『人生を遊ぶ』

毎日、「今・ここ」を味わいながら、「あぁ、面白かった~ッ!!」と言いながら、いつか死んでいきたい。

  

名残り雪

2015-03-24 06:35:00 | 仕事


今朝、起きてみたら
うっすらと名残り雪が
積もっていて驚いた。

昨日は、息子と
新生活の家電品を揃えに
ヤマダ電機に行ったが、
何を聞いても要領を得ず、
一々「確かめて参ります」
という愚鈍な店員のために
イラついて怒気を孕んでしまった。

そしたら、
クレーマー対応係のような
スタッフまで出てきて
跪いて平謝りをしたが、
風邪気味で体調が悪かったこともあり、
2時間近くもイライラさせられて
帰ってきてから具合が悪くなり
寝込んでしまった。

春休みになって、
せっかく平日
客の空いている時に
出かけたのに、
ハズレ店員に当たって
時間と健康を損なってしまった。

最近、この手の愚鈍な店員が
パソコンショップや書店、
コンビニなどでもしばしば遭遇し、
社会性がないのか
頭がワルイのか、
イラッとくることが多い。

こちらが歳を取って
短期になったのかもしれないが・・・。

今日は、
K高から緊急連絡が入って
臨時出勤になった。

まだ、若干、
体調がすぐれないが、
「こころのSOS」への出動なので
凜として向かわねばならない。




去年、3.11の三年慰霊祭への
原稿依頼を受けて寄稿したので、
記念誌が完成して頂いた。


********

             寄り添ひの日々
 
                          スクールカウンセラー
                             佐々木 修


 原発事故から4年経つ現在、公立中高5校に勤務するスクールカウンセラーとして、子どもたちの健康面、心理面の現状について、いくつか述べてみたい。
 
 5校のうち4校は、「計画的避難区域」外にある学校で、子どもたちのほとんどが自宅から自校に通学しており、現状では、この4年に、特に原発事故の影響が子どもたち自身やその家族に出ている様子は観られなかった。
 ただし、その4校内でも、自宅が「計画的避難区域」に掛かり、仮設住宅から3年間通学した女子高生1人には、ストレス性の不適応症状が生じて、3年間、精神科治療と学校カウンセリング(心理療法)で対応した。その結果、症状は改善し、無事に卒業・就職することができた。
 また、同じく自宅が「計画的避難区域」に掛かり、中学時代に他地区に転校し、そのまま仮設住宅のある地域の高校に入学してきた男子生徒1人は、入学後から不適応症状が顕著に現れ、精神科治療と学校カウンセリングで対応したが、改善しきれず長期欠席になり、結局、退学してしまった。
 子ども以外のケースをあげると、ある高校の男性教諭1人は、3.11直後、妻子が他県に避難・在住して、単身で3年半生活していたが、そのストレスにより「うつ病」を発症し、精神科治療の甲斐なく自殺してしまった。その死によって、生徒の何人かにPTSD(心的外傷後ストレス障害)様の軽い心因反応が観られたが、カウンセリングにより短期でそれらは改善した。この教諭のように、原発事故関連自殺は、事故後3年半を経て100人を超しているのが現状である。因みに、原発事故関連死は、現在1.600人を超えている。

「計画的避難区域」内にあった1高校は、「全村民避難」により、約30km離れた福島市内のプレハブの仮設校舎に移転した。この学校の生徒に限り、緊急支援対象として、3.11直後には、全校生(60名)を対象としたスクリーニング・カウンセリング(不適応者発見の為の心理面接)を実施した。いくつかの不適応ケースは観られたが、幸いなことに重篤化せず、カウンセリングによっていずれも改善した。
 ただ、この学校では、仮設住宅暮らしをしている生徒が多く、それらの家庭では、東電から月々、補償金が支払われている世帯が少なくない。世帯主が就労するとそれが打ち切られるシステムなので、あえて無職のままで無為に過ごす親たちがいる。本来の仕事の給与よりも補償金の方が上回り、中には高額な不労収入によって勤労意欲をなくし、不便な仮設暮らしのストレスとの相乗効果で不健全なバブル感覚が生じているのが問題である。
 そのような生活スタイルの変化から、アルコール依存やギャンブル依存、買い物依存の大人たちが一部の避難生活世帯に増えつつある。
 ある女生徒は、「お父さんは、毎日、パチンコばっかりやっていて、平気で何万円も負けてくる。このままで、いいはずがない」と語った。
 父兄会で来校した母親たちの雑談に耳を傾けてみたら「お宅は何買った? うちはレクサス買った」というような高級新車の購入話をしていた。
 常時、ポケットの中に1万、2万が入っている子どもたちもいる、とも聞く。
 そういう状況がよかろうはずがない。災害のトラウマ(心的外傷)が直後ではなく、後になって生じてくる「晩発性障害」のようなことが起こるのでは、と教育関係者は一同に危惧している。
 カウンセラーとしては、前述の女生徒のように、家庭病理について意識化させて、自分に何ができるか、ということを一緒に考えている。
 何分にも、前例のない難儀な事象が多いので、一つひとつよく考えながら、実意をこめて丁寧に対処していくより最善の方法はない。

 3.11は人類未曾有の超災害であったので、日常の生半可な言葉では、子どもたちの心の奥底まで届かないもどかしさをも味わった。
 そこで、「人としての道」を解りやすく子どもたちに語って説くのに、自分の師である歌人・金光碧水先生のお歌をしばしば引用させて頂いた。
歌には雅味があり、簡潔で、真実を突いているので、子どもたちの「たましい」の深い処まで届いて、癒しになったようである。
 子どもたちが共感したいくつかをあげてみよう。

立ち直るためになすべき
 混迷のなかの辛抱
  つづけねばならぬ

未来を背負ふ若人の英知
 混乱の中に磨かれ
  育つといふか

 災害は不条理で難儀な出来事であるが、そこから「辛抱」や「我慢」という人にとって大切な徳性が身についたり、「先を楽しむ」というポジティヴ・マインド(肯定的・積極的・建設的な心の持ち方)を感得・体得できたとしたら、それは子どもたちにとって、大いなる生涯の財産となるだろう。
 フクシマに起きたような、未曾有の超・複合大災害では、教師や親だけでなく、良識ある大人はすべからく子どもたちを教導・善導しなくてはならないと思う。

「なぜ、自分だけ助かったのだろう」
「あの時、こうしていれば…」
 というような、サバイバーズ・ギルト(生存者の罪悪感)という病理的現象がこのような大災害では生じるものであるが、その心理療法にも、いささかスピリチュアリズム的な視点から話すこともあった。
「亡くなった人は、あなたのことを恨んでなんか絶対いないし、あなただけでも助かったことを、どれほど喜んでいるかわかりませんよ。だから、あなたは今の自分の命があることを本当に感謝して、亡くなった人の『たましい』があちらで幸せになるように祈りましょう」
 そう話すと、信仰がなくとも、子どもたちは、人の「たましい」に本来備わっている宗教性(何々教ではない)が発動し、願い、祈ることができるのである。
 そして、その「思い替え」によって、心が癒され、助かっていくのである。

 なげくこころ与えられをり
  とらはれてはならぬこころも
   与えられをり

 いつまでもごはりゐるな
  きつぱりとまなこ移して
   はなれよこだはり


 これらの「歌の力」で立ち直った子どもたちもいた。

 3.11では、子どもたちは傷つきもしたが、同時に、多くの事を学びもした。
自然は多くの恩恵をもたらしてくれる一方で、我われの命を容赦なく奪うこともある。それでも、我われは自然と共に生きてゆかねばならない。
 何事も「当たり前」なのではなく「有り難い」ことなのかもしれない。
 目に見えぬ力は「畏れ多い」ものである。
 これらのことを子どもたちが体験知として学べ得たら、どのような学問にも勝る知恵を得たことになるだろう。

 3.11から4年過ぎた今日も尚、教育臨床家として、師である碧水先生の歌を≪座右の銘≫として、日々、子どもたちと向き合わせて頂いている。

 みつとめの奉仕淡々と
  出来るだけ淡々と
   われにつづけ得しめ給へ

















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