『人生を遊ぶ』

毎日、「今・ここ」を味わいながら、「あぁ、面白かった~ッ!!」と言いながら、いつか死んでいきたい。

  

けふは生まれ日

2021-12-06 07:49:00 | ノンジャンル
 賜びしわがいのち
  生かされて六十四年
   ただ勿体なし
    今日は生まれ日


 わがいのちもてる
  生まれ日積り
   六十四歳となりし今日なり


       碧水歌
   


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フェイスブックの
『過去の想い出』
という自動表記機能により、
一昨年と2018年の
今頃の事を
昨日、再読した。

そしたら、今日の誕プレに相応しい
「幸せ」なイヴェントを
再体験したような
多幸感に包まれ癒された。



************************

【2019/12/3】

フミの結婚式に
山梨の「八ケ岳」まで
赴いてきた。

大宮から埼京線で新宿まで行き、
そこから狩人の歌にもなった
『あづさ2号』ではなく・・・17号で(笑)、
「小淵沢」までの
4時間の行程だった。

ちょうど、
京都へ行くほどの
時間感覚だったので
身についてる旅程でよかった。

しかも、
行きしなは、
ソーちゃんの「順位戦」を
スマホ観戦しながらだったので、
退屈しなかった。

フミの挨拶に
「日常生活から離れて
非日常の時間を愉しんで下さい」
というのを聞いて、
もっともだなぁ・・・とも、
感じた。

初めての『あづさ号』乗車、
初めての山梨県、八ケ岳、
初めての息子の挙式、
そして、7年ぶりの
家族全員集合・・・と、
高原のリゾート地で
それは夢のような時間を
過ごさせてもらった。

カミさんと共に小旅行するのも、
3.11で、アキとナッちゃんを
京都疎開に受け入れて頂いた
元同僚へのお礼伺い来
8年ぶりである。

小淵沢というローカル駅に
先に到着して、
東京と新潟から来る
アキとナッちゃんと待ち合わせをしたが、
異郷の地で、家族と会うというのは
なんだか不思議な感覚でもあった。

式場とホテルがパックになっている
リゾート施設での
夕方からの挙式というので、
街中の真昼間のイヴェントとは
いささか赴きがことなり、
それも不思議な気分であった。






部屋で着替えた親子三人が
式場に向かう途中、
正装を済ませたお兄ちゃんたちに逢い、
ホテル従業員たちが
花びらシャワーを撒いて祝福する
フラワーロードにさしかかる直前だった。

三十路を過ぎた二人だが、
花嫁は美しく、
フミも凛々しく、
素敵なカップルに見えた。

弟ふたりの目にも
きっとそのように
映ったことであろう。

それは
ブライダル・コーデによるものでなく、
一生懸命に勉強し、
スポーツをし、音楽をし、
真面目に仕事をして、
楽しく遊んできて、
人を大切にし、家族を愛し、
互いに愛し合ってきたからこそ、
輝いて見える姿だった。

ちゃんと真っ当に生きてきた
証(あかし)なのだ。

カミさんも
母親として
どれほど嬉しく
誇らしかったことだろうか。

親バカと言われようが、
何と言われようが、
三人とも手塩にかけて育ててきた
何処に出しても恥ずかしくない
見事で立派な自慢の息子たちである。

自分がこの世に残した
最高傑作は
「三人の息子たち」
に他ならない。

新婦の御尊父からも
「素晴らしい好青年で、
安心して娘を託せると
確信できました」
とスピーチを頂いて
感激した。








挙式は
若いカトリックの神父様が
聖書の言葉を引用しながら
誠実にふたりを
「夫婦」という
新たなソウル・ステージへと
導いて下さった。

新郎は新婦の両親と握手し
そこに神父様が立ち会って
「今日から、あなた方の息子となります」
というお言葉で祝福を与え、
次いで、新婦のミカちゃんが
我々夫婦と握手して、
そして、三人で手を重ねあって
「今日から、あなた方の娘となります」
と祝福を下さった。

その瞬間、
急に、嗚咽しだして
オンオン泣きをしてしまった(笑)。
(今も泣いてる・・・笑)

祝宴の二次会では
笑い話にもなったが、
心理分析家が分析する前に
カミさんから
「ずーっと、娘が欲しかったからじゃないの・・・」
と、言われて
「あ、そっかぁ・・・」
と腑に落ちるようだった(笑)。

もっとも、
それもあるが
フミが誕生してから
30年間の人生が
走馬灯のように
脳裏に浮かんだのもあったのだろう。

それは、かつて、
一度も体験したことのない類の
感動の涙だった。

突然に湧き出でてきた
情動に激しく揺すぶられての
滂沱の涙だった。

まさか、息子の挙式で
こんなに泣くとは
夢にも思っていなかった。

自分もまた、
花嫁の父と同様に
一生懸命育ててきて
一生懸命愛情を注いできたのだろう。

コンサートでも
読書でも観劇でも、
かつて、これほど感動させられて
涙を流したことはなかった。

自分の一生の中でも、
最高に感激した瞬間だったかもしれない。

…:;(∩´﹏`∩);:. イキテテ、ヨカッタァ…







カミさんは
新婦の御母堂と歓談もし、
プログラムでは
祝宴のためのノンアル・サングリアを
共同作業で作った。

この日、いちばん泣いてたのが
新婦のお母様(同い年)で、
次が自分だった・・・(笑)。

カミさんのハンケチを借りたら、
「洗って、返してよ・・・」
だってぇ・・・(笑)。

カミさんも
30年も経つと、
こーなるぞー(笑)。

ヾ( `_ゝ´) ノ デテケ~ッ!

  ε=ε=ε=ヾ(*。>◇<)ノ ヒ~ッ!

フミに請われて
祝宴の〆の余興として
『コーヒールンバ』を弾いた。

「わたしは話下手なので(笑)、
ギターでもって、今日の良き日を
お祝いしたいと思います・・・」
と、前置きした。

その方が、
スマートだろう・・・と、
フミとは打ち合わせしといた。

プロに話しさせたら、
新郎新婦や御尊父のスピーチに
勝っちゃうもんねぇ・・・(笑)。

演奏には新婦側のご両親に
たいへんお喜び頂き、
ギタリストとしての面目も立ち、
フミの〆の挨拶の
「今日は、愉しんで頂けたでしょうか・・・」
というウェディング・プランニングの
役に立ったことにも安堵した。

披露宴ではなく、
祝宴という食事会形式だったので、
田舎式場にある田舎結婚式スタイルでなく、
スマートでソフィスティケートされた
粋なパーティーで、心から楽しめた。

会場の真上が宿泊部屋というのも
気が利いていて、
二次会も全員が顔を揃えたが、
歳の順から銘々、挨拶して
辞去されていた。

フミとアキは
7年ぶりの再会だったので、
3時半まで飲み明かしていた。

この日、
ミカちゃんのお婆様が
95歳というご高齢ながら、
わざわざ叔父様の運転される車で
金沢からおいでになられた。

師走の高原の半野外のチャペルで
毛布にくるまれながら
愛孫の花嫁姿に目を細めて
「ほんまに、いい思いさせてもらいました」
と金沢弁で仰っていた。

身内と親友だけの
小さな手作り結婚式と祝宴だったが、
皆に寿がれ、喜ばれ、涙された、
素晴らしい一夜だった。



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【2018/12/05】


きのうは、
T中に隣接する幼稚園で
30分のミニコンサートを
行ってきた。

数十名の園児に
平場の教室で
聞かせるものと
想像していたが、
総勢200名に大ホールの
ステージだったので
想定外だった。

学校から歩いても行けたが、
ステージ衣装やら
備品が多かったので、
カウンセリング室での白衣を着たまま
車でいちど校外に出て
幼稚園の広い駐車場に向かった。

15分前に到着すると
昼休みで園庭で遊んでいた園児たちが
「ギターの先生だー!!
 こんにちわー!!」
とみんな元気よく挨拶してくれて
手をふってくれるので、
こっちも一々手を振りながら、
青いジャケットに着替えた。

のっけから
たいそうな歓迎ぶりである。





ホールに入場してきた子どもたちは
先生方に言い含められてきたのか、
みな少しばかり緊張した面持ちで
先生たちの「お口チャック」の仕草を
横目で見ながらおとなしくしていた。

園側でも
「ギターリサイタル」
という名目で、
純クラシックのプログラムを
想定されていたようで、
子どもたちにオシャベリ厳禁を
事前指導していたようだ。

なので
畏まっている姿が
気の毒になって
持参したグローブ・パペット
(片手遣い人形)を
「タナちゃん」と名づけて、
インチキ腹話術で挨拶してみた。

そして、一曲目を弾く前に、
「『魔女の宅急便』、見たことあるひとー!?」
と問いかけると、
そこは幼児たちで
「見たーッ!!」
ヽ(´▽`)/ヽ(´▽`)/ヽ(´▽`)/
と半数以上が
笑顔で手を揚げてくれた。

それで、
だいぶ会場が暖まってくれて
緊張が解けたようだった。

そして、演奏が始まると、
静かにお利口に聞いてくれ、
弾き終えると
ちゃんと拍手をしてくれた。

「キキちゃんが、ホウキに乗って
お空を飛んでるの見えたかなー!?」
と訊くと
「見えたーッ!!」
♪ヽ(´▽`)/
と数人の子が応えてくれて、
嬉しかった。






ソロ用の『もののけ姫』と
『ラピュタ』を用意していたが、
まだ緊張している子がいたので、
割愛して、すぐに
「お歌のコーナー」に入って
『となりのトトロ』の
『さんぽ』をギター伴奏で合唱した。

全員が園でやって
知っていたので、
200名の園児の凄まじい歌声が
ホールに響いて、
まるでパリ・コンサートで
合唱団を指揮した
久石譲のような気分になった。

自分のギターに合わせて
子どもたちが心を合わせて
ピタリと歌ってくれるのは
なんとも得がたい経験で
快感でもあった。

それは、かつて、
O小学校文化祭での
『ポニョ』の大合唱以来である。

子どもたちは
すっかりマイペースになり
リラックス・ムードになったが、
周囲の先生方が
騒ぎ出すんじゃないかと
ハラハラされてる様子だった。

「お歌コーナー」を
続けた方がいいと思って、
「『あわてん坊のサンタクロース』は
みんな知ってるかなー!?」
と訊くと、
「知ってるーッ!!」
と元気に返ってきて、
何人かが歌いだし
それにつられて一団も歌いだした(笑)。

(あららら・・・)(笑)

゜゜(´O`)°゜

それを割って止めて(笑)、
「じゃ、ギターと一緒に歌いましょう・・・」
と両手メガホンで
大声を発した(笑)。

(^◇^;)

それもギターのキーに合わせて
ピタリと歌声がそろっていて
魂消て感心した。

つづく『きよしこの夜』は
だーれも歌わず、
ステージ袖にいらした
女性教頭先生が
「知らないんです」
とのことで
意外だった。

『ジングルベル』も
全部は知らないようで、
「♪ ジンゴベー、ジンゴベー♪
 鈴がーなるー」
のとこだけ合唱してくれた。






サービスに、
カウンセリングに来る
中学生に時々やって見せている
得意の「赤玉ふやし」マジックと
サムチップ(親指キャップ)を使った
「赤布出し」をやって見せた。

園児も先生も・・・(笑)、
口をアングリと開いて
(・̆○・̆)(・̆○・̆)(・̆○・̆)
単純なトリック手品に感動して
ワーワーの拍手喝采だった。

パペット腹話術やったり、
手品やったり、
オレはピン芸人か・・・と、
内心、自虐的に苦笑していた。

ほんに、
「歌って踊れるカウンセラー」
である(笑)。

癒しのプロの
「公認心理師」の
初仕事のようなものである(笑)。

それから、
純フラメンコの
『セヴィリジャーナス』を
「ハリポタみたいな国の
お祭りの曲だから、
4つの切れ目で
「オレーッ!」
って元気に叫んでねー!」
と、いちど練習させた(笑)。

これは
毎年リサイタルで演奏し、
毎週、H君とデュオ練習しているから、
お手の物で、それこそ
派手ハデに弾いてみせた。

そしたら、
見事に曲の合間に
200名の園児たちが
「オレーッ!!」
を入れてくれ
ソリストとしては
その気分のいいこと、いいこと(笑)。

子どもって
大したもんだなぁ・・・と、
教育者の端くれとしても
あらためて思った。

先生方も想定されていた
純クラシックの
ギターリサイタルとは勝手が違って
「あらま・・・」という
お顔をなさっていたが、
子どもたちが陽気に楽しんでいるのを
ご覧になって、少しずつ
表情が緩んでこられた。

最後は、
十八番の『コーヒー・ルンバ』を
マックス・スピードと大音量で
決めたので、子どもたちは
気圧されたのか
「オレ…」
がまばらだった(笑)。

教頭先生の司会で
二人の男の子と女の子が
手を揚げて感想を言ってくれて、
その素直な表現が
何よりの「ご褒美」だった。

アッという間の30分だったが、
車に戻ったら、
しぼるほどの汗をかいていて、
かなりの腹痛を感じていた。

おそらく
アドレナリンが出て
胃腸が痙攣収縮したんだろう。

帰校して、すぐに
鎮痙剤のブスコパンを呑んだ。

そうとう緊張していたんだなぁ・・・と、
まだまだ“うぶ”な自分の
表現者としての
良心を感じることができた。

やはり
「二百の無垢のたましい」と
「四百の瞳」を前には、
大人には通じる
ハッタリや誤魔化しは
通じないのだ。

それこそ全身全霊で
全人的関与をせねばならない
「時」と「場」がある、
ということを
臨床家としても
音楽家としても
無意識的に解っているのだろう。

師の河合先生は
「100点以外はダメな時がある」
と仰っていた。

筆記の国試は60点だったが、
実技の今回は、もちっと
イイ点が取れたような
気がするのだが・・・(笑)。

(´~`;)  










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