prisoner's BLOG

私、小暮宏が見た映画のノートが主です。
時折、創作も載ります。

「アウトレイジ」

2010年06月21日 | 映画
昔、北野武が「あの夏いちばん静かな海」をシナリオを作らないで、A4二枚分のシーンの柱を書いただけのところから作ったのを、ベテラン脚本家の笠原和夫が激怒して「シナリオ骨法十か条」というのを勢いに任せて書き上げたことがあったのが話題になったことがある。古典的なシナリオ構成の法則をまとめてこれ以上の教えはない。(笠原は後になって「ああいう(北野式の)自由な作り方もいいかな」と考えを変えたともいう)

笠原自身の作品では「博奕打ち 総長賭博」が最もそのセオリーを貫徹して「ギリシャ悲劇的」(三島由紀夫)なまでな高みに到達した逸品だが、実は笠原自身そこから逸脱して古典的構成をかなぐりすてた「仁義なき戦い」シリーズを書いている。

特に第三作「代理戦争」は、親分子分だの兄弟分だの敵味方だのといった人間関係がまるでガチャガチャどっちがどっちなのかわからないアモルフ(不定形)な状態が続き、いつ火がついてもおかしくないスクランブルが続くのについに火がつかないで終わってしまうという特異な構成の作品だったわけだが、実はこの「アウトレイジ」がこれに近い。誰かに感情移入したり勝ったり負けたりでカタルシスを誘う、ということがおよそない。交換可能なのっぺらぼうな人間関係がそれ自体の論理と力学だけで動いている。

いったん殺し合いの火がついたら、あちこちに飛び火するのが勢いに任せてではなく、法則と力学にのっとって展開する、そこに一種の酩酊感も伴っていて、「仁義なき戦い」では営業用の理由で一つの事件をムリに二本にわけていた四作目の意味のない殺しの連続だった「頂上作戦」も一緒に描いたようなものだ。

別に意識してそうしたわけもないだろうが、いったん不定形な構成をくぐりぬけて新たな構成美を獲得するというのは自然な流れで、一つの到達にして出発点になったのは確か。と、同時にそういう作り方がこれまでのヤクザ映画になかったというと、それは少し違うと思う。「仁義なき戦い」とは情緒面で両極端のようで論理的構成という点ではぐるっとまわって同じところに来たようなところがある。

世界相手に配給できる余裕からか、画面がゴージャス。衣装から車から神経が行き渡っている。

三浦友和や加瀬亮のあまりヤクザくさくない顔を入れておく計算が確か。
大使館員の治外法権を利用するあたり、コメディタッチだがなんだか実際にやっていそう。
(☆☆☆★★★)


本ホームページ


アウトレイジ - goo 映画