prisoner's BLOG

私、小暮宏が見た映画のノートが主です。
時折、創作も載ります。

「ゲルマニウムの夜」

2006年05月16日 | 映画
主人公が数々の背徳的な行為を行うたびに、「神の声」を聞こうとするようにゲルマニウム・ラジオのイヤホンを耳に入れるが、何も聞こえない。神は沈黙している。

豚の交尾や去勢、、解体などをもろに見せ、鳥小屋の糞掃除、残飯運び、痰にゲロ舐め、神父による少年の性的虐待など汚らしい場面がこれでもかこれでもかと続く。
スクリーンからはあいにくと匂いは出ないが、それを嗅ぎ続けただろう作り手とは、だいぶ穢れたるものに相対する気負いに落差が出てしまっているだろう。

主人公は罰がないところに罪はないと、ますます背徳的な行為を繰り返す。そして佐藤慶の老神父を巻き込んでシスターが懐妊するのを「予言」したあと、実際に襲うが、犯すところは画面に出ない。
この出さないところがミソで、「予言」通り懐妊したのが処女懐胎=神の降臨を暗示しているよう。それをシスターが告げるが、イヤホンを耳に入れたままの主人公には、妊娠しているはずのお腹に反対の耳を当てているにも拘わらず何も聞こえない。
彼にとっては神はついに沈黙したままだ。

罰が下されないのが不満なように涜神的行為を繰り返すのも、逆説的にそれだけ神を求めているということだろう。
こういうアイロニーのパターンは、無神論者にはよく見られた。ドストエフスキー「悪霊」のスタヴローギン、遠藤周作「海と毒薬」の戸田、ウィリアム・スタイロン「ソフィーの選択」のナチスの医者、など。
ただ、舞台が日本の北海道なので、キリスト教的タブーが社会的な重圧感を感じさせるというほどではなく適当な軽みがあって、ラスト近くの展開など初期の山上たつひこみたいで笑ってしまった。

殺人を犯すような人間はポテンツが高いように思ってしまうが、意外なことに童貞という設定。
その初体験の相手の早良めぐみが「童貞」になるのを目標にしているというのが、ちょっと聞くと妙な感じだが、聖人に叙せられたテレーズ童貞のように女性に使う場合もある。
もう一人のヒロイン・広田レオナの役名がテレーズというのも、偶然ではないのかも。
性交場面で女の方が上の騎上位というのも、ふさわしい感じ。
女の全裸は正面から見せているが、男のは性器が写ってしまうからか避けている。そのあたりも、男はちと及び腰。
映倫マークが入っていなかった。やはり荒戸源次郎製作でドーム映画館で上映した「ツィゴイネルワイゼン」もたしか映倫は通していない。
(後註・映倫を通さないからこそ、うっかり見せられないのだという。現像所から出せなくなるかもしれないから。デジタル技術でぼかしているのだそう)
(☆☆☆★★★)



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