prisoner's BLOG

私、小暮宏が見た映画のノートが主です。
時折、創作も載ります。

「ぼくを葬る」

2006年05月18日 | 映画
「生きる」ばりに末期癌の宣告を受けた主人公が生あるうちに何をするかという話だが、ゲイという設定なのが面白くて、子孫という一番わかりやすい形で自分の死後に何かしら残せる可能性のないところをどういうものを残そうとするのか、あるいは残せないのだろうかという興味を持ったが、答えの出し方とするとちょっとズルい。
それにあれだとタネなしの亭主が養育費を出す余地すらなくなってしまうみたいで、立場なくなるぞ。
写真家なのに作品を残そうとはまったくしないのは、後で考えて見ると不思議。

すっかりお婆さんになったジャンヌ・モローの祖母みたいに、死ぬまで(おそらく)徹底して孤独に生きるという生き方もあったわけだろうが、そうするには彼は若すぎたということか。
(☆☆☆)



ぼくを葬る - goo 映画

ぼくを葬る - Amazon

「アイス・エイジ2」

2006年05月17日 | 映画
前作は見てないけれど、ストーリー上はあまり気にならなかった。

氷河期が終わって氷が解けるのだから人間の世紀が来そうなところを、逆に「出エジプト記」ばりの動物たちの苦難の脱出行に仕立てている。
ラスト近く、巨大な氷山が割れて水が流れ込んでいくのは「十戒」で紅海が割れるシーンのアレンジみたいだし、ノアの箱舟そっくりの船に動物たちが乗り込んでいて助かっていたりするなど、人間は出てこなくても聖書色バリバリ。
さらにリスがまるっきりキリスト教式の天国に行ったりするのだから、いささか鼻白む。

ラスト、絶滅しかけていたとか言われていたマンモスがぞろぞろ出てくるけど、こっちはどうやって助かったんだ?
キリスト教的世界観べったりというのは、今の時期どうもひっかかる。

リスとドングリとの格闘は楽しめた。
(☆☆★★★)



アイス・エイジ2<日本語吹替版> - goo 映画

アイス・エイジ2 - Amazon

「ゲルマニウムの夜」

2006年05月16日 | 映画
主人公が数々の背徳的な行為を行うたびに、「神の声」を聞こうとするようにゲルマニウム・ラジオのイヤホンを耳に入れるが、何も聞こえない。神は沈黙している。

豚の交尾や去勢、、解体などをもろに見せ、鳥小屋の糞掃除、残飯運び、痰にゲロ舐め、神父による少年の性的虐待など汚らしい場面がこれでもかこれでもかと続く。
スクリーンからはあいにくと匂いは出ないが、それを嗅ぎ続けただろう作り手とは、だいぶ穢れたるものに相対する気負いに落差が出てしまっているだろう。

主人公は罰がないところに罪はないと、ますます背徳的な行為を繰り返す。そして佐藤慶の老神父を巻き込んでシスターが懐妊するのを「予言」したあと、実際に襲うが、犯すところは画面に出ない。
この出さないところがミソで、「予言」通り懐妊したのが処女懐胎=神の降臨を暗示しているよう。それをシスターが告げるが、イヤホンを耳に入れたままの主人公には、妊娠しているはずのお腹に反対の耳を当てているにも拘わらず何も聞こえない。
彼にとっては神はついに沈黙したままだ。

罰が下されないのが不満なように涜神的行為を繰り返すのも、逆説的にそれだけ神を求めているということだろう。
こういうアイロニーのパターンは、無神論者にはよく見られた。ドストエフスキー「悪霊」のスタヴローギン、遠藤周作「海と毒薬」の戸田、ウィリアム・スタイロン「ソフィーの選択」のナチスの医者、など。
ただ、舞台が日本の北海道なので、キリスト教的タブーが社会的な重圧感を感じさせるというほどではなく適当な軽みがあって、ラスト近くの展開など初期の山上たつひこみたいで笑ってしまった。

殺人を犯すような人間はポテンツが高いように思ってしまうが、意外なことに童貞という設定。
その初体験の相手の早良めぐみが「童貞」になるのを目標にしているというのが、ちょっと聞くと妙な感じだが、聖人に叙せられたテレーズ童貞のように女性に使う場合もある。
もう一人のヒロイン・広田レオナの役名がテレーズというのも、偶然ではないのかも。
性交場面で女の方が上の騎上位というのも、ふさわしい感じ。
女の全裸は正面から見せているが、男のは性器が写ってしまうからか避けている。そのあたりも、男はちと及び腰。
映倫マークが入っていなかった。やはり荒戸源次郎製作でドーム映画館で上映した「ツィゴイネルワイゼン」もたしか映倫は通していない。
(後註・映倫を通さないからこそ、うっかり見せられないのだという。現像所から出せなくなるかもしれないから。デジタル技術でぼかしているのだそう)
(☆☆☆★★★)



ゲルマニウムの夜 - goo 映画

ゲルマニウムの夜 デラックス版

ジェネオン エンタテインメント

このアイテムの詳細を見る







上野から消えるもの消えたもの

2006年05月15日 | Weblog

上野松竹デパートビル。映画館の上野セントラルは5月14日をもって閉館しますと出ていました。上野囲碁センターも、古本屋も、やたらごたごたひしめいた小さい店も、みんなこの中にあります。


上野のれん街は、ひと足前に閉鎖されていました。


上野公園。左手には青テント村があったのですが、すっかり撤去されていました。数ヶ月前には、この奥の方でホームレスの集団が整列させられていました。


閉鎖された博物館動物園駅。降りていくと、洞窟のように暗い構内には電球がついていて木製のベンチが置いてあるという、レトロというのも違う異様な空間が広がっていました。とある詩人が、ここで朗読会を開いたこともあったそうです。


茂木健一郎講演

2006年05月15日 | Weblog
紀伊国屋ホールにて。前売りは完売、当日も10分で完売。

1時間30分、すべて即興。
脳の話をしているのが、そのまま人の欲望と行動についての法則の解説になっていくから、ありとあらゆるジャンルに話がとんでもちゃんと全部つながっている。
喋ることが詰まっていて、いくらでも出てくる感じ(実際、10分の1も喋れなかったとのこと)。

なぜ今、脳が話題になるかというと、現代ではcreativityとcommunicationというメタなレベルの能力が要求されるようになっているからで、だから不安だからだろうとのこと。
脳年齢を計ったりする方法っていうのは、アレ小学生の勉強の再現みたいなもので、回想療法なんじゃないかとも。

とはいえ、脳というのは欲望に向かって働くこと自体に快楽を感じるようにできているので、その欲望を高い次元のものに耕していくことが大事と語る。
少し今の日本、いい意味での欲望を押さえつけすぎとも。

聖心女子大での授業でドストエフスキーの名前を知っていたのが100人中2,3人だった、ここは大丈夫ですねというと、ちょっと勝ち誇ったような笑い声がホール内から響く。周囲に、熱心にノートをとっている人が何人もいた。質疑応答も盛ん。還暦前という人が熱心に話すこと。



「素敵な歌と舟はゆく」

2006年05月14日 | 映画
冒頭の室内をのしのしとなぜかアオサギが羽を広げて歩き回って、それを女がまるで意に介さないで電話しながら、メイドに手を出した亭主を怒鳴っているといったフシギなセンスにひきつけられるが、二時間近いのはいささか長すぎて飽きる。
フランス映画ながら監督のイオセリアーニはグルジア出身で、ロシアのソクーロフの「ストーン」でもなぜかチェーホフ(らしき人物)の部屋にアオサギが歩き回っていたが、あっちの文化圏で何かの意味があるのだろうか。

船と歌というより、二輪車とワインが頻繁に出てくる。二輪車が走り回るのをパンで捕らえたり、誰もいない部屋でも鉄道模型が走り回っているのを見せるなど、横の動きが目立っていて画面を様式化している。
玉突きみたいにとりとめないようで妙にぶつかったりする人物風景。
(☆☆☆)



素敵な歌と舟はゆく - goo 映画

素敵な歌と舟はゆく - Amazon

「バッシング」

2006年05月12日 | 映画
イラク人質事件で起こった日本国内での人質とその家族へのバッシングをモチーフにしているのは明白だが、冒頭に「これはフィクションであり、直接の人物や事件とは関係ありません」云々の字幕が出て、作中のセリフでも「例の事件」といった言われ方をしていて、直接的な言及は避けられている。

だから、なぜ一家が叩かれるのかというのが全然説明されないまま、バッシングによってヒロインと父親が職を失い、父親が自殺して、という八方陰惨な話をえんえんと見せられることになる。
何度も古いアパートの階段を昇ったり、小さなベッドに倒れこんだりといったアクションを繰り返すことで一種の様式化をしているので、ただ陰惨な話につきあわされるだけというわけでもないが、しかし相当に生理的にしんどかったというのが本音。

説明しないことで、日本人ひとりひとりにあたるところの観客に、その時自分はどうしていたか思い出させて考えさせる、という狙いなのかな、とも思う。
実際のところ、事件の時、まさかバッシングに参加はしなかったが、同情もあまりしなかったというのが本当のところ。バッシングされた元人質たちに対して、「弱者」という認識はなかったように思う。乱暴に言うと「ご立派なことをやっていられる結構なご身分」くらいか。何の落ち度もなくて理不尽な被害にあって、それで面白半分な攻撃をされている人間は、他にいくらもいるよ、とも。
あと、いかにも形式的だがやれやれとりあえず助かって良かったというのと。
映画そのものは現実とのアナロジーで語られるのを嫌っている感じだが。

なんでああいうバッシングが起こったかについての分析や評論もいくつか読んだが、日本人のナショナリズムの復活だとか、弱者への同情の欠落、長いものには巻かれろ意識といったよくある公式的なのが多くて、あまり釈然とするものはなかった。直感的になんか、違うなあと思っている。
自分の「正しさ」に疑問を持たない人間への違和感というか。
この映画でも主人公に対する批評的な見方が欠けている。

実際、バッシングする側の説得力ある描写抜きでバッシングというのが描けるのだろうか。
近しい人間が離れていく時ももう少し見かけは取り繕うのではないかと思って、元恋人や上司の冷たい態度もああ世の中イヤな奴が多いなあという程度の認識をあまり出ず、コレが日本人の分析だとか自分を鏡に写した姿だとは(たとえ傍から見てそうであっても)まず思えない。
(☆☆☆)



バッシング

GPミュージアムソフト

このアイテムの詳細を見る

「ニュー・ワールド」

2006年05月11日 | 映画
虫の鳴き声だけのタイトルバックなんて、およそ昨今のアメリカ映画離れした作り方。
テレンス・マリックらしい一種アニミズム的な映像表現が全編に貫徹されている。これだけ大掛かりな映画でも作家性は一点も曲げないのが、芸術家としてちょっと別格扱いされているゆえんかもしれない。
代わりにストーリー性や一般的なキャラクター描写は大幅に犠牲になっている。
いくら宣伝とはいえ、ラブストーリー寄りにして「タイタニック」と比較するというのは、ウソが過ぎますぞ。

しきりとカメラは太陽を仰ぐ。イギリス人ジョン・スミスとポカホンタスとの最初の頃の会話でも、「太陽」がキーワードになっていた。
水の中から原住民を捕らえたショットなど、「天国の日々」でリチャード・ギアが撃ち殺された姿を水の中から捕らえたショット同様、人間以外の何者かの視点。
続けて見るとイギリスの庭園の極端に幾何学的な造形は、ほとんど異様に見える。

もっとも、アニミズム寄りとはいっても原住民の素朴な生活を称え、西洋近代を批判するといった作りというわけでもない。ポカホンタスは結局、近代の生活に同化していくのだし。
ナレーションが多用されるのもマリックのスタイルだが、場面によって語り手が変わっているのも、世界が引き裂かれた感じを出しているよう、「シン・レッド・ライン」ほど違和感なし。
(☆☆☆★★)



ニュー・ワールド - goo 映画

ニュー・ワールド コレクターズ・エディション

ポニーキャニオン

このアイテムの詳細を見る

「ヨーロッパ諸学の危機および超越論的現象学」エトムント・フッサール

2006年05月07日 | 
なんとか、読了。
眠り薬代わりに読むといいとか、石のサンドイッチなんて言われる超難物だとは聞いていたが、大げさではないね。

題名に「諸学」とついているように、哲学以外の学問、特に心理学と幾何学についての言及が目立つ。
ただ、この場合の心理学が今でいう心理学とどの程度同じなのか、違うのか判断がつかず。
なんでこの本読むようになったのかというと、もともと自然科学とか数学みたいに哲学とは全然関係なさそうな学問の方法が多分に哲学・形而上学から出ていると聞いたから。
あるいは幾何学的な世界観から近代哲学が発達したのでもある。

話はそれるが、当たり前みたいに理科系・文科系という具合に人間の思考法の傾向を分けてしまうのに違和感がずっとあった。
なんでそういう分け方ができたかというと明治になって教育機関を作るのに、まず近代国家の格好を作るための官僚機構を育てるのに法学部・産業を興すのに農学部などを作ることから始めて、ヨーロッパの大学にはそれ以前になくてはならなかった思考法の基礎としての哲学がすっぽ抜けていたから。

哲学という言葉はフィロソフィー(知を愛する学)の訳語として西周が中国の文献から希哲学=知を望む学という言葉をあてはめようとして作りかけたところで、どういうわけか希が抜けてしまって意味が通じなくなったのだという。

ごく最近まで、哲学書などまるで読んだことがなくて、それでとりあえず困りもしなかったが、いざぽつぽつ読んでみると、やたら細分化してしまった学問をつなぐ今まで抜けていた部分が少しは見えてきたみたい。



ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学 - Amazon

「アンダーワールド:エボリューション」

2006年05月03日 | 映画
続編ものなのだが、前編の内容をまるで覚えていなかったので、どうつながっているのかよくわからない。わからなくて困るというハナシでもなくて、要するに善玉が悪玉をやっつけるだけなのだが、吸血鬼と狼男の対決なのだから、本当はどっちが良いも悪いもなくて、要するに美人がついている方が勝つという次第。

アクション、アクションでつないでいて、血みどろの描写だらけだが、スタイリッシュな処理をしていてあまり毒々しい感じはしない。
ケイト・ベッキンセールの黒のぴったり身体の線が見えるコスチュームとそれと対照的に青白い肌がセクシー。
(☆☆☆)



アンダーワールド:エボリューション - goo 映画

アンダーワールド2 エボリューション コレクターズ・エディション

ソニー・ピクチャーズエンタテインメント

このアイテムの詳細を見る


「寝ずの番」

2006年05月02日 | 映画
生前の伊丹十三が、常連出演者だった津川雅彦に「あんたも監督してみなよ」と言っていたことがあった。
それが実現したわけだが、モチーフとしては同じ「お葬式」。伊丹が監督としては二代目だけれど、津川ならぬマキノ雅彦は三代目ということになる。
本来不謹慎な話なのだが、お祭りの一種として華やかに見せてよく笑わせるところや、死者の目みたいなアングルでぐるりを取り囲んだ通夜の客を下から見上げた画面なども共通している。
漢文の返り点みたいな構成で死んだ人間が回想で何度でも蘇ってくるわけだし、死体にかんかんのうを躍らせても陰にこもった感じはない。

木村佳乃がおそ×を見せるところで、スカートの裾をちょっと噛んだりする動作のつけ方はなるほど叔父マキノ雅弘譲りというか、芝居の「型」から入る芸人一家出身らしい演出。藤純子だったか、男を待っている芝居で足の親指で「の」の字を書かせて艶っぽさを出した、という例に近いみたい。
酒を飲みすぎていつもお腹がゆるいというあたり、原作の中島らも自身の姿がうかがえるよう。

下ネタだらけと聞いていて実際そうだけれど、キャスティングのせいか思ったほど関西色が強くない。
(☆☆☆★★)



寝ずの番 - goo 映画

寝ずの番

角川ヘラルド映画

このアイテムの詳細を見る