きのうの
カウンセリング・セッションで
久しぶりに
「学習高原(プラトー現象)」
について説明した。
心理学用語では、
教員採用試験にも登場する
基本的概念である。
学習効果を現わす学習曲線で
一時的に水平になり
高原状態を示す時期があり、
俗には、ダイエットや筋トレでも
「踊り場現象」とも言われる
「停滞期」でもある。
母親カウンセリングの
心理教育でも
不登校や心身症の改善過程で
しばしばこの概念を
講釈することがある。
よく、自転車乗りに喩えて、
それは「0か100か」で
「乗れるか乗れないか」
しかなく、
ずっと乗れない時期を
プラトーだとすると、
その間、脳内では
平衡感覚中枢において
感覚系と運動系の
入出力データを蓄積・演算して
最適値を出そうとしているのである。
つまり、
脳というハードにおいて
「自転車乗り」という
プログラム・ソフトを
試作している段階が
プラトーになるわけで、
その間に入出力である
訓練を中断したら
ソフトは完成せず、
乗れないまんま…の
「0」状態が維持されるのである。
ここにおいて、
自転車がちっと乗れる
という現象はあり得ない(笑)。
また、こうも喩えることがある。
「教科書を読んだだけで
自転車に乗れることは絶対ない」(笑)
想像したら、
滑稽である。
「右足のペダルに荷重したら…
体の左側に意識してバランスを取る…」(笑)
六十路の手習いで
書室を設えてから
まだ2ケ月ほどだが、
ほぼ毎日、お稽古を続け
次第に「字を書く要領」が
掴めてきたような気がしている。
稽古はじめの頃の
反古紙を見ると、
まだまだ
骨法からは遠く、
焦点が定まっていない。
それが判るようになった、
ということが
上達の一つの目安なのだろう。
ただし、
まだまだ縦線が
ブレることがあり、
考えながら書く
書類文字は不ぞろいで
完成されていない。
⁂
書家にして茶人でもあられた
哲人歌人の故・碧水先生に
私淑して久しいが、
「歌・書・茶」道家の範たる
歌の数々を、老い先短い近頃、
しみじみと味わっている。
手習らひの辛抱つづけ
書くたのしみ知りそめし頃
かへりみておもふ
すきでする
手習ひにも苦は伴へり
苦をこえて知る手習ひのたのしみ
しみじみと
水の尊さ思ひつつ
色紙に水の一字書きたり
気がねなくこころ遊ばすひとり遊び
うたよむことも
字の手習ひも
わが下手な字もまたうたも
そのままがいのちとどめし
形見なりけり
目が見えて字を書くことが出来るといふ
あたりまへの不思議
かしこみ思ふ
わがこころ洗ひ清めてゆかねばと
洗心の二字
青空に画く
わが今のいのちと
筆と墨硯紙ともにあり
ありがたきかも
紙のべて筆と遊べばわがこころ
ほのぼのとして
ひとりたのしき
下手な字もまたおもしろし
おかしな字出来たものよと
つぶやき笑ふ
筆と遊ぶわが幸せよ
その出来のよしあしはおきて
ただたのしき
世話になりしお礼いひつつ
筆と硯こころしづかに
洗ひ了へにけり
茶をたてて
のみし茶碗を眺めつつ
こころ憩へる今のわれなり
われのみが知るたのしみのひとつなり
すきな茶碗に
茶をたてのむこと
きのうも
お弟子さんにご相伴頂き、
侘び茶のお稽古をさせて頂いた。
先週の小火騒動来、
あちこちを修復しての
茶事である。
「四つ椀」のみによる
侘び懐石膳で胃を整え、
先週、御土産に頂いた「濃茶」で
お手前をさせて頂いた。
時間厳守で
オンタイムに来られる方なので、
亭主側としては
頃合いの「見切り」と
「手筈」通りにできて有り難い…
と謝意をも伝えた。
そんな事は、
当たり前なのだが…。
時間や予約にルーズな方は、
そもそも、
カウンセリングも
ギターレッスンも
お断りすることにしている。
「いのち」は「持ち時間」…
「タイム・イズ・ライフ」なのだから、
それを粗末・無駄にするのは
ご無礼というものだろう。
こちとら、
真剣に生きてんだいッ!!
ᕦ(ò_óˇ)/゛
昼寝だって、
真剣に寝てんだいッ!!(笑)
(=´、`=)ゞ
オトーサンの真似をして
何でも「やりたがり」だったフミが、
お茶のお手前も
京都暮らしの頃から
やっていた。
そんな彼も今や、
オトーサンになり、
茶筅に代わって
哺乳瓶を持って
我が子に
心尽くししている(笑)。
第四回『復興支援リサイタル』では
息子二人とカミさんが
スタッフになってくれて
家族行事として
心強く、楽しめた。
三男のナッちゃんは
この後、
6回目のファイナルまで
ずっとマネージメントしてくれた。
カウンセリング・セッションで
久しぶりに
「学習高原(プラトー現象)」
について説明した。
心理学用語では、
教員採用試験にも登場する
基本的概念である。
学習効果を現わす学習曲線で
一時的に水平になり
高原状態を示す時期があり、
俗には、ダイエットや筋トレでも
「踊り場現象」とも言われる
「停滞期」でもある。
母親カウンセリングの
心理教育でも
不登校や心身症の改善過程で
しばしばこの概念を
講釈することがある。
よく、自転車乗りに喩えて、
それは「0か100か」で
「乗れるか乗れないか」
しかなく、
ずっと乗れない時期を
プラトーだとすると、
その間、脳内では
平衡感覚中枢において
感覚系と運動系の
入出力データを蓄積・演算して
最適値を出そうとしているのである。
つまり、
脳というハードにおいて
「自転車乗り」という
プログラム・ソフトを
試作している段階が
プラトーになるわけで、
その間に入出力である
訓練を中断したら
ソフトは完成せず、
乗れないまんま…の
「0」状態が維持されるのである。
ここにおいて、
自転車がちっと乗れる
という現象はあり得ない(笑)。
また、こうも喩えることがある。
「教科書を読んだだけで
自転車に乗れることは絶対ない」(笑)
想像したら、
滑稽である。
「右足のペダルに荷重したら…
体の左側に意識してバランスを取る…」(笑)
六十路の手習いで
書室を設えてから
まだ2ケ月ほどだが、
ほぼ毎日、お稽古を続け
次第に「字を書く要領」が
掴めてきたような気がしている。
稽古はじめの頃の
反古紙を見ると、
まだまだ
骨法からは遠く、
焦点が定まっていない。
それが判るようになった、
ということが
上達の一つの目安なのだろう。
ただし、
まだまだ縦線が
ブレることがあり、
考えながら書く
書類文字は不ぞろいで
完成されていない。
⁂
書家にして茶人でもあられた
哲人歌人の故・碧水先生に
私淑して久しいが、
「歌・書・茶」道家の範たる
歌の数々を、老い先短い近頃、
しみじみと味わっている。
手習らひの辛抱つづけ
書くたのしみ知りそめし頃
かへりみておもふ
すきでする
手習ひにも苦は伴へり
苦をこえて知る手習ひのたのしみ
しみじみと
水の尊さ思ひつつ
色紙に水の一字書きたり
気がねなくこころ遊ばすひとり遊び
うたよむことも
字の手習ひも
わが下手な字もまたうたも
そのままがいのちとどめし
形見なりけり
目が見えて字を書くことが出来るといふ
あたりまへの不思議
かしこみ思ふ
わがこころ洗ひ清めてゆかねばと
洗心の二字
青空に画く
わが今のいのちと
筆と墨硯紙ともにあり
ありがたきかも
紙のべて筆と遊べばわがこころ
ほのぼのとして
ひとりたのしき
下手な字もまたおもしろし
おかしな字出来たものよと
つぶやき笑ふ
筆と遊ぶわが幸せよ
その出来のよしあしはおきて
ただたのしき
世話になりしお礼いひつつ
筆と硯こころしづかに
洗ひ了へにけり
茶をたてて
のみし茶碗を眺めつつ
こころ憩へる今のわれなり
われのみが知るたのしみのひとつなり
すきな茶碗に
茶をたてのむこと
きのうも
お弟子さんにご相伴頂き、
侘び茶のお稽古をさせて頂いた。
先週の小火騒動来、
あちこちを修復しての
茶事である。
「四つ椀」のみによる
侘び懐石膳で胃を整え、
先週、御土産に頂いた「濃茶」で
お手前をさせて頂いた。
時間厳守で
オンタイムに来られる方なので、
亭主側としては
頃合いの「見切り」と
「手筈」通りにできて有り難い…
と謝意をも伝えた。
そんな事は、
当たり前なのだが…。
時間や予約にルーズな方は、
そもそも、
カウンセリングも
ギターレッスンも
お断りすることにしている。
「いのち」は「持ち時間」…
「タイム・イズ・ライフ」なのだから、
それを粗末・無駄にするのは
ご無礼というものだろう。
こちとら、
真剣に生きてんだいッ!!
ᕦ(ò_óˇ)/゛
昼寝だって、
真剣に寝てんだいッ!!(笑)
(=´、`=)ゞ
オトーサンの真似をして
何でも「やりたがり」だったフミが、
お茶のお手前も
京都暮らしの頃から
やっていた。
そんな彼も今や、
オトーサンになり、
茶筅に代わって
哺乳瓶を持って
我が子に
心尽くししている(笑)。
第四回『復興支援リサイタル』では
息子二人とカミさんが
スタッフになってくれて
家族行事として
心強く、楽しめた。
三男のナッちゃんは
この後、
6回目のファイナルまで
ずっとマネージメントしてくれた。
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