津波の悲劇から十一年過ぎた今でも、三陸小学校の校舎はひっそりと残っていた。
今はもう、何処からも子どもたちの歓声は聞こえもせず、そこはもう文字通りの廃墟と化していた。
この十一年の間。
多くの児童と教職員が亡くなったこの校舎跡をどうするか、ということが、遺族や市側、有識者たちの間で論議尽くされ、解体派と保存派とが、喧々諤々したが、結局は保存することに落ち着いた。
それは、そのままではなく、後世に伝えるべき震災遺構として整備されることになった。
それも人々が懊悩したうえに採択したひとつの「決断」でもあった。
三陸小学校は、未来への日本遺産となったが、それはまた、再び悲劇を繰り返さないための世界遺産と言ってもよかった。
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