prisoner's BLOG

私、小暮宏が見た映画のノートが主です。
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「ケンタとジュンとカヨちゃんの国」

2010年06月20日 | 映画
なんだか、アメリカン・ニューシネマのよう。二人の男がバイクで日本を縦断するのは「イージー・ライダー」、まったく愛されていない(かもしれない)男に愛を求めてしまうブスでバカな女は「ファイブ・イージー・ピーセス」のカレン・ブラックを思わせる、というのはウソで、見ている時は気付かなかった。それだけ借り物でなく身についているということだろう。

何より今の閉塞状況と排除されている若者たちに正面から向き合っているリアリズムが力強い。「格差社会」だのといった大文字の言葉ではない、稠密で重心の低い叙述は痛ましいとともに詩的で、監督の大森立嗣が麿赤児の息子というのがどの程度関係あるのかわからないけれど、明らかにここで描かれた生活を肌で知っているタッチ。

主人公たちがビルの撤去作業でコンクリートの壁を破壊しても、ドリルの振動が返ってきて手が真っ白になってしまうという職業病の描写が、何かを破壊しても結局何も変わらず傷つくのは自分という寓意を自然に形にしている。

最近「イージーライダー」を見て意外と古くなっていない、と思ったのだが、音楽や映画の作り方の新しさに隠れて見えなかったのだが今にして思うとあれは閉塞状況のアメリカでのたうちまわっていた若者たちを見つめた映画で、いってみれば日本があれに「追いついた」のだ。

60年代は網走刑務所がある種のロマンチズムとともに語られた時代でもあったろうけれど、ここでの網走刑務所は閉塞そのものだ。
なまじの希望や救いを持ち出さず厳しいタッチを通しているのが、いっそすがすがしい。
(☆☆☆★★★)


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