『人生を遊ぶ』

毎日、「今・ここ」を味わいながら、「あぁ、面白かった~ッ!!」と言いながら、いつか死んでいきたい。

  

誕生日

2011-10-01 06:51:00 | 家族



9/30はナッちゃんの
15歳の誕生日だった。

にもかかわらず、
夜9時まで卓球の練習をしてきて、
風呂に入ってから寝る前に
みんなでケーキを食べた。

近頃、思春期になったせいか
写真を撮られるのを嫌がっていたが、
この日は、珍しく
機嫌よくピースしていた。

プレゼントには
ポケット・トランペットが
欲しいらしい。

オトーサンと
裏磐梯でギターとの
二重奏をやりたいそうな。

幼児の頃、
フミとやったのを見て
刷り込まれたのか、
写真を見て
そう思ったのかもしれない。

やっぱ、兄弟、家族だなぁ・・・と思う。





**********


『道落もの』


 先年、亡くなられた阪武彦先生は京大院で河合先生の薫陶を受けられた先生だった。奥様の永子先生もユング心理学のジャーナル『スプリング』の日本取扱所に関わっておられ、河合先生と面識があった。
 阪先生が1年間アメリカに分析留学されたとき、永子先生にお世話になったが、河合先生に教育分析していただけないかお聞きいただいた。けっきょく、お断りになられたが・・・。それでも、京都に住んでいたおかげで、河合先生の話を社会教育センター(現アスニー)によく聴きに出かけた。京大での退官記念講演も聴きに行った。
 とにかく、ユング心理学と河合隼雄に入れあげていた頃だった。毎週日曜には、アバンティの紀伊国屋書店に行っては、心理学コーナーでユングか河合先生の本を買っていた。レシートには、いつも「テツガク・シンリ」と打刻されていた。

 教育分析を4年ほど受けているうちに、大学院入学の意欲が芽生え、阪先生からも「やってみてはどうか」と応援されたので、思い切って人生の舵を切った。
 定年まで勤めようと覚悟して就職した大阪の学校を、十一年目で退職することにした。院試を受けたり、カミさんも福島県の教採を受けたり、マンションを売りに出したり…と、Uターン手続きはかなり大変だった。
 それでも、うまく事が運んで、十一年ぶりの帰郷となった。しかも、社会人から再び無収入の学生に戻ったわけである。子どもも二人いての院生としての生活がスタートした。

 母校の院の心理学教室では、京大のようにユング心理学も深層心理学もあるわけじゃないので、来る日も来る日も、実験心理学や発達心理学、教育心理学の演習ばかりだった。唯一、主査の小野先生の臨床心理学だけが、短期療法だったがカウンセリングに関係したものだった。











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