『人生を遊ぶ』

毎日、「今・ここ」を味わいながら、「あぁ、面白かった~ッ!!」と言いながら、いつか死んでいきたい。

  

炎暑/酷暑/猛暑・・・読書三昧・音楽三昧

2019-07-31 04:47:00 | 
猛暑続きである。

今日は37℃になるとか・・・。

さすがに、
終日、冷房下の寝室と
茹だるような炎熱の廊下/トイレとを
出入りしてると、
枝雀の落語にある
「わいは、焼き豆腐かぁ・・・」
と、言いたくなる。

水を潜ったり
焼かれたり…という、
落語ならではの喩えである。

熱中症にこそならねど、
さすがに、毎晩の熱帯夜つづきで、
朝の寝起きは最悪で・・・
ダルさや節々の痛さに悩まされている。

その不快感が続くと
「うつ」になってまうので、
もう躊躇せずに
市販のイブプロフェンを
朝だけ呑んでいる。

物理的ストレスで
免疫力が低下してか、
体中の右側だけ
口内炎や毛嚢炎が
いくつか出来ていて
その痛みも二次的ストレスになっている。

あと一週間も
猛暑日が続くというので、
ウンザリだが・・・・・・
この間に上手くカラダが
「暑熱順化」してくれればいいのだが・・・。

まさに、
夏休みでよかった・・・であるし、
エアコン、扇風機があってよかった。

今朝方、
やや、焦げ臭いニオイがして、
扇風機のモーター部分に触れてみたら
恐ろしいほどに加熱していて、
ちっとヤバかった。

なにせ、前日の午前から
オールナイトで朝方まで20時間近く
ぶん回していたから・・・
危うくモーターが焼き切れる処だった。

文明の利器によって
命がつながれているという
危うい感じがしないでもない・・・。

かつて、パリやインドで
40℃の炎暑で数千人が死んだことがある・・・
というのは、エアコンなしでの
状況下である。





猛暑日には
不要不急の外出は
極力控えているので、
もっぱら、寝室に籠もって
音楽を聞きながらの
読書にあてている。

この夏休みは、
また、村上春樹を
いくつか読もうと思っている。

例によって
古書店の100円コーナーで
旧著を幾冊か仕入れてきた。

『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』
という長ったらしい名の作品は
2013年の震災以降のもので、
作者の「オウム事件」以前・以後の
作風の変化同様に、
デヴュー時の70年代とは
かなり異質感がある。

それでも、
「死と再生」という
通過儀礼的なテーマは
一貫しているようだ。

作品のストーリーを味わいながらも、
箴言的箇所には朱線を引き、
心理分析素材には付箋を貼りながら
分析的にも読んだ。

「限定して興味を持てる対象が
この人生でひとつでも見つかれば、
それはもう立派な達成じゃないですか」

「コーヒー豆に凝るのは、
貧乏な生活を送っている彼にとっての
ほとんど唯一の贅沢だった」

「才能というのは、
肉体と意識の強靭な集中に支えられて、
初めて機能を発揮するものだ」

「モーツァルトやシューベルトは若死にしたが、
彼らは生命を削り、早すぎる死を受容することによって、
その天才の代価を支払うことになる。
それは命を賭けた取り引のようなものだ」

「何かの手段を見つけて、
積極的に命を絶つほどのエネルギーは
俺にはないが、
死を黙ってそのまま受容するくらいはできる」

「人生は長く、時として過酷なものだ。
犠牲者が必要とされる場合もある。
誰かがその役を務めなくてはならない。
そして人の身体は脆く、傷つきやすく、
切れば血が流れるように作られている」

ユンギャン(ユング派)の
サイコアナリスト(心理分析家)としては、
多重のペルソナ(外的人格)と
アニマ(内的人格)を
曼荼羅的に統合すべく
self realization(自己実現化)を
図ろうとする表層意識の努力が破綻して、
5人グループ内のひとりは〔狂い/他殺死〕に及び、
主人公は〔トラウマ/魂の放浪〕となると読めた。

もすこし突っ込んで、
掘り下げもできそうなので、
いずれ、お弟子さんとの
「魂理学セミナー」での
テキストの一つとしても
取り上げたいと思っている。

かつては、
1000頁にも及ぶ
世紀の大作/傑作/問題作である
『ねじまき鳥クロニクル』を
1年間かけて分析したのを
発表し冊子化もした。
(https://ncode.syosetu.com/n3675dt/)

発表来、
2年半経つが
現在、ちょうど1万人の
アクセスを得ている。

河合先生が生きておられたら、
やられたかもしれない仕事を
代わりにやらせて頂いているような
思いでいる。

***

デヴュー作で
〔群像新人賞〕受賞作の
『風の歌を聴け』は、
モザイク的な
メタ文学的な構成であり、
それはそれで斬新でもあったが、
物語としては円熟の現在に比して
薄っぺらいものだった。

ただ、これより、
作者の一貫して
「性」への「聖性と俗性」の追求が
ひとつのテーマになっていくことは
よく理解できた。

それは、
図らずもユングが
「性は、天国から地獄まである」
と言った名言に
通ずるものを感じさせられた。

この点も、
魂理学セミナーでの
これからの
研究分析テーマとしたいと思っている。

***

今は、2009年の
『1Q84』を読み始めている。

これも、1000頁ほどの大作だが、
3.11前の作者の到達点を
理解するのにいい作品かもしれない。

まだ、
1巻目だが、
デュアル・ストラクチュア
(二重構成)の一話が、
まるでオキニの漫画
『響』に酷似しており、
あんがい、ここからヒントを得て
創作されたのかも、
と思わないでもなかった。





読書に飽くと、
録画物を鑑賞して、
酷暑中のホーム・バケーションを
やり過ごしている。

BSプレミアムで録った
ウィーンフィルの
『シェーンブルン・サマコン』を鑑賞した。

2017年のニュー・イヤーに初登場した
ドゥダメルの指揮であった。

彼は、ベネズエラ出身という
珍しいキャリアながら、
ラトルやアバドに認められ、
コンクール優勝後に
ヨーロッパで活躍するようになった。

ヴァルトビューネでも、
2017年に
ベルリン・フィルを指揮している。

***

先週の
音楽堂への定演通いで、
『ぶらあぼ』なる
フリー冊子を初めて
ロビーで手に取った。

けっこうな厚みで、
全国のクラシック・コンサートが
網羅されており、
その規模に驚かされた。






ライフ・モットーの
「人生深生き」
を実践するにあたっては、
「嫌なことはやらないこと」

「好きな事・物・人」
と共に在ること、
を遂行している。

今の実家を改築した住まいが
“終(つい)の棲家”になることは
間違いないが、
これまで、仙台、大阪、京都と
棲んできて、
市内では柳町、吉倉、清水町と
暮らしてきた。

16年前の前宅でも、
幸いに「書斎」兼「カウンセリング室」兼
「ギターレッスン室」を持てていたが、
「書香」と「古楽器」が共にあることが、
自分にとっての“幸福アイテム”と
気づきはじめていた。

そして、
京都の住まいからこの方35年間、
ずっと「茶室」も持てている。

元同僚のクモ博士・田中先生が
学会で来福の折、
拙宅のお茶室で
おもてなしさせて頂いたら、
しみじみと
「こんなん、ふつう持てへんでぇ・・・」
と仰っていた。

これも、
我が幸福アイテムの
一つなのだろう。

去年、作庭した苔庭も、
さらなる幸福アイテムになる筈だったが、
残念ながら根が付かず、
風で飛んだり、枯れたり、
今は夏草の繁茂する勢力に
すっかり隠されてしまっている。

プチ・マイブームだった苔熱も、
近頃はすっかり醒めた感がある。

***

とりあえず、
今日、明日、あさって・・・
さらに数日の猛暑に耐え、
生き延びることが
初老を生きる課題のようでもある。

´´(;´ρ`A) アチィ…  

あ、そ、そ…。
今日は、
午前中にカウンセリング、
午後からギターレッスン、
夜から宗教臨床セミナー、
があったんだっけ・・・。

まったくのオフ日と
ちゃうかったーぃ。

ヽ( ̄д ̄;)ノ=3=3=3 ハタラカネバ…




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