prisoner's BLOG

私、小暮宏が見た映画のノートが主です。
時折、創作も載ります。

「巴里の女性」

2006年05月01日 | 映画
製作・監督・脚本・音楽チャールズ・チャップリン、ただし主演だけしていないシリアスドラマ。
わざわざ冒頭の字幕で「私は出ていません」と断っていた。そのせいかどうか(に決まっているが)興行的に失敗したもので、シリアス路線はおあずけになり、1923年の初公開以来、60年以上封印されていたらしい。
チャップリンがヒロインに長年短編でパートナーをつとめてもらったエドナ・パーヴィアンスを起用し、言ってみればこの映画を捧げたわけ。彼女が引退してからも終生年金を払っていたともいう。

出だしのヒロインとその貧しい恋人の父親が両方ともやたら厳しい、というよりほとんど子供を憎んでいるのではないかと思わせるあたり、かなりコワい。娘が親の目を盗んで男のところに逢い引きに行ったと知ると、家中の鍵をかけて締め出し、「その男にベッドを用意してもらえばよかろう」と言い放つといった調子。
サイレント映画なのだが、パントマイム調の大げさな演技はあまりせず、リアリズム・タッチ。

巴里の金持ちたちの享楽的な生活の描写にずいぶん熱が入っている。本当だったらヌードが現れるところを巧みに省略しているのは、ソフィティケーションという以上に好色な感じ。
トリュフのシャンパン煮なんてのが出てくるところで、翻訳(清水俊二、えっ!)では出なかったがトリュフを取る豚とgentlemanをあえて並べていた。

ヒロインがどんな生業をしているのか、引き出しから落ちたハンカチ一つで見せる脚本と演出の冴え。
女友だちと会話を交わす間、ずうっとマッサージを続ける雇い人の表情を追い続け、その欺瞞に満ち満ちた内実を余すところなく暴露している。
アドルフ・マンジューがいつもにやにやしているのが余裕たっぷりのようでもあり、白痴的(‘idiot’と呼ばれたりする)でもある。
この頃の女性たちは、今の目で見るとずいぶんコロコロしている。
太ったウェイター役、見た顔だと思ったら「サーカス」で先輩のピエロ役をしていた Henry Bergmanという人。



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