『人生を遊ぶ』

毎日、「今・ここ」を味わいながら、「あぁ、面白かった~ッ!!」と言いながら、いつか死んでいきたい。

  

東日本大震災五年慰霊祭 講 演 4

2022-12-11 09:44:31 | 社会問題

 さて、ここからは、私自身の、公立の高校に勤務するスクール・カウンセラーとして、子どもたちの健康面、心理面の現状について、いくつか述べてみたいと思います。 

 自宅が「計画的避難区域」に掛かり、仮設住宅から三年間通学したある生徒は、ストレス性の不適応症状が生じて、三年間、精神科での薬物治療と心理療法でもあります学校カウンセリングで対応しました。その結果、幸いなことに、症状は改善し、無事に卒業し、就職することができました。 

 また、同じく自宅が「計画的避難区域」に掛かり、中学時代に他地区に転校し、そのまま仮設住宅のある地域の高校に入学してきた生徒は、入学後から不適応症状が顕著に現れ、精神科治療と学校カウンセリングで対応しましたが、改善しきれず長期欠席になり、残念なことに、結局、退学してしまいました。 

 生徒以外のケースをあげますと、ある先生は、3・11の直後から、妻子が他県に避難・在住して、それ以来ずっと単身生活をしておりましたが、そのストレスにより「うつ病」を発症し、精神科治療の甲斐もなく、残念な事に、自殺されてしまいました。その先生の死によって、さらに生徒の何人かに心因性の不適応が起こりましたが、カウンセリングによって、幸いなことに改善いたしました。

「計画的避難区域」内にあったある高校は、「全村民避難」により、約三十キロメートル離れた福島市内のプレハブの仮設校舎に移転しました。この学校の生徒に限り、緊急支援対象として、3・11直後には、全校生六十名を対象としたカウンセリングを実施しました。いくつかの不適応ケースは観られましたが、幸いなことに重篤化せず、カウンセリングによって、いずれも改善しました。
 ただ、この学校では、仮設住宅暮らしをしている生徒が多く、それらの家庭では、電力会社から月々、莫大な補償金が支払われている世帯が少なくないんですね。世帯主が就労するとそれが打ち切られるシステムなので、あえて無職のままで無為に過ごす親御さんがおられました。本来の仕事の給与よりも補償金の方が上回り、中には高額な不労所得によって勤労意欲をなくし、不便な仮設暮らしのストレス解消のため、アルコール依存やギャンブル依存、買い物依存に陥ってしまったケースも少なくありません。これは、現状でも続いていることでしょう。
 ある生徒は、カウンセリングの話のなかで
「お父さんは、毎日、パチンコばっかりやっていて、平気で何万円も負けてくるんです。
 このままで、いいはずがないと思います」
 と語ってくれました。 

 父兄会で来校された親御さんたちの雑談に耳を傾けてみたら
「お宅は何買ったの? うちはレクサス買ったよ」
 というような高級新車の購入話をしておられました。
 中古の軽自動車に乗っている私は、(なんだかなぁ…)と複雑な気分でありました。 

 常時、ポケットの中に一万円札が何枚か入っている生徒たちもいたようです。そういう状況が教育的によかろうはずがありませんね。彼らの将来において、何か社会的問題が生じてくるようなことが起こるのでは…と、教育関係者は一同に危惧しているところです。
 カウンセラーとしては、そのようなことは、「普通のことではない」「おかしいことなんだ」と話し合いをして、子どもたちの自覚を促すようにしています。

 

 3・11のような人類未曾有の複合・超大規模災害に於きましては、何分にも、前例のない難儀な事象が多いので、一つひとつよく考えながら、実意をこめて丁寧に対処していくより最善の方法はないんですね。
 未熟なカウンセラーとしては、日常の生半可な言葉では、子どもたちの心の奥底まで届かないもどかしさを、今も日々、味わっています。
 そこで、「人としての道」を解りやすく子どもたちに語って説くのに、普段から、歌人・金光碧水先生のお歌をしばしば引用させて頂いています。
 歌には優雅さ風雅さという雅味があり、簡潔で、真実を突いているので、子どもたちの「たましい」の深い処まで届いて、癒しになっているようです。
 子どもたちが共感した歌をいくつかをあげてみますと…

 立ち直るためになすべき
  混迷のなかの辛抱
   つづけねばならぬ

 未来を背負ふ若人の英知
  混乱の中に磨かれ
   育つといふか

 災害というのは不条理で難儀な出来事ではありますが、そこから「辛抱」や「我慢」という人にとって大切な徳性が身についたり、「先を楽しむ」というポジティヴ・マインドを感得・体得できたとしたら、それは子どもたちにとって、大いなる生涯の財産となると思います。
 フクシマに起きたような、未曾有の超・複合大災害では、教師や親だけでなく、良識ある大人はすべからく子どもたちを教導・善導しなくてはなりません。

「なぜ、自分だけ助かったのだろう?」
「あの時、こうしていれば…」
 というような、「サバイバーズ・ギルト」という「生存者の罪悪感」という病理的な心理現象がこのような大災害では生じるものですが、その心理療法にも、いささかスピリチュアリズム的な視点から話すこともあります。
「亡くなった人たちは、あなたのことを恨んでなんか絶対いないし、あなただけでも助かったことを、どれほど喜んでいるか分かりませんよ。
 だから、あなたは、今の自分の命があることを本当に感謝して、亡くなった人たちの『たましい』が、あちらで幸せになるように祈りましょう」
 そう話しますと、信仰がなくとも、子どもたちは、人の「たましい」に本来備わっている宗教性が発動し、願い、祈ることができるのですね。
 そして、その「思い替え」によって、心が癒されて、助かっていってくれるようです。

 なげくこころ与えられをり
  とらはれてはならぬこころも
   与えられをり

 いつまでもごはりゐるな
  きつぱりとまなこ移して
   はなれよこだはり

こういう「歌の力」で、立ち直る子どもたちもおります。

 

 3・11では、子どもたちは傷つきもしましたが、同時に、多くの事をも学びもしました。
 自然は、多くの恩恵をもたらしてくれる一方で、我われの命を容赦なく奪うこともある。
 それでも、我われは、自然と共に生きてゆかねばならない。
 何事も「当たり前」なのではなく、「有り難い」ことなのかもしれない。
 目に見えぬ力は「畏れ多い」ものである。
 これらのことを、子どもたちが、自ら体験した「体験知」として学んだとしたら、どのような学問にも勝る「知恵」を学び得たことになるのではないでしょうか。

 子ども達にとりましては、原発事故後、今日に至るまでの、不断の「低線量 放射線被曝」の問題もさることながら、幼少期・思春期に受けた超・複合大災害の「心の傷」…それは心の専門家は「曖昧な喪失」と呼びますが…、その傷が十年、二十年と長い年月を経て、後から病理的症状が生じてくる「晩発性障害」というのが、どんな形で顕われるのか、想像がつきません。
 自分に出来る事は、今後も見守りながら、そして、専門的対処に実意を込めて、丁寧にさせて頂くことしかありません。
 最後に、心理カウンセラーとして、私が日々、《座右の銘》とさせて頂いております金光碧水先生のお歌をご披露して、終わりに致したいと思います。

 みつとめの奉仕淡々と
  出来るだけ淡々と
   われにつづけ得しめ給へ

ご静聴、ありがとうございました。
                 (拍手)

 

     

 


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