prisoner's BLOG

私、小暮宏が見た映画のノートが主です。
時折、創作も載ります。

「孤高のメス」

2010年06月19日 | 映画
手術シーンの堤真一ほか俳優たちの手つきがいちいちびっくりするくらいリアル。
ヒューマニズムや理想主義を振りかざすのではなく、手術というのはとにかく「編み物を編むように」ひとつひとつの工程をえんえんと丹念に疎漏なく積み重ねていく気が遠くなるような感じがよく出た。

脳死肝移植を人の命を救うためにおもいきって実行するのがクライマックスだが、それで世間的には出てこられなくなるのと交換というのは、リアルに考えたら批判されるべき。だってそれで将来彼が手術して救える多くの命が救えなくなるのだから。
ただし、助手をつとめた看護婦の息子が母親の手紙を読むという形式からして、一種の伝説的な語りになっていて、必ずしもリアルに考える問題ではないのかもと思わせる。しかしダーティハリーが法を蹴飛ばしても気にならないが、医者がやるとさすがに気になる。

ラスト、どこへともなく旅立っていくあたり、イーストウッドみたいになるのかと思っていたが、この「どこへともなく」というニュアンスが不足で、ラストシーンで息子の前にまた出てくるのではないかと誤解しかけた。

学閥のメンツばかり気にしている医者たちの薄っぺらいキャラクターは、実際そんなものではないか。

舞台になる病院が内外ともにえらく古びている。本物の病院ですよねえ、あれ。

不摂生をきわめた柄本明市長の肝臓が、なにやら一皮かむったアルマジロみたいにごつごつして黒っぽいけれど、考証的に正確なのでしょうね。
(☆☆☆★★)


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