェシー⋅ジャクソン(キリスト教バプティスト派の牧師で活動家)が説くが、彼らが通う教会が直接は白人のキリスト教発祥なのは確かで、だからマルコムXはムスリムに改宗したのかとも思った。

月に人を送り込むカネがあるのなら、ハーレムに病院と学校を作れという意見は、本多勝一の著書を通じて見た覚えがあるが、その生の声がいくつもいくつも並ぶ。





2022年4月に読んだ本

2022年05月02日 | 
読んだ本の数:14
読んだページ数:2773
ナイス数:1

読了日:04月01日 著者:池亀彩





読了日:04月02日 著者:池上 彰,佐藤 優





読了日:04月05日 著者:芝山 幹郎





読了日:04月06日 著者:田村 優子





読了日:04月10日 著者:押井 守





読了日:04月13日 著者:落合 東朗





読了日:04月13日 著者:倉谷 うらら





読了日:04月18日 著者:オードリー・タン




読了日:04月21日 著者:紅谷愃一





読了日:04月24日 著者:ビートたけし





読了日:04月30日 著者:山岸 凉子





読了日:04月30日 著者:山岸 凉子





読了日:04月30日 著者:山岸 凉子





読了日:04月30日 著者:山岸 凉子